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■マルクスの「疎外」は誤解されている

労働におけるやりがいについて、私たちはどのように考えればいいのか。まず私は、「疎外された労働」という言葉を想起した。若き日のマルクスが『経済学・哲学草稿』の中で初めて使用し、資本主義下での労働に対する違和感を表した言葉である。

マルクスによれば、労働者は資本家の支配下に組み込まれることで、「本来の労働」から疎外されてしまった存在だ。では、この「本来の労働」とは何か。同書を読むと、当時の彼が資本家によって搾取される以前の労働には、多くの喜びや楽しさがあると考えていたことがわかる。私もまた、人間には労働や仕事に対して喜びを感じる素地が備わっている、と信じる1人だ。

1960年代、全共闘運動に参加していた私は、東京大学大学院を卒業してから大学を離れ、所沢で学習塾「赤門塾」を運営しつつ哲学の勉強を続けてきた。以来、40年にわたって私塾を続けているが、その中で強く実感するようになったことがある。

塾を始めたばかりの頃は、塾の運営は生活のための手段にすぎなかった。あくまでも私は哲学を学びたいのであり、子供たちに勉強を教えることはお金を得るための仕事だという意識があった。ところが塾の中でともに勉強をし、様々な行事を生徒と一緒につくり上げているうちに、私はこの考えをあらためるようになった。

赤門塾では演劇や合宿などの様々な課外活動を行っている。共同作業をしているときの子供たちの様子は、何とも魅力的なものだ。彼らはその場で様々なことを相談し合い、助け合いながら、1つの作業を成し遂げていく。

また、塾のOB、OGの高校生や大学生がやってきては、塾での活動を生徒たちと一緒になって盛り上げてくれる。そうした共同作業の中で彼らが見せる表情が実に魅力的なのだ。

10泊11日の夏合宿での自炊生徒の経験を踏まえていうと、マルクスのいう「本来の労働」の喜びとは次のようなものだろう。

ある土地に何人かの人間が住むとする。彼らはみなで仕事を分担し、畑を耕し、山で木を伐り、川から水を運んで生活する。また、彼らはその生活をより便利に、豊かにするために道具を発明し、環境を人間の暮らしやすいものに改良していく。その世界では労働は彼ら自身のもので、人々は自ら計画を立て、日々の生活をより楽しくするために働いている。そして成果を自分たちで享受し、仲間とともに喜びを分かち合う――。

理想像ではあるが、労働には本来こうした喜びの要素が十分に備わっている。問題は私たちがそのような労働本来の喜びに対して、目を向けることが少なくなっていることだろう。

塾の行事はまさしく、共同作業の「喜び」が生まれる場であった。塾生の成長、彼らのいきいきとした表情や可能性。彼らとの対話やともに工夫し、何かをつくり上げていく感覚……。

私にとって塾の仕事は次第に楽しみなものへと変わっていった。それは単にお金を稼ぐための手段として私塾の活動を捉えていた私が、仕事そのものの中にある面白さ、楽しさに気付いていく過程でもあったと言えるだろう。

たとえどのような仕事でも、企業がどんな「働き方」を求めていようとも、労働の持つ本来の喜びが消えてなくなることはない。ともに働く同僚と気持ちが通じ合ったり、自ら創意工夫をしたりする喜び。それが人間にもともと備わった感情である限り、仕事に対するやりがいは必ず見つかるはずだ。そこからは、喜びを抑えかねない管理体制への抵抗も生じてくると思う。

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哲学者 
長谷川 宏 
1940年生まれ。著書に『新しいヘーゲル』『高校生のための哲学入門』、訳書にマルクス『経済学・哲学草稿』、ヘーゲル『精神現象学』など多数。

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(哲学者 長谷川 宏 構成=稲泉 連 撮影=永井 浩)