11/24プロ野球トライアウト直前 古木克明「復帰してホームランを打っているシーンしか思い浮かばない」
■格闘家デビュー戦は怖くて逃げ出したかった
――24日に迫ったプロ野球合同トライアウトで、前代未聞の球界復帰を目指す古木さんですが、なぜ急に格闘技を引退して野球界復帰を目指したのでしょうか?
「ひとつは、やっぱり自分の中から野球が消えなかったことです。格闘技のトレーニングをしていても、気づいたら『これはバッティングの動きに応用できるな』などと考えてしまっているんです。トレーナーの方に『自分のなりたい未来の姿を画用紙に描いてみろ』と言われても何も思い浮かばなかったんですが、野球ならばすらすら描けるんです。『あ、夢とか目標ってこういうことか』って再認識した感じです」
――本心の自分が求める場所は格闘技ではなく野球だったと。
「それともうひとつは死ぬ覚悟で挑んだ大晦日のオロゴン戦。本当に死ぬかと思った(苦笑)」
――デビュー戦にもかかわらず、逃げずに玉砕覚悟で前に出て闘った姿勢は感動的でしたよ。
「デッドボールを食らっても痛いと思ったことは一度もありませんでしたけど、格闘技のソレは別次元の話でしたから……」
――あぁ……なまじ体が強かったのが裏目に出ちゃったんですね。
「ええ。正直、勘違いしていたところもあると思います。でも、大晦日のアンディ戦の試合前、本当は怖くて怖くて、逃げ出したかったんです。前日まで『明日、会場のさいたまスーパーアリーナが突然消滅していないかな』とかそんなことばかり考えていました。
でも、ここで逃げたら『やっぱりイロモノだ』で終わってしまう。格闘技に転身する時もファンの方から『ふざけるなよ!』という声をさんざん聞きましたし、道場に出稽古に行き一生懸命に励んでも周りからは『どうせ元野球選手だろ』という色眼鏡で見られていましたから……。
アンディのストレートを食らった時、『ここであきらめたら皆の思いどおりになってしまう』という意地や悔しさが足を立たせていたんだと思います。だけどその分、これ以上続けたら本当に死ぬな、という意識が強くなり引退するしかないと。家族を残して、ひとりだけ死ぬなんて勝手は絶対にできないですから……」
――しかし、格闘家転身時の本誌のインタビューでも「野球には未練がない」とキッパリ宣言していたので、まさかの球界復帰宣言には度肝を抜かれました。
「未練は本当になかったんですけどね。実はオリックスでの最後の1年間は、コーチと取っ組み合いのけんかをしたくらい野球に対して真剣に取り組めましたし、トライアウトも2回とも受けてダメだったんで、本当にやりきったと思えたんです。だから、言い方がすごく難しいけど……今回のことは未練ではなく、新しい挑戦というような」
――プロ野球の歴史からしても新しすぎる挑戦だと思います。賛否も相当あったと思いますが。
「それが思った以上に温かい声が多くて、なんというか……すげぇうれしかったです。厳しい声も当然ありますけど、格闘家になる時にもさんざんバカにされましたし、それに否定的な意見でも、僕に興味を持ってくれていることですから、ありがたいととらえるようにしています。もちろん時々はヘコみますよ。でも、一番怖いのは周囲の声を恐れて挑戦する一歩を踏み出せなくなること。できるのにやらないなんて、そっちのほうが悔しいですからね」
――横浜時代には精神的な脆(もろ)さが指摘された古木さんですが、紆余曲折(うよきょくせつ)を経て成長したんですね。
「どうなんでしょうね。ただ、子供の頃からずっと野球でちやほやされてきた人間が違う世界に行って、戸惑いあがいたことで見えてきたものはあると思います。
昔は野球をやってお金を稼いで、手の届く場所に妻と子がいて(今は実家に帰し、東京でひとり住まい)……そんな当たり前と思っていたことが相当恵まれた世界だったということに、外の世界に触れたことで気づかされました。格闘技では有名選手でも食っていくのは大変ですし、僕が野球界で悩んでいたことなんて本当に小さなものですよ。遠回りしたから気づけたんです。今なら若い選手に教えてあげられますし、この2年間は僕にとって必要な時間だったと素直に思えるんです」
――24日に迫ったプロ野球合同トライアウトで、前代未聞の球界復帰を目指す古木さんですが、なぜ急に格闘技を引退して野球界復帰を目指したのでしょうか?
「ひとつは、やっぱり自分の中から野球が消えなかったことです。格闘技のトレーニングをしていても、気づいたら『これはバッティングの動きに応用できるな』などと考えてしまっているんです。トレーナーの方に『自分のなりたい未来の姿を画用紙に描いてみろ』と言われても何も思い浮かばなかったんですが、野球ならばすらすら描けるんです。『あ、夢とか目標ってこういうことか』って再認識した感じです」
「それともうひとつは死ぬ覚悟で挑んだ大晦日のオロゴン戦。本当に死ぬかと思った(苦笑)」
――デビュー戦にもかかわらず、逃げずに玉砕覚悟で前に出て闘った姿勢は感動的でしたよ。
「デッドボールを食らっても痛いと思ったことは一度もありませんでしたけど、格闘技のソレは別次元の話でしたから……」
――あぁ……なまじ体が強かったのが裏目に出ちゃったんですね。
「ええ。正直、勘違いしていたところもあると思います。でも、大晦日のアンディ戦の試合前、本当は怖くて怖くて、逃げ出したかったんです。前日まで『明日、会場のさいたまスーパーアリーナが突然消滅していないかな』とかそんなことばかり考えていました。
でも、ここで逃げたら『やっぱりイロモノだ』で終わってしまう。格闘技に転身する時もファンの方から『ふざけるなよ!』という声をさんざん聞きましたし、道場に出稽古に行き一生懸命に励んでも周りからは『どうせ元野球選手だろ』という色眼鏡で見られていましたから……。
アンディのストレートを食らった時、『ここであきらめたら皆の思いどおりになってしまう』という意地や悔しさが足を立たせていたんだと思います。だけどその分、これ以上続けたら本当に死ぬな、という意識が強くなり引退するしかないと。家族を残して、ひとりだけ死ぬなんて勝手は絶対にできないですから……」
――しかし、格闘家転身時の本誌のインタビューでも「野球には未練がない」とキッパリ宣言していたので、まさかの球界復帰宣言には度肝を抜かれました。
「未練は本当になかったんですけどね。実はオリックスでの最後の1年間は、コーチと取っ組み合いのけんかをしたくらい野球に対して真剣に取り組めましたし、トライアウトも2回とも受けてダメだったんで、本当にやりきったと思えたんです。だから、言い方がすごく難しいけど……今回のことは未練ではなく、新しい挑戦というような」
――プロ野球の歴史からしても新しすぎる挑戦だと思います。賛否も相当あったと思いますが。
「それが思った以上に温かい声が多くて、なんというか……すげぇうれしかったです。厳しい声も当然ありますけど、格闘家になる時にもさんざんバカにされましたし、それに否定的な意見でも、僕に興味を持ってくれていることですから、ありがたいととらえるようにしています。もちろん時々はヘコみますよ。でも、一番怖いのは周囲の声を恐れて挑戦する一歩を踏み出せなくなること。できるのにやらないなんて、そっちのほうが悔しいですからね」
――横浜時代には精神的な脆(もろ)さが指摘された古木さんですが、紆余曲折(うよきょくせつ)を経て成長したんですね。
「どうなんでしょうね。ただ、子供の頃からずっと野球でちやほやされてきた人間が違う世界に行って、戸惑いあがいたことで見えてきたものはあると思います。
昔は野球をやってお金を稼いで、手の届く場所に妻と子がいて(今は実家に帰し、東京でひとり住まい)……そんな当たり前と思っていたことが相当恵まれた世界だったということに、外の世界に触れたことで気づかされました。格闘技では有名選手でも食っていくのは大変ですし、僕が野球界で悩んでいたことなんて本当に小さなものですよ。遠回りしたから気づけたんです。今なら若い選手に教えてあげられますし、この2年間は僕にとって必要な時間だったと素直に思えるんです」