文藝春秋特別編集『芥川賞・直木賞150回全記録』(文春ムック)
芥川賞・直木賞が創設されてから今年1月で150回に達したことを記念して刊行されたムック。記事中にとりあげた「全記録」や座談会再録のほか、小林泰彦のイラストルポや永江朗のエッセイ「本屋さんから見た芥川賞・直木賞」など記事が盛りだくさん。このうち小林のイラストルポでは、両賞の選考会場としておなじみ「新喜楽」も登場、それによれば、選考会場となる広間の控室にはカウンターバーがあるらしい(そのイラストに添えられた小林の文章では、何度か芥川賞・直木賞の候補となった兄・信彦との秘話も明かされており、これがまたいい話)。

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先にエキレビ!でも告知したとおり、明日3月1日から2日間、東京・丸の内の丸ビル1階「マルキューブ」で「芥川賞&直木賞フェスティバル」が開催される。

このイベントは、1935年の両賞の創設から、この1月に発表された2013年下半期の回をもって150回を迎えたことを記念して開かれるもの。ちょうどこれと合わせて、文藝春秋から『芥川賞・直木賞150回全記録』というムックも刊行された。これがまた、イベント会場でプログラムの合間にもつまみ読みするのにふさわしい、幕の内弁当的な内容になっている(もちろん家でじっくり読むのもありですが)。以下、同書を弁当のメニューに見立てながら紹介してみたい。

■データにさまざまな逸話を詰めこみ、味わい深い「全記録」
本書のおにぎり(主食)にあたるのは当然ながら、芥川賞・直木賞の150回分のデータを収めた「全記録」の部分だ。そこには、各回の受賞作・候補作のみならず、選考会や賞の贈呈式の日時・会場まで載っている。選考会場もいまでは築地の料亭「新喜楽」がすっかり定番となっているけれども、ここが初めて会場に使われたのは終戦直後の1949年下半期のこと。その後もしばらくは会場は変則的で、1958年上半期になってやっと新喜楽に落ち着くことになった。

データではまた賞金が気になるところ。さっそく「全記録」で確認すると、現行の100万円になったのは、100回の節目となった1988年下半期からということがわかった(その発表は1989年1月12日、元号が平成になって5日目のこと)。それまでは50万円だったというので、一気に倍に上がったことになる。ただし賞金はあくまで副賞、芥川賞・直木賞の正賞はよく知られているように、懐中時計である。ただ戦時中にはこれが入手困難となり、壺や硯箱、花瓶が代わりに贈られた回もあったとか。

と、データ(ごはん)を見てゆくだけでもなかなか面白いのだが、その合間あいまのコラムには、受賞作家などにまつわるトリビアやエピソードが盛りこまれ、さらに味わい深いものとなっている。いわば具材である。

ためしに、現在37歳の私が記憶するもっとも古い芥川賞・直木賞である、1988年上半期の第99回のページを開けば、このとき「尋ね人の時間」で芥川賞を受賞した新井満は、選考結果の連絡を、山手線を一周しながら待ったとのエピソードが目に入ってくる。この話自体はクイズ番組「アタック25」でも出題されていて私も知っていたけれども、当時はもちろん携帯電話などなかったので、実際に新井が受賞を知ったのは、有楽町駅で下車して、自宅にいる妻に電話を入れてからだった……というのは初耳(初目?)であった。なお同じコラムには、新井満の師匠筋にあたる森敦は『月山』(1973年下半期の第70回芥川賞受賞作)を、一時期、毎日山手線に乗っては何周もしながら書き上げたという話も紹介されている。いかにも放浪生活の長かった森らしい。

「全記録」の味わいどころとしてはいまひとつ、作家の肖像写真もあげておきたい。これを眺めているだけでも、色々と発見があるのだ。たとえば、開高健といえば丸顔のイメージしかなかったけれど、第38回芥川賞(1957年下半期)を受賞した当時27歳の彼は痩せていて、びっくりさせられる。ほかにも、オーバーオール姿の田辺聖子(1963年下半期、第50回芥川賞)とか、アトリエで絵筆を走らせる村上龍(1976年上半期、第75回芥川賞)とか、若き日の作家の姿を収めた貴重な写真が並ぶ。近年では、撮影のロケーションやライティングに凝ったポートレートも目立ち、ファッションモデルもかくやと思わせる作家もいるほど。

フォトジェニックという点では、夫婦そろって芥川賞作家である阿部和重(2004年下半期、第132回)と川上未映子(2007年下半期、第138回)もかなりの線を行くが、実際、川上の写真を「文藝春秋」2008年3月号のポスターで使ったところ、盗難にあったりもしたという。一方、阿部について本書では、芥川賞贈呈式での写真が使われている。そこで彼は、両手でつくったピースサインを頭の上に乗っけているけれども、これは阿部が当時ファンだと公言していたモーニング娘。の道重さゆみの決めポーズ「うさちゃんピース」だということを、ここで付言しておきたい。

■メインディッシュには直木賞委員座談会を
さて、『芥川賞・直木賞150回全記録』には、下記にあげるように、かつて文藝春秋の雑誌に掲載された対談・座談会が再録され、幕の内弁当における豪華なおかずともいうべき役割を担っている。

・「特別対談 直木三十五追憶 “文壇の剣豪”と称された鬼才の生と死」(川口松太郎・永井龍男、「別册文藝春秋」132号、1975年)
・「特別座談会 芥川賞委員はこう考える」(吉行淳之介・水上勉・開高健・三浦哲郎・田久保英夫・古井由吉、「文學界」1987年2月号)
・「選考委員大座談会 直木賞のストライクゾーン」(井上ひさし・五木寛之・黒岩重吾・田辺聖子・陳舜臣・平岩弓枝・藤沢周平・村上元三・山口瞳・渡辺淳一、「オール讀物」1988年5月号)
・「特別座談会 賞ハ世ニツレ…… 芥川賞の五十四年に見る「昭和」の世相と文壇」(芝木好子・吉行淳之介・石原慎太郎・大庭みな子・池田満寿夫・池澤夏樹、「文學界」1989年3月号)

賞にその名を冠された作家のうち、芥川龍之介の作品はいまでも読み継がれているのに対し、残念ながら直木三十五は作品が読まれているどころか、知名度もいまひとつだ。「直木三十五追憶」では、彼と親しかった川口松太郎(1935年上半期、第1回直木賞)と、文藝春秋の社員として芥川賞・直木賞の事務作業にかかわったのち作家となった永井龍男(1958年〜77年には芥川賞選考委員も務めた)によって、その知られざる横顔が語られている。

「賞ハ世ニツレ……」は芥川賞設立以来、昭和の各年代(昭和10〜60年代)から一人ずつ受賞者が参加して、受賞の頃といまを語ったもの。とりわけ吉行淳之介(1954年上半期、第31回)と石原慎太郎(1955年下半期、第55回)とのやりとりがスリリングだ。対談中、石原は吉行に対しときおり挑発的な発言をぶつけたりしているのだが、それというのも当時芥川賞の現役の選考委員にして芸術院会員でもあった吉行を、文壇の代表と見なしてのことであった。そのやりとりからは両者の文壇でのポジションや文学観の違いなどが垣間見える。

「芥川賞委員はこう考える」と「直木賞のストライクゾーン」は、それぞれ記事掲載当時の芥川賞と直木賞の選考委員が会した座談会(ただし前者では安岡章太郎と遠藤周作が病欠)。前者は、当世の若い作家たちを勉強が足りないとばっさり斬って捨てたり、かなり辛口の内容となっている。そこでの水上勉の《芥川賞は一年に二遍もあるのに十年に一遍しか出んようなものを求めてるんじゃないか》という発言などは、いわゆる純文学を対象とする同賞の本質をとらえているように思われる。

一方、「直木賞のストライクゾーン」は、タイトルどおり、直木賞の守備範囲を論じたもので、私としては本書収録の記事で一番面白く読んだ。ぜひ、メインディッシュとしておすすめしたい。

そこではたとえば、ノンフィクションや戯曲・シナリオが対象になってもいいのではないかとの意見が、井上ひさしや五木寛之などから出されている。それに対し、ほかの委員からは当然のごとく異論が飛び出す。たとえば渡辺淳一は、《やっぱり小説は小説なので、ノンフィクションをやたらに取り込むのは感心しません。それ以上に、シナリオは全然別の問題だと思います。これは舞台なり映像で完結するものですから》と全面否定。また田辺聖子は、ノンフィクションを加えることには賛成としながらも、シナリオや劇作はべつだと主張、《文体、文章というものが大きい要素になるのと、セリフだけで綴る文学と同質に扱うのは、少しちがう、っていう気がします》と語っている。

話題は、歴史小説と時代文学の違い、また小説における史実・時代考証の扱いにもおよぶ。そのなかで五木が、当時ベストセラーとなっていた荒俣宏『帝都物語』は直木賞候補になるかどうかと投げかけたところ、また議論となり、さながら模擬選考会といった様相を呈す。

議論といえば、芥川賞・直木賞ははたして“人”に与えられるものなのか、“作品”に与えられるものなのか、ということも長らく意見の分かれるところだ。

「全記録」ではたとえば、第75回芥川賞に選ばれた村上龍「限りなく透明に近いブルー」について、選考委員らが作品の完成度以上に作者の資質や才能を買って授賞を決めたことがコラムに記されている。同様の話は、第1回直木賞の川口松太郎のときにもあったようで、このときの選考委員のひとり吉川英治は選評で《川口君の近作の巧緻な所は充分に感心してゐるが、早く、小成させたくない気もする。(中略)文学的苦労に於ては生若いのである。(中略)ここで一皮剥いで、もつと、作家的川口になつてもらひたいと思ふ》と書いていた(「直木三十五追憶」)。これらの例から察するに、芥川賞および直木賞は“人”と“作品”両方に与えられるものと考えるのが妥当なのではないか。

両賞が150回もの長きにわたって続いてきたのも、実際に受賞時の選考委員の期待にこたえた作家が多数出たからだともいえそうだ。日本に文学賞は数あれど、一般的な知名度からすれば、やはり両賞にかなうものはない。『芥川賞・直木賞150回全記録』のデータや対談を読み解けば、そうなった理由も垣間見えてくるはずだ。

*『芥川賞・直木賞150回全記録』

(近藤正高)