【小林 啓倫】社員にAIを自由に使わせた結果…「成果なきAI浪費」が招く「コスト爆発」の末路

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2026年6月10日、米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)が報じた1本のニュースが、大きな注目を集めた。ChatGPTでお馴染みのOpenAIが、AIモデルの利用料金の「劇的な値下げ」を検討しているというのである。しかも、ライバルのAnthropicが値下げに動くことを見越した、先回りの検討だという。

ただ、最近のAI界隈における「ある変化」を認識していた人々にとって、OpenAIとAnthropicの値下げ競争は、ある意味で当然の帰結だった。実は最近、米国企業の間で、膨れ上がる「AIの請求書」にどう歯止めをかけるかという点が、大きな課題として急速に浮上してきている。

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IPO直前に始まった値下げ検討

WSJによれば、OpenAIが検討しているのはトークン課金の大幅な引き下げで、Anthropicが同様の値下げに動くと見込んだ対抗措置だという。議論はまだ流動的だが、サム・アルトマンCEOは直近のイベントで、AIのコストが「大きな問題」になったと認め、「より少ない支出で、より多くの価値を得られる方法をたくさん用意できると思う」と語った。WSJは、経営幹部たちがAI利用料の高さに難色を示し始めたことが、値下げ検討の背景にあると指摘している。

実は、両社の価格競争は今回が初めてではない。2025年8月、OpenAIは新モデルGPT-5の利用料を入力100万トークンあたり1.25ドルに設定した。米TechCrunchは当時、Anthropicの主力モデル(同15ドル)を大幅に下回るこの価格設定を「価格戦争の引き金」になりかねない水準だと報じている。ただ、当時と今回では決定的に違う点がある。値下げ検討が浮上したのが、両社そろって株式公開(IPO)の入り口に立った、まさにそのタイミングだということだ。

Anthropicは6月1日、米証券取引委員会(SEC)に上場へ向けた登録届出書(S-1)のドラフトを非公開で提出した。OpenAIも1週間後の6月8日、同様の非公開申請を自ら公表した。「先日、機密扱いでS-1を提出した。どうせリークするだろうから、自ら発表することにした」というOpenAIの声明は、両社の対抗意識の過熱ぶりを物語る。米TheStreetによれば、IPO価格の決定を発表したばかりのSpaceXを含め、この3社の上場パイプラインの企業評価額は合計およそ3兆6000億ドルに達する。AI時代の評価額が、初めて公開市場の審判を受けようとしている。

値下げ合戦の賭け金は大きい。消費者向けではOpenAIが圧倒し、ChatGPTのアプリ利用者は5月、調査会社Sensor Towerの推計で月間10億人に達した。約3年半での到達は史上最速で、従来最速だったGoogle Mapsの記録(約5年)を塗り替えた。ただし同じSensor Towerのデータには、王者の足元を揺らす兆候も含まれている。Claudeのアプリ利用者は5600万人とChatGPTの規模には遠く及ばないものの、前年比の成長率は約640%と、ChatGPTの62%を大きく引き離す。さらに米国では、Claudeをインストールした既存のChatGPTユーザーが、その1か月後にはChatGPTの利用時間を直前8ヶ月の平均より約5%減らしていたという。一方、収益性の高い企業向け市場では、コーディング需要を握ったAnthropicが急速に存在感を増している。WSJは値下げの狙いを「ユーザーをめぐる戦争」への備えと表現しているが、この見立ての通り、それは個人と企業の両面で進む顧客の陣取り合戦なのである。

だからこそ、このタイミングでの値下げは諸刃の剣と言えるだろう。WSJは、計算資源の莫大なコストですでに数十億ドル規模の損失を出している両社にとって、価格競争は利益率をさらに侵食すると分析する。OpenAIについては、ユーザー数や収益が自社目標を下回ったことや、サラ・フライアーCFO(最高財務責任者)が巨額のデータセンター投資を支えきれなくなる可能性に懸念を示したことも、WSJの報道として伝えられている。投資家に成長と収益性を示すべき局面で、あえて単価を削る。それほどまでに顧客争奪戦は切迫しているのである。

単価の下落と請求額の膨張は両立する

ここでひとつの疑問が生じる。AIの値段がこれから劇的に下がるのなら、UberやMicrosoftが頭を悩ませた「AIコスト問題」は自然に解消するのではないか。

残念ながら、話はそう単純ではない。米Fortuneは今後について「AI利用の拡大は、単価が下がっているにもかかわらず、コストの増大を伴う」と予測している。その根拠となるのが、経済学の古典的な逆説である「ジェボンズのパラドックス」だ。これは「資源を効率よく(安く)使えるようになると、消費はかえって増える」という現象で、19世紀の英国で蒸気機関の効率改善が石炭の消費を逆に急増させたことに由来する。AIにも同じ力学が働く。トークン単価が下がれば、企業はより多くの仕事をエージェントに任せるようになり、総消費量は単価の下落分を上回って増えていく。値下げが請求書を軽くするとは限らないのだ。むしろ供給側から見れば、値下げはエージェント利用の裾野を広げ、トークン消費の総量を増やすための投資でもある。

付け加えれば、値下げがすべての価格帯で均等に起きるとも限らない。競争の激しい汎用的な処理の単価は下がっても、最先端モデルの最上位の能力には引き続き高い値札が付くと考えるのが自然だ。安くなったトークンに誘われて利用を広げた企業ほど、いざ高度な処理が必要になったときの支出の振れ幅は大きくなる。

しかも、その支出に見合う成果が出ているのかどうかを、企業自身がまだ説明できていない。Uberのアンドリュー・マクドナルド社長兼COO(最高執行責任者)は5月、ポッドキャスト番組「Rapid Response」で率直に認めた。Claude Codeの利用増と、そこで開発されるプログラムがもたらす、消費者に届く機能の革新との間に、「連関がまだ存在しない」というのである。同社のダラ・コスロシャヒCEOは決算説明会で、コミット済みコードの約10%を自律エージェントが書いていると述べているが、コードの量と事業の成果は別物だ。

では、値下げ戦争が本格化したとき、誰が倒れるのか。数十億ドルの赤字に耐えられるだけの資本を集めたOpenAIとAnthropicには、消耗戦を戦う体力がある。危ういのは、両社のAIモデルを借り、その上に簡単な追加機能と薄い付加価値を載せて提供するタイプのAIサービス事業者と、値下げに追随する体力を持たない下位のモデル開発企業だろう。土台となるモデルの価格が崩れれば、その上に乗る事業者の利幅から先に消えていく。戦争が起きているのは2社の間だが、流れ弾は業界全体に飛んでいくわけである。

日本企業は「膨れ上がるAIの請求書」にどう向き合うか

一連の動きは、日本企業にとって対岸の火事ではない。AI導入がこれから本格化する日本は、米国企業が一足先に踏んだ轍から学べる位置にいる。考えるべきことは3つある。

第1に、AI予算の設計思想だ。「1人あたり月額いくら×人数」という固定費型の発想は、従量課金時代には通用しない。クラウド黎明期に、使った分だけ請求される費用を統制するFinOps(クラウド支出を可視化し最適化する財務管理の規律)が生まれたように、AIにも利用量の可視化、部門別の配賦、上限の設定といったコスト統制の仕組みが必要になる。Uberが導入した月1500ドルの上限と社内ダッシュボードは、その最初期の実例と言える。

第2に、価格戦争は調達側にとって交渉の好機でもある。モデルの価格が流動化する局面では、特定ベンダーへの依存を避け、複数のモデルを乗り換え可能にしておく体制が、コストと交渉力の両面で効いてくる。Microsoftが社内ツールを自社製品へ集約した判断も、突き詰めればベンダー管理とコスト管理の問題だった。

第3に、最も重要なのは、AI支出の費用対効果を語る言葉を持つことだ。Uberのマクドナルド社長が認めた、AI利用と成果の「連関の不在」は、世界中の企業に共通する宿題である。「どれだけ使ったか」ではなく「使って何が変わったか」を測る物差しを持たない限り、請求書は膨らみ続け、いずれ経営からの問いに答えられなくなる。

OpenAIとAnthropicの値下げ競争は、AIの巨額利用料請求を解決するものではなく、むしろさらなる状況悪化の兆候に過ぎない可能性が高い。もちろんAIに多額の予算を費やすことが悪いのではないが、その支出の妥当性を説明する責任を負っているのは、利用者である私たち自身だ。あなたの会社は来月、AIの請求書を前に、経営層に対してどのような説明ができるだろうか?

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