サナエトークン騒動、すべては高市総理の夫「山本拓氏の『暴走』」から始まっていた

写真拡大 (全4枚)

唐突な「言い訳投稿」のワケ

高市早苗総理(65歳)が8月21日、自身のⅩに唐突にこんな投稿を行った。

〈①「中傷動画等をめぐる疑惑」について、(中略)私はこれまで30年以上衆議院議員を務め、総裁選にも3回立候補したが、他の候補を中傷したり、批判したりするようなことはせず、ひたすら自分の政策を訴えてきた〉

〈②「サナエトークンを巡る疑惑」について、(中略)3月2日まで、その言葉を聞いたこともなく、私も事務所も、そのようなものが暗号資産として発行され、取引されることを承認したことはない〉

高市総理は8月15日の靖国参拝を見送り。18日には、トランプ政権が国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子所長を「制裁対象」としたが、総理は「大変残念」と発言するのみで、強く抗議はしなかった。

中国やアメリカへの弱腰とも言える姿勢により、「支持基盤の保守層からも批判が出始めていることを総理は強く懸念している」(自民党幹部)という。支持率低下のきっかけとなった「誹謗中傷動画」と「サナエトークン騒動」について、改めてXで釈明をしたのは、その表れだろう。

頑なに自身の潔白をアピールする高市総理。だが、「中傷動画」と「サナエトークン」には、いまだに説明されていない謎がある。それは、そもそもなぜ、高市事務所が「NoBorder(以下、ノーボーダー)」と接点を持ったのか、ということだ。

ノーボーダーとの「説明できない事情」

ノーボーダーは起業家の溝口勇児氏が主導する事業で、サナエトークンは「NoBorder DAO」という関連会社から今年2月に発行された。中傷動画については、「NoBorder DAO」幹部の松井健氏が「自分が作成した」とネット番組で証言。高市事務所の木下剛志・公設第一秘書が、ノーボーダーとのオンラインミーティングに参加していたことも明らかになっている。

高市総理自身が関与していなかったとしても、'25年10月の総裁選の際に他候補の誹謗中傷動画が投稿され、サナエトークンが発行されたのは紛れもない事実である。ノーボーダーとの接点さえ持たなければ、高市総理の名を冠した前代未聞の仮想通貨が発行されることはなく、総理自身が釈明に追われる事態にもならなかったはずだ。

「実は問題の背景には、高市総理が『説明できない事情』があります。ノーボーダーとの接点を持つきっかけを作ったのは、高市総理の夫である山本拓さん(74歳)の『暴走』なんです」

こう証言するのは、高市事務所の内情をよく知る後援会関係者である。

山本氏は'90年の衆院選で福井県全県区から出馬し初当選。以降、衆議院議員を計8期務め、農林水産副大臣などを歴任した。高市氏とは'04年に結婚し、'17年に一度離婚したが、'21年に再婚。山本氏は'21年の衆院選落選後、妻のサポートに回り、'25年10月に高市氏が総理大臣になると、日本初の「ファースト・ジェントルマン」となった。

あるボランティアスタッフの存在

その山本氏が騒動の発端とは、どういうわけか。後援会関係者が経緯を明かす。

「話は'24年初頭に遡ります。当時、山本さんは高市事務所で、YouTubeでの発信に熱心に取り組んでいました。山本さんが頼りにしていたのが、高市事務所でボランティアスタッフとして働いていた木幡涼真氏でした」

木幡氏は同志社大2年のときに溝口氏が経営する会社に入社。当時は、「株式会社BACKSTAGE(以下、B社)」の社長室で溝口氏のもと勤務しながら、高市事務所でもYouTube配信を手伝っていた。

ちなみに、木幡氏は現在もB社グループに在籍してノーボーダーのプロジェクトマネジメントを担当しており、ネット番組にも多数出演。サナエトークンを巡る騒動が浮上した際には、ノーボーダー側スタッフとして高市事務所とのミーティングに参加していたことを明かしている。

関係者が証言を続ける。

「'24年初頭頃、木幡氏が山本さんに相談を持ち掛けた。それは、『溝口さんの会社が休みがなく、このままでは大学の単位が取得できず留年してしまう』という内容でした。可愛がっていた木幡氏から泣きつかれた山本さんは、『俺が話をつけてやる』と憤慨。溝口氏に直接抗議に行くと言い出しました」

これが一連のトラブルの引き金となった。

「事業を続けられなくするぞ」と恫喝

'24年2月、山本氏は木幡氏と共に溝口氏のオフィスに出向く。そして、初対面の溝口氏に山本氏は、

「俺の女房は高市だぞ」

「事業を続けられなくするぞ」

といった旨の脅し文句を一方的に浴びせたという。

「溝口氏側はこの『恫喝』を録音していたのです。溝口氏は名前こそ出さなかったものの、この日のことを自身のXに投稿。ネットニュースに取り上げられる事態になりました」(同前)

高市事務所内は大騒ぎになり、焦った山本氏は急遽、溝口氏に和解を持ち掛ける。'24年3月、木下秘書らを伴い、山本氏は菓子折りを持って再び溝口氏を訪ねたのである。

「山本さんは『イチゴ』『クッキー』『和菓子』と、手土産を3つも持って行って謝罪したそうです。これにより、高市さんや山本さんの名前は表に出ずに済みました」(同前)

ちなみに、この「菓子折り謝罪」についても、溝口氏はXに次のように投稿している。

〈多くの人に未だご心配をお掛けしてる大物政治家の件ですが、あの後、とても丁寧に謝罪に来てくれたのもあり、今はもう和解しています〉

以上が、山本氏の「暴走」の経緯だ。

【後編記事】『なぜ高市早苗総理は「夫の『暴走』」を止められなかったのか? 元秘書が明かす「意外すぎる夫婦の距離感」』につづく。

「週刊現代」2026年9月14日号より

【つづきを読む】なぜ高市早苗総理は「夫の『暴走』」を止められなかったのか? 元秘書が明かす「意外すぎる夫婦の距離感」