実録8.15靖国「英霊なんていないぞ〜!」突き立てられた中指はどこを向いていたのか
「差別の元凶天皇制、はんた〜い!」
「戦争で死ぬことを、賛美するな〜!」
「英霊なんて、いないぞ〜!」
掲げるプラカードには「『靖国』NO!」。
スピーカーから繰り出されるスローガン。鳴り響くスネアドラム。そして、嵐のような怒号。
「日教組の教師出てコイオラァ、日教組!」
「さっさと半島に帰れよ! 朝鮮人がぁ!」
「クソ左翼ども! ぶっ殺すぞ!」
【午後4時30分 最も暴力を受けるデモ】
2013年8月15日。東京都千代田区。
35度の炎天下、終戦記念日の靖国神社周辺は、混迷を極めていた。
喧噪の中心は「8.15反『靖国』行動」。中曽根首相(当時)の靖国参拝が注目されていた1984年から毎年行われてきたデモである。
「靖国・国家による『慰霊』の反対」や「天皇制の戦争責任・植民地支配責任批判」の声をあげるのが目的だ。
デモ隊の人数は、約250名。第2次安倍内閣誕生と憲法改正への動きをうけて、今年は過去最大の参加者が集まった。
活気に溢れるのは、デモ隊だけではない。警備にあたる無数の警官隊。沿道には、歩くのも困難なほど、人、人、人。突き立てられる中指、投げられる罵声。いわゆる、デモ行進に対する「カウンター」である。
Tシャツ姿の若者が警備の隙間を縫い、突入した。襟首を乱暴につかむ公安警察。あっという間に取り押さえられた。
「お巡りさん、やりすぎだよぅ。そこまでやることないだろぉ」
見た目はいたって普通の青年だ。
今回が初参加だというAさん(40代男性)は、激しいカウンターに面食らっている。
「すごいですね。ちょっと驚きました」
――今まで、靖国神社を参拝したことはありますか?
「もちろんありません。軍国主義の象徴ですからね。戦争をするためにつくられた神社。それを美化しようとしている」
Aさんは言う。
「今は機動隊が『あちら』を向いて、私たちを保護している。でも、いずれは『こっち』を向いてくるようになるんです」
――それは、憲法が変わればということですか?
「憲法もそうだけど、安倍政権ですから。そういうふうになると思う。結局、憲法だけでは人権は守れないんです。だから、こうやって市民が声をあげないと」
なにやら不気味な人形を掲げているBさん(30代男性)。骸骨の身体に、昭和天皇の顔写真。頭には鬼の角、額にはナチスの鉤十字が。
――これはどういう……?
「昭和天皇ヒロヒトです。分かり易いでしょう。プラカードよりも」
行進の最中、Bさんの人形がなぎ倒されているのが見えた。警官隊とカウンターとが揉みくちゃになっていて、彼の安否は確認できない。
「帰れこのヤロウ! 死ねぇ!」
デモ隊の倍以上はいると思われるカウンターたちの圧力。「いま最も暴力を受けるデモ」とは、配られた声明文にある言葉。実際2009年には、右翼団体関係者から殴打された者もいたという。鼻を骨折し、全治2週間の怪我を負った。
――怖くはないですか?
「いいや」と落ち着いた表情を見せるのは、毎年このデモに参加しているというCさん(60代男性)。彼の続けた言葉に、私はゾッとした。
「でも、あいつらナイフ持ってるからね」
【午後5時 職業右翼の抗議作法】
終戦記念日であるこの日。多数の右翼団体が、朝から靖国周辺で政治活動を行っていた。
作業着に似た戦闘服には「愛國」の刺繍。真っ黒な街宣車には「反共」の文字。職業右翼たちは言わばプロである。黙って見ているはずがない。
プロの右翼たちは集団でデモ隊を狙う。警官隊のガードが緩くなったところで、一斉に仕掛けるのだ。
「オラ、行くぞ!」
年長者の一声。5、6人が一気に柵に飛びつく。慌てて駆け寄る警官隊。
「離せやコラ!」
一人、また一人と降ろされていく。
「ダメだったよ。畜生!」。汗まみれになりながら、清々しい笑顔を見せる。がっしりとした肉体。短く刈った頭。信念に燃える男の表情。やはりプロは、ひと味違う。
靖国神社の最寄り駅、九段下駅交差点にデモ隊が差し掛かる。現場は、もはや無秩序状態だ。柵を乗りこえるカウンター。衝突する人々。投げ込まれるペットボトル。いつ怪我人がでてもおかしくない状況である。
ついに歩道の完全封鎖が実行された。苛立つプロ右翼たち。
「なぁ、開けろよオラァ! また鉄柵曲げちまうぞぉ!? 去年みたいに壊されたいかコラ!」
言い回しがツボに入ったのか、警官のひとりがニヤッとしてしまった。
「オイ、何が可笑しいんだコラァ!」。
険しい表情に戻す警官。
「よーし、お前らやっちまうぞ。ほらほら、ぶら下がれ! せーのっ!」
3人でぶら下がる。鉄柵は曲がらない。何度やってもびくともせず、はてには懐柔策にでた。
「なぁ、頼むよ。俺たちはよ、可愛い可愛い自衛隊、警察官を守るためにやってんだからよ。な、開けろ?」
もはやそこに、デモ隊の姿なかった。
【午後5時35分 終戦】
結局、デモ隊は靖国神社へ向かうことはなかった。
デモ行進の終点は水道橋付近の公園。横断幕はカウンターにとられてしまったが、幸い怪我人はいなかった。
Bさんの無事も確認できた。人形は、いつの間にか手元に戻って来たと言う。
「誰かが取り返してくれたのかな。帰るとき荷物になるから、そのまま持って行ってくれてよかったんですけど」
代表者であるDさんの話によると、「行動する保守」がデモに対して抗議活動をするようになったのは、99年くらいからだそうだ。当時は「主権回復を目指す会」の西村修平たちが先導していた。カウンターはせいぜい20名程度だったという。
ところが近年、その人数が急増している。
なにより、2000年代後半から勢力を増した在特会の存在が大きい。
デモ開始の3時間前。雑居ビルの一室で行われた集会。「歴史研究会」という団体が向いの部屋に陣取り、「反『靖国』行動」側を牽制していた。その中には、在特会会長・桜井誠の姿が。
――在特会の主張について、どう思われますか?
「共感はできません。言っていることもよく分かりませんし。彼らは『朝鮮人は日本から出ていけ』と主張しますが、それはレイシズムです。許すことはできません」
全員で一通りスローガンを斉唱し終え、いったん解散ということに。
おつかれさん、と話しかけられた。Eさん(60代男性)の父親は日本軍の兵士だったという。
「オヤジもフィリピン人を何人も殺したけど、やらせたのは天皇じゃねえかよ。俺は、大きくいえば、戦争反対って言いたいんだ。歳くっちまったかな、前ほど足がついていかねえなぁ」
一杯呑みにいくわ、そう言い残して彼は公園を後にした。
デモ隊、カウンター、右翼団体、警察関係者を全て含むと、ゆうに数千人の規模となった今回の8.15デモ。
そのほとんどが、戦争を直接的に知らない世代である。
靖国神社の境内。観光客向けに、写真屋を営んでいるおばあさんがいる。戦前に生まれ、40年以上に渡って靖国を見てきた。小泉首相(当時)の靖国参拝がきっかけとなり、人が増え始めたという。
「あなたたちが卵になるずうっと前から、ここで写真を撮ってるわよ。すぐそこの門も、火を着けられたんだから。まあ、人それぞれ思うところはあるんだろうけどねぇ……」
(HK 吉岡命・遠藤譲)
「戦争で死ぬことを、賛美するな〜!」
「英霊なんて、いないぞ〜!」
掲げるプラカードには「『靖国』NO!」。
スピーカーから繰り出されるスローガン。鳴り響くスネアドラム。そして、嵐のような怒号。
「日教組の教師出てコイオラァ、日教組!」
「さっさと半島に帰れよ! 朝鮮人がぁ!」
「クソ左翼ども! ぶっ殺すぞ!」
【午後4時30分 最も暴力を受けるデモ】
35度の炎天下、終戦記念日の靖国神社周辺は、混迷を極めていた。
喧噪の中心は「8.15反『靖国』行動」。中曽根首相(当時)の靖国参拝が注目されていた1984年から毎年行われてきたデモである。
「靖国・国家による『慰霊』の反対」や「天皇制の戦争責任・植民地支配責任批判」の声をあげるのが目的だ。
デモ隊の人数は、約250名。第2次安倍内閣誕生と憲法改正への動きをうけて、今年は過去最大の参加者が集まった。
活気に溢れるのは、デモ隊だけではない。警備にあたる無数の警官隊。沿道には、歩くのも困難なほど、人、人、人。突き立てられる中指、投げられる罵声。いわゆる、デモ行進に対する「カウンター」である。
Tシャツ姿の若者が警備の隙間を縫い、突入した。襟首を乱暴につかむ公安警察。あっという間に取り押さえられた。
「お巡りさん、やりすぎだよぅ。そこまでやることないだろぉ」
見た目はいたって普通の青年だ。
今回が初参加だというAさん(40代男性)は、激しいカウンターに面食らっている。
「すごいですね。ちょっと驚きました」
――今まで、靖国神社を参拝したことはありますか?
「もちろんありません。軍国主義の象徴ですからね。戦争をするためにつくられた神社。それを美化しようとしている」
Aさんは言う。
「今は機動隊が『あちら』を向いて、私たちを保護している。でも、いずれは『こっち』を向いてくるようになるんです」
――それは、憲法が変わればということですか?
「憲法もそうだけど、安倍政権ですから。そういうふうになると思う。結局、憲法だけでは人権は守れないんです。だから、こうやって市民が声をあげないと」
なにやら不気味な人形を掲げているBさん(30代男性)。骸骨の身体に、昭和天皇の顔写真。頭には鬼の角、額にはナチスの鉤十字が。
――これはどういう……?
「昭和天皇ヒロヒトです。分かり易いでしょう。プラカードよりも」
行進の最中、Bさんの人形がなぎ倒されているのが見えた。警官隊とカウンターとが揉みくちゃになっていて、彼の安否は確認できない。
「帰れこのヤロウ! 死ねぇ!」
デモ隊の倍以上はいると思われるカウンターたちの圧力。「いま最も暴力を受けるデモ」とは、配られた声明文にある言葉。実際2009年には、右翼団体関係者から殴打された者もいたという。鼻を骨折し、全治2週間の怪我を負った。
――怖くはないですか?
「いいや」と落ち着いた表情を見せるのは、毎年このデモに参加しているというCさん(60代男性)。彼の続けた言葉に、私はゾッとした。
「でも、あいつらナイフ持ってるからね」
【午後5時 職業右翼の抗議作法】
終戦記念日であるこの日。多数の右翼団体が、朝から靖国周辺で政治活動を行っていた。
作業着に似た戦闘服には「愛國」の刺繍。真っ黒な街宣車には「反共」の文字。職業右翼たちは言わばプロである。黙って見ているはずがない。
プロの右翼たちは集団でデモ隊を狙う。警官隊のガードが緩くなったところで、一斉に仕掛けるのだ。
「オラ、行くぞ!」
年長者の一声。5、6人が一気に柵に飛びつく。慌てて駆け寄る警官隊。
「離せやコラ!」
一人、また一人と降ろされていく。
「ダメだったよ。畜生!」。汗まみれになりながら、清々しい笑顔を見せる。がっしりとした肉体。短く刈った頭。信念に燃える男の表情。やはりプロは、ひと味違う。
靖国神社の最寄り駅、九段下駅交差点にデモ隊が差し掛かる。現場は、もはや無秩序状態だ。柵を乗りこえるカウンター。衝突する人々。投げ込まれるペットボトル。いつ怪我人がでてもおかしくない状況である。
ついに歩道の完全封鎖が実行された。苛立つプロ右翼たち。
「なぁ、開けろよオラァ! また鉄柵曲げちまうぞぉ!? 去年みたいに壊されたいかコラ!」
言い回しがツボに入ったのか、警官のひとりがニヤッとしてしまった。
「オイ、何が可笑しいんだコラァ!」。
険しい表情に戻す警官。
「よーし、お前らやっちまうぞ。ほらほら、ぶら下がれ! せーのっ!」
3人でぶら下がる。鉄柵は曲がらない。何度やってもびくともせず、はてには懐柔策にでた。
「なぁ、頼むよ。俺たちはよ、可愛い可愛い自衛隊、警察官を守るためにやってんだからよ。な、開けろ?」
もはやそこに、デモ隊の姿なかった。
【午後5時35分 終戦】
結局、デモ隊は靖国神社へ向かうことはなかった。
デモ行進の終点は水道橋付近の公園。横断幕はカウンターにとられてしまったが、幸い怪我人はいなかった。
Bさんの無事も確認できた。人形は、いつの間にか手元に戻って来たと言う。
「誰かが取り返してくれたのかな。帰るとき荷物になるから、そのまま持って行ってくれてよかったんですけど」
代表者であるDさんの話によると、「行動する保守」がデモに対して抗議活動をするようになったのは、99年くらいからだそうだ。当時は「主権回復を目指す会」の西村修平たちが先導していた。カウンターはせいぜい20名程度だったという。
ところが近年、その人数が急増している。
なにより、2000年代後半から勢力を増した在特会の存在が大きい。
デモ開始の3時間前。雑居ビルの一室で行われた集会。「歴史研究会」という団体が向いの部屋に陣取り、「反『靖国』行動」側を牽制していた。その中には、在特会会長・桜井誠の姿が。
――在特会の主張について、どう思われますか?
「共感はできません。言っていることもよく分かりませんし。彼らは『朝鮮人は日本から出ていけ』と主張しますが、それはレイシズムです。許すことはできません」
全員で一通りスローガンを斉唱し終え、いったん解散ということに。
おつかれさん、と話しかけられた。Eさん(60代男性)の父親は日本軍の兵士だったという。
「オヤジもフィリピン人を何人も殺したけど、やらせたのは天皇じゃねえかよ。俺は、大きくいえば、戦争反対って言いたいんだ。歳くっちまったかな、前ほど足がついていかねえなぁ」
一杯呑みにいくわ、そう言い残して彼は公園を後にした。
デモ隊、カウンター、右翼団体、警察関係者を全て含むと、ゆうに数千人の規模となった今回の8.15デモ。
そのほとんどが、戦争を直接的に知らない世代である。
靖国神社の境内。観光客向けに、写真屋を営んでいるおばあさんがいる。戦前に生まれ、40年以上に渡って靖国を見てきた。小泉首相(当時)の靖国参拝がきっかけとなり、人が増え始めたという。
「あなたたちが卵になるずうっと前から、ここで写真を撮ってるわよ。すぐそこの門も、火を着けられたんだから。まあ、人それぞれ思うところはあるんだろうけどねぇ……」
(HK 吉岡命・遠藤譲)