『うわさとは何か ネットで変容する「最も古いメディア」』松田美佐/中公新書
震災直後の「有害物質を含んだ雨が降る」などといった流言は記憶に新しい。本書は人々の間で交わされる情報の背後に存在する「うわさ」について研究した新書。買いだめ騒動や取り付け騒ぎなどのデマ、人面犬やサザエさん最終回などの都市伝説、そして風評被害についても述べられる。先行研究から紡ぐ「うわさ」の歴史。ケータイ・ネット社会はいかなる変化をもたらしたのか。参考文献リストも社会学、心理学、民俗学、小説と充実している。コンパクトながら濃厚な一冊。

写真拡大

「風評被害」について、「週刊ビッグコミックスピリッツ」で連載中の長寿マンガ「美味しんぼ」が議論を呼んでいる。発端は、4月28日発売号に掲載された第604話「福島の真実 22」での描写だ。

主人公の新聞記者・山岡士郎たちは、福島第1原発を訪れてから、「最近ひどく疲れて」おり、「理由がわからないのに」鼻血が出る。
病院で診察を受けたところ、「福島の放射線とこの鼻血とは関連づける医学的知見がありません」と医師に告げられる。
その後、実在の人物である福島県双葉町の前町長・井戸川克隆は、作中で士郎らにこのように語る。
「私も鼻血が出ます。」「福島では同じ症状の人が大勢いますよ。言わないだけです。」

この作中描写に関して、5月7日、双葉町は小学館に対し「原因不明の鼻血などの症状を訴える町民が大勢いるという事実はない。町民だけでなく、福島県民への差別を助長させる」という内容の抗議文を出した。(『毎日新聞』5月8日朝刊)

9日には、石原伸晃環境大臣・内閣府特命担当大臣(原子力防災)が「風評被害を呼ぶことがあれば、なってはならないこと」と記者会見で述べた。同日、井戸川前双葉町長は「福島は被害を受けているのに、なぜ『風評被害』と言えるのか。私の実害を話しているのに、大臣がうんぬん言えるのか」とコメントした。(『朝日新聞』5月10日朝刊)

ネット上でも公開されている大辞林第三版をひくと、「風評被害」とは「事故や事件の後、根拠のない噂(うわさ)や憶測などで発生する経済的被害」とある。また「風評」は「(よくない)うわさ。世の中の取りざた」とされている。

社会心理学者の関谷直也によれば、この言葉が一般的に使われるようになりはじめたのは、1997年の「ナホトカ号重油流出事故」からであるという。
荒れた天候が原因で、ロシアの石油タンカーが日本海沖で分断。大量の重油が福井県などの海岸に流れ着いた。「重油に汚染された」というイメージから、観光客が減少。被害の大きかった三国町観光協会は、取材、報道にあたっての「風評被害」を心配するという旨の広報文を出す。以降、この言葉は報道関係者に広く認知されるようになり、テレビや新聞報道で多用されるようになった。(『風評被害 そのメカニズムを考える』2011)

「googleトレンド」(ある語句がネット上でどれだけ検索されたかを収集し、その指数と期間別推移を公開しているサービス)を見てみてると、非常に分かりやすい傾向が見られる。
「風評被害」という語句が過去最大にgoogle上で検索されたのは、2011年4月。グラフからは絶対数こそ分からないものの、東日本大震災の直後に爆発的に上昇し、その後3年間は以前よりも平均的に数値が高い。ちなみに「美味しんぼ」、「鼻血」という語句は、ともに2014年5月が現時点でのピークとなっていることもわかる。(リンク)

4月に発売された『うわさとは何か ネットで変容する「最も古いメディア」』は、デマ、流言、ゴシップ、口コミ、都市伝説、そして風評と、様々に言い換えられる「うわさ」を分析することで、情報との付き合いかたについて考える契機になる新書だ。著者の松田美佐は、コミュニケーション論、メディア論を専門とする学者である。

本書では、「うわさ」とは基本的に「人から人へとパーソナルな関係性を通じて広まる情報」と定義される。かつてであればそれは「口伝えで広まる情報」を指していた、と松田は言う。
言論統制の下にあった戦時中の日本では、報道が検閲され、言いたいことが言えない状態であるがゆえに、それらは口伝えの情報という形式を借りることで広がっていった。
新聞社や記者名などの署名がある報道は文字として顕在化されており、責任を負う組織や人が存在する。一方、「うわさ」は口頭であり、多くの場合出所が不明であるから責任を負う者がいない。
ポイントは戦時下の社会不安だけが「うわさ」が大量に流れたことの理由ではないということだ。体制側にとって不都合な情報は、恣意的に「流言蜚語」などと認定されていたことも「うわさ」増加の背景にあるという。

上のような視点は、あくまで同時代人による古典的な「うわさ」研究に基づくものである。
松田はここで「公式発表やマスメディアの対極にある情報」として「うわさ」を位置づけることの妥当性を問題にする。
「有名ハンバーガーチェーンの肉は猫の肉だ」というような都市伝説や、「アイドルの◯◯は有名俳優の△△と付き合っている」というようなゴシップ。これらは情報の内容や価値よりも、それを話題としてコミュニケーションをとること自体が目的となっている場合も多い。
また、美味しいと「うわさ」のレストランを訪れてみて実際に満足のいくものであったならば、その情報は口コミと呼ばれるようになる。つまり「うわさ」という言葉は、状況次第でいくらでも表現のされ方が変わるものなのだ。

他にも「うわさ」を伝えるメディアの役割についての考察も抜け落ちていることも指摘している。東日本大震災の際、ツイッターやチェーンメールなどでデマが出回ったことは記憶に新しい。(荻上チキ『検証 東日本大震災の流言・デマ』2011)
このときは関係各所が迅速にデマを否定することで収束したが、「うわさ」が人々の行動を誘導し、事実でなかったものがさも事実のように扱われたケースは歴史上にいくつも存在する。

たとえば取り付け騒ぎである。1973年の「豊川信用金庫事件」は女子高生の会話が「うわさ」を呼び、引き起こされた。マスメディアはこの事件を「デマ騒ぎ」として報道したが、警察は解明された「うわさ」の伝搬経緯には悪意は認められなかったとして捜査を打ち切っている。
一方、1927年の東京渡辺銀行取り付け騒ぎは、当時の大蔵大臣片岡直温が「東京渡辺銀行がとうとう破綻を致しました」という事実誤認の失言をしたことがきっかけだとされている。背景には関東大震災後に発行された震災手形の不良債権化と不況があった。騒ぎは各地で連鎖的に生じ、昭和金融恐慌へと繋がっていくこととなる。その様子はジブリ映画「風立ちぬ」でも描かれている。
これらの例は、先に挙げた大辞林第三版で「事故や事件の後、根拠のない噂(うわさ)や憶測などで発生する経済的被害」とされていた「風評被害」に重なるところがある。

「美味しんぼ」の場合、スピリッツ編集部の公式声明にもあるように、「検査が行われ、安全だと証明されている食品・食材を無理解のせいで買わないことは、消費者にとっても損失である」という旨のことが、たしかに「福島の真実」シリーズのなかでも述べられている。『美味しんぼ』110巻では、「安全だという検査結果がある」にもかかわらず「福島産の米ということで、放射能汚染を疑われて」販売が激減していると語る人物らが登場する。
少なくとも食品を購入する・しないという経済的な観点においては、作者は「風評被害」を抑止したいという意志を持っているのかもしれない。

しかし、5月12日に発売された『週刊ビッグコミックスピリッツ』24号掲載の第604話「福島の真実 23」では、作中の井戸川前町長は、「私が思うに、福島に鼻血が出たり、ひどい疲労感で苦しむ人が大勢いるのは、被爆したからですよ」と士郎らに語る。
この場面に同席している岐阜環境医学研究所所長の松井英介は、「放射線だけの影響と断言はできません」、「医学界に異論はあります」としながらも、「鼻血や強い徒労感など」に「放射線の影響は十分に考えられます」と言う。
さらに別の場面。福島大学の荒木田岳准教授は、自身が除染作業を何度もした経験から、「福島を広域に除染して人が住めるようにするなんて、できないと私は思います」と話している。
「原発事故の影響で福島に人は住めなくなる」という論を(5月12日号発売時点においては)強く押し出している印象だ。

『うわさとは何か』のなかで、松田はこのように記している。
「風評被害は実際にはうわさから生じているわけでも『不確かで誤った情報』から生じているわけでもない。政府の公式発表やマスメディアの報道はもちろん、インターネット上の情報、個人的に聞いたうわさや口コミ情報、さらには、個人の知識や信念などを含めたあらゆる情報に基づいて個人が採用する「合理的な行動」が引き起こす予期せぬ結果が風評被害なのである。」

「美味しんぼ」は、公式見解とは異なる意見をマンガというメディアを通して表明した。それは、戦時下で「うわさ」が頻出した状況と、社会に対する不安が広く共有されているという点では似ていて、責任をとるべき個人から発せられているという点では異なっている。

12日、福島県は「『美味しんぼ』の表現は、福島県民そして本県を応援いただいている国内外の方々の心情を全く顧みず、深く傷つけるものであり、また、本県の農林水産業や観光業など各産業分野へ深刻な経済的損失を与えかねず、さらには国民及び世界に対しても本県への不安感を増長させるものであり、総じて本県への風評被害を助長するものとして断固容認できず、極めて遺憾であります」という声明を出した。(福島県公式ホームページ「週刊ビッグコミックスピリッツ『美味しんぼ』に関する本県の対応について」より抜粋)

小学館は『ビッグコミックスピリッツ』5月19日発売号と公式ホームページ上で「議論を深める意図のもとに、識者、専門家の方々の見解やご批判を含む様々な意見を集約した特集記事を掲載する予定です」としている。(ビッグコミックスピリッツ公式ホームページ「スビリッツ24号掲載の『美味しんぼ』に関しまして」より抜粋)

専門的知識のない人々にとって、政府から公式見解が与えられても不安が解決されない場合、そこへの不信感だけがつのり続ける場合がある。
「絶対に安全とは言いきれないのではないか?」「測定方法が間違っているのではないか?」「何かの意図から真実を隠しているのではないか?」
こうした無限の可能性の終わりなき推測に陥ると、抜け出すのは容易ではない。
そのときは、真偽そのものを早急に判断しようとするよりも、まずはある情報が自分の行動にいかなる影響を与えうるか、そして、その行動が社会にどのような影響を及ぼしうるかについて知ることが先決ではないか、と私は思う。

『うわさとは何か』の特徴は、携帯電話やインターネットなどの新しいメディアと「うわさ」の関係についても分析されているところである。数多くの文献を引用しながらも新書のボリュームでまとめあげた本書は、巻末の「文献一覧」も含めて、「うわさ」とそれにまつわる事象の仕組みを学ぶ良い手引きになるはずだ。

いずれにせよ、「美味しんぼ」の意見が「風評被害」となるかどうかは、その情報を受け取る者の行動次第である。

※『うわさとは何か ネットで変容する「最も古いメディア」』(松田美佐・著/中公新書)
※『風評被害 そのメカニズムを考える』(関谷直也・著/光文社新書)
※『美味しんぼ』110巻(雁屋哲・作 花咲アキラ・画/小学館ビッグコミックス)

(HK・吉岡命)