『投手論』(吉井理人/PHP新書)
近鉄で最優秀救援投手、ヤクルトでは日本一に貢献。メジャーでも32勝した吉井理人が、日本ハムを優勝に導いた投手魂とは。

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ダルビッシュ、田中将大という日本の2大エースを指導した佐藤義則。
ドラゴンズ前監督・落合博満を支え、全幅の信頼を得ていた森繁和。
2000年代の福岡ソフトバンクホークス黄金期の立役者、尾花高夫……
名投手、そして強いチームの影には優れた投手コーチの存在がある。
であるならば、この男もまた「名コーチ」の一人であるだろう。

吉井理人・北海道日本ハムファイターズ前投手コーチ。
メジャー3球団での32勝を含め、日米通算121勝。そして、昨年まで5年間コーチを務めた日本ハムで2度のリーグ優勝に貢献した男がこの春、『投手論』を上梓した。

吉井といえば昨年、ダルビッシュの抜けた穴を見事に埋めて日ハムのパ・リーグ制覇に貢献しながらもシーズン後に退任。そのことで、監督・栗山英樹との不仲説が叫ばれていた。前回レビューした愛甲猛・著『球界への爆弾提言』の中にもこんな記述があった。
《偉いのは、栗山と絶対に合わない性格の吉井理人が、何一つ文句を言わずに退団したことだ。プロでそれこそ死ぬ思いをしてきた吉井にとって、何の実績もない斉藤の開幕投手起用は、どのように感じただろう。俺には手に取るようにわかる》

実際のところはどうだったのだろうか。当の吉井本人の弁が『投手論』の中で綴られている。

《栗山監督が斉藤を開幕投手にしたことに僕が大反対、そのことも僕がやめたことにつながった一因だという声もある。斉藤のことで監督と言い合いになったことは何度もあるが、開幕については世の中で言われていることと真逆である》
《斉藤は二年目の夏場に入り、二軍落ちした。そのことも世間では、栗山監督が擁護し、吉井コーチが使えないと判断したからだと言われているが、これも逆である。投手コーチとしては斉藤を二軍に落としたくなかった》

本書の中で吉井は、コーチとして身近に接していたからこそ把握できた斎藤佑樹という投手の「特殊性」を解説する。
その特殊性とは往年の名投手にして吉井の憧れ・東尾修と同質の「味」。年に20敗以上を2度も経験しながらプロで20年間、常にローテーションから外されなかった東尾と同様の「闘争心」と「体の強さ」が斉藤にはあり、それはプロ野球界を見渡してもなかなか見つけることができない才能であるという。

この斉藤の例に漏れず、本書では、選手や監督、コーチたちのポジティブな面に光を当てていく。
いわば球界の「ポジだしの書」。
そして、投手がポジティブな結果を出すためのエッセンスをまとめたのが、「第3章 投手コーチが教えられるたった一つのこと」だ。

ここで吉井は、日本人投手がメジャーに行くとなぜ急にスピードが速くなるのか、という命題を提示し、その解として「コンディショニング」の重要性を説く。
ここ言う「コンディショニング」には“調整法”が含まれるのはもちろん、故障しにくく疲れにくい投球フォームのための“体重移動“なども含まれてくる。
野茂英雄やダルビッシュ、長谷川滋利など、メジャーで結果が出せる投手はこの「コンディショニング」ができており、松坂大輔が不振に陥った原因もここに起因するという。
そしてこの「コンディショニング」を組織的に整備していくことが投手コーチの務めであり、監督とは相反する部分であると語る。
《「采配」と「起用」。このふたつは似て非なるものである。監督は「采配」にこだわる。左打者には左投手というのはまさに采配である。一方、投手コーチは「起用」にこだわりたい》
吉井×栗山の例だけでなく、昨年の中日ドラゴンズ:高木×権藤の対立軸なども、投手コーチの言い分がわかってくるとまた見え方が違ってきて面白い。

本書では他にも、野茂英雄へのリスペクト、仰木彬・権藤博・野村克也・古田敦也など、吉井がこれまで目にしてきたコーチ・監督たちの「どこがすばらしかったか」が描かれていくのだが、上述の斉藤の例同様、対峙する人間のポジティブな部分を見つけようという姿勢が貫かれていくのは、選手の自主性を重んじ、サポートに徹するメジャーの指導方法を経験してきたからこそだ。
考えてみると、野茂英雄のメジャー挑戦以降、イチロー、佐々木主浩、新庄剛志、長谷川滋利などなど数多くの選手が海を越えたが、その経験を日本球界で「コーチ」として還元できたのは吉井理人ただ一人。なんてもったいないことだろうか。
アメリカへの選手流出が「日本球界の地盤沈下」なんて叫ばれて久しいが、還元できる方法は他にもたくさんあるハズだ。

松井秀喜の国民栄誉賞の際、「将来の巨人軍監督」を既成事実のように叫ぶ一部報道にはげんなりしつつも、日本球界全体のことを考えれば、メジャー経験者が指導者として増えていくキッカケになるかもしれない……本書『投手論』を読みながらふとそんなことも感じた。
(オグマナオト)