『会社員とは何者か?』(伊井直行/講談社)“果たして会社員は小説の主要な登場人物になりえるのか? 著者はこんな命題を抱え、会社員が主人公の古今の小説に切り込んでいきます。取り上げられるのは、源氏鶏太、山口瞳、庄野潤三、黒井千次、坂上弘、絲山秋子、長嶋有、津村記久子、カフカ、メルヴィル……。そこから見えてくるのは、自明なものとして受けとめられている「会社員」という言葉・存在に潜む謎だった。いったい、会社員とは何者なのか?”

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“とすると、なんと、会社員はガンダムだったのである。いや、逆だ。ガンダムが会社員だったのだ。”
『会社員とは何者か?』の一節だ。
サブタイトルは、「会社員小説をめぐって」。

「会社員小説とは何か?」をめぐる冒険のようなテキストだ。
会社員を、作家の視点から、小説を使って読みとくという今までになかった内容になっている。
著者は、作家の伊井直行。
群像文学新人賞『草のかんむり』(この大傑作が入手困難である日本出版構造腐敗に呪いあれ!)、野間文芸新人賞受賞作『さして重要でない一日』、激流に分断された市をめぐる小説『濁った激流にかかる橋』、謎の生物レワニワをめぐる物語『ポケットの中のレワニワ』などの作者だ。
読んだことのない人は、読むといいです。おもしろい小説たちです。

さて。
なぜ会社員はガンダムなのか。ガンダムが会社員なのか。
それは、会社員小説のあり方をめぐって試行錯誤してくる中で発見される。
夏目漱石の作品が例として挙げられ、
“仕事や労働といったものを排除することで「純化」されており、その清浄な空間の内部で、登場人物どうしの人間関係の政治力学が発動されるのである”と指摘する。
近代小説においては、“会社勤めをする人間の労働については、無視することが暗黙のルールだった”。
いわゆる「人間を描く」というなかでは、労働を描写することがノイズになってしまうのだ。
これを上手く解決しているのが村上春樹。失業した成年男性や、翻訳会社を成功させたという設定で生活費のことで頭を悩ませなくていい主人公を成立させている、という考察も興味深い。

このあたりから本書はどんどんスリリングで面白くなる。
作家である伊井直行が、「会社員小説とは何か」を定義するために、さまざまな会社員を描く小説を取り上げ、検証するのだ。
まずは経済小説。
伊井は、そこに描写される家族やプライベートが「紋切り型」であり、役割としての登場人物になっていることを指摘する。

その後、取り上げられる作品の幅の広さ、豊かさも本書の魅力のひとつだ。
検証される小説の数々を、リストアップしよう。

津村記久子「アレグリアとは仕事はできない」
長嶋有「泣かない女はいない」
明野照葉『家族トランプ』
源氏鶏太「英語屋さん」
庄野潤三「プールサイド小景」
山口瞳『江分利満氏の優雅な生活』
城山三郎『毎日が日曜日』
伊井直行「さして重要でない一日」
絲山秋子「沖で待つ」
伊藤たかみ「八月の路上に捨てる」
盛田隆二『ありふれた魔法』
黒井千次と坂上弘の作品。
カフカ「変身」
メルヴィル「バートルビー」

会社員小説らしきものを検討していく中で、公(会社・仕事)と私(家庭・私生活)の双方を併せ持った人物がほとんど描かれていないことが、浮きぼりにされる。
“会社員を描くのに、多くの作者は、仕事あるいは家庭のどちらかを選択し、残りの半面を月の裏側のように見えないまま放置したことになる”。
なぜなのか?
「法人としての会社員」が検証される。
“会社が法人企業であるとしたら、彼らは小さな法人となって働いて”おり、“ホワイトカラーの会社員は、会社という鎧を着ているのである”。
そして、最初に引用した「会社員はガンダムである」説に到達するのである。
“操縦者はロボットを動かすのに、ロボットの中に入り、その一部とならなくてはならないのだ。大きな固い殻に守られた人間は、生身の人間であり得ない力を発揮する。会社を代表し法人と化して働く会社員がそうであるように”。
(そう考えると、「エヴァンゲリオン」は、ニートの息子が親父のコネで会社に入ったけど、辛くて、母さんのいる家で引きこもっていたいという願いと葛藤するアニメだったのだ!)
“会社員小説において、会社員である時には家庭(私生活)が見えず、家庭にいる会社員を描いた時には、会社(仕事)が見えない。こうした「会社員小説」の構造は、実際の会社・会社員のあり方―一人の人間が会社では法人に、家庭では自然人になること―と重なっていた”。
現実の会社員そのものが、公私断絶しているのだ。

不思議な本だ。
ひとりの作家が、おそらく自分がどのような小説を書くべきなのかを模索する中で、「会社員が描かれる小説」を論じ続ける。
会社員とは何か。小説とは何か。表現するとはどういうことか。
捉えにくい何かのまわりを旋回していき、その軌道によって、どうにかそれを捉えようとする。目に見えない、把握の難しい何かを。
本書『会社員とは何者か?』は、「ベランダのヒヨドリを写真に撮ろうとして失敗」してしまうエピソードから始まる。
“文章は、ヒヨドリの羽ばたきをカメラのように写しとることはできない。だが、画像として記録されることなく永遠に消えてしまったその一瞬を、あったこととして書きつけることはできる”。
そして、読むことによって、読者の頭の中で、それは「あったこと」として共有される。

考えること、読むこと、書くことの力に満ちあふれる一冊。会社員である人はもちろん会社員じゃない人も(つまり、みんな!)、読むべし。オススメ。(米光一成)