東條英機元首相の曾孫が語る「東條」という姓へのコンプレックス、運命と向き合って見つけたオンリーワンな生き方
今回は株式会社カルチャージ代表取締役で、神社ライターでもある東條英利さんにお話を伺いしました。東條さんはあの東條英樹元首相の直系曾孫にあたる方です。この「東條」という姓を受けたことによる過去の葛藤と、その後の海外での数年間に及ぶ生活がご自身にどういった影響を及ぼしたのか。また、海外生活を通じて抱いた、東條さんならではの世界の中における日本という国や日本人への考察とは何か。東條さんにお話を伺うことで、今後の、国際社会の中での日本の役割や実際のビジネス、私たちそれぞれが充実した生活をすごしていく上で参考にすべきヒントが多数得ることができました。(聞き手/船井総合研究所:小林昇太郎、撮影/蛭間勇介)
東條 英利/株式会社カルチャージ代表取締役、神社人代表発起人/神社ライター、東條英機の直系曾孫。大学卒業後、東証一部上場企業にて金融職を担当、その代表として香港にて金融会社の設立・運営に携わる。同時に、その長き海外生活の中から日本人としての意識の覚醒とグローバル化に対応出来ない日本の将来に不安を抱き、帰国後、改めて、日本社会に貢献出来る社会起業家を目指す決意をする。2009年4月には株式会社カルチャージを設立。日本の文化を守るために神社のポータル&SNSサイト『神社人』のブランディングと普及活動に注力している。
小林 東條さんは、かの東條英機の直系の曾孫でいらっしゃると伺っております。幼少期から日常を通してそのことを感じる機会が多かったのではないかと推測しますが、実際のところはいかがでしょうか?
東條 私が「東條」という自分の姓を自覚したのは、小学校4年生くらいの時だったと思います。当時、『東京裁判』という長編の白黒ドキュメンタリーが公開されていました。それを観るために、親に映画館へ連れて行かれたのが最初のきっかけですね。
その頃学校に行ったら、定年間近の先生に、「俺は東條英機を知っているんだ」なんて言われて、「東條」の姓を揶揄されたのを記憶しています。ですから、どちらかと言うと子どもながらに負のイメージを抱いていて、すこし大人になってからも、国外へ出たら外国人たちは自分のことをどう思うだろうかと考えていました。
小林 ご自身の東條という姓にコンプレックスのようなものを感じておられたのですね。
東條 その考えにピリオドを打てたのは、社会人になってビジネスで香港へ行ったときです。トータルで4年滞在していましたが、そのうち最初の2年間は現地の人としか交流しないと決心していました。その結果、現地に親友と呼べるような存在が何人もできました。
ある時、話の流れで、その仲間たちに私の生い立ちを話してみました。そうしたら、「ああ、そうなんだ」とすんなり受け入れてくれまして。私は、抵抗感を持たれるのかなと勝手に思っていたんですが、逆に驚かされました。それとあわせて、目まぐるしく戦後の経済成長を遂げた日本人、そして日本という国が世界に認められていることを海外という地で実感しました。
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