「2度と出てこないレベルですよ」…現役を引退した、青木宣親が語る《イチロー・ダルビッシュ・大谷翔平》への本音【独自インタビュー】

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惜しまれつつ現役を去った背番号「23」

「本当に幸せな野球人生だったと思います。やり残したことがない状況で現役生活を終えることができるので、これまで関わってくださった皆さんに本当に感謝しています」

東京ヤクルトスワローズの青木宣親選手は、9月13日に行われた引退会見で21年間の現役生活をこう振り返った。引退会見の後も、試合に出てヒットを打ち『まだまだ現役でやれるのでは』という声も聞かれた。

10月2日に本拠地の神宮球場で行われた広島カープとの引退試合でも1番・センターで先発出場し2安打を放った。スタッフも含めてチーム全員が背番号「23」のユニフォームを着用するなど、みんなから愛されたスターだった。

引退後は、メジャーリーグのワールドシリーズや日本シリーズのテレビ中継の解説などで忙しい青木さんに今の心境を聞いた。

「来年はプレーヤーではないので、気持ちや日々の過ごし方がなんか楽になり、ちょっとリラックスした感じですね。

(引退してから)1回ランニングしましたけど、4日間ぐらい筋肉痛になりました。こんなにも変わるのかと思いましたね。食事制限などして太らないようにしています。身体の筋肉が落ちているのは凄く分かります。全然違いますね」

日本プロ野球で15年、メジャーリーグで6年の現役生活で、日米通算安打は史上5位の2730本、生涯打率(4000打数以上)は史上6位の3割1分3厘。

日本で首位打者3回、史上唯一の2度のシーズン200安打、シーズン最多安打2回、新人王、盗塁王、ベストナイン7回、ゴールデングラブ賞7回など、“走攻守”三拍子揃った球史に残る名選手だ。

WBCにも3回出場して二度の世界一(2006、2009年)に貢献し、北京五輪にも出場した。いつ頃、なぜ引退を決めたのだろうか。

「決めたのは引退会見の2週間前ぐらいです。自分の思ったようなパフォーマンスが出せないからですね。

ヒットはまだ打てそうだと思いましたけど、ただ長打を打てる感じはなかったですね。長打に拘りがある訳ではないですけど、やっぱり角度がつけばホームランになったり、二塁打や長打が出たりというのも、自分の大切な部分でしたから。

今年は特に、強く振ろうとすると体がブレ始めたんですよね。最後の方もヒットは出ていましたけど、ちょっと軽打のような感じで、『これだったらまだヒットは打てるかもしれないけど、(相手投手からしたら)怖さが無いな』と思いました」

家族がいてこその偉業

日本とアメリカで21年間もトップ選手として長く活躍する上で、最も大切にしてきたことを聞いてみた。

「やっぱり諦めないこと、負けないことじゃないですかね。いろんなことに対してチャレンジし続けたので。それが結果を残して行くのに一番必要なマインドだと思ったので。諦めなければ、いろんなアプローチを変えて、ずっと自分と向き合うことができるじゃないですか。

相手にも勝とうとしていたら、なんかそれで終わっちゃうような気がするんですよ。負けないと思うと、連続でチャレンジできそうじゃないですか。チャレンジし続けられる」

そしてもう一つ、現役生活を支え続けたのは、最も大切にしている家族の存在だ。

「(家族が)一番です。そばに居てくれたことが大きいですよね。子供の成長も嬉しいし」

長いキャリアの中で最も印象に残っているシーンは何なのだろうか。

「もう色々あるんですよね。ワールドシリーズに出たこともそうだし、初めて一軍で試合に出た時も、初めてヒットを打った時も、WBCで優勝したこともそうだし。

一番というのは、やっぱりヤクルトで日本一になったことです。自分の中では最後はもうそれしかなかったので。(アメリカから)ヤクルトに帰って来た時に、ヤクルトで優勝するという気持ち、ヤクルトを優勝させるんだという気持ちが凄くあったので、それが叶った時はもうやり残したことはそんなにないなあという感じがしました」

なぜこの投手がマイナーにいたんだ?」

数々の偉大な記録を残して来たが、日米通算2730安打と、首位打者3回と、史上唯一のシーズン200安打2回の中で、自分自身が最も大切なものは何かと聞いた。

「どれが一番大切というのは正直ないんですよ。自分がタイトルを獲りたいと思うのは、この野球界で生き残っていくため、自分の価値をどんどん高めていくためには必要なことだったから、打ち続けただけなので。

(日米通算で2730安打という)数字だけ見ても正直何も思わないですけど、歴代5位になった時に、上に居るのはイチローさん(4367安打)、張本さん(3085)、野村さん(2901)、王さん(2786)なんですよ。この名前を見た時に、もうなんかオーって、これって凄いことだなというのは思いました」

日本のプロ野球で対戦した中で、最も凄いと思ったピッチャーは誰なのだろうか。

「ダルビッシュ選手ですかね。ダルビッシュ選手は1打席目とか2打席目で対戦した時のボールの曲げ方とかが全然違うんですよ。例えばスライダーが特徴的なんですけど、色々なスライダーを投げてくるんです。それってなかなかできないことなんです。

今は割とそれがデータ化されていて、そういったことが出来るようになってきたんですよ。でもダルビッシュ選手は、データ化が当たり前になる以前の時代に、感覚的にそれをやってたんですよ」

メジャーリーグでも数多くの名投手と対戦してきたが、誰が最も凄かったのか。

「いっぱい居るんですけど、もう名前のよく分かんない投手も凄いし。マイナーリーグから最近メジャーに上がってきましたという投手がもの凄いボールを投げたりするから、『なんだ、これ? なぜこの投手がマイナーにいたんだ?』みたいな。

もう本当にアメリカは人材が豊富だなと思います。次から次へと出てくるじゃないですか。メジャーリーグで長くプレーするのは、本当に難しいことですよ」

「イチローさんには全然勝てない」

では、日本人のバッターでこの人は凄いなと思ったのは誰なのだろうか。

「イチローさんですよ、今だったら大谷翔平選手じゃないですか。やっぱりイチローさんはカリスマ性が凄いですよね。イチローさんと話すといつも思うんですけど、なんか心にグッと刺さるような言葉を言うんです。やっぱり人に影響を与える人なんだなというのはもの凄く感じます」

バッターとして、イチローさんにここは勝てないというところはあるのだろうか。

「いや、全部勝てないですよ。凄いですよ。イチローさんはだって日米通算安打で4367本も打っているんですよ。僕もわりと打った方だと思うんですけど、2730本しか打ってないんですよ。(2730本も、ですけどね)いや、普通の人からすればそうかもしれないですよ。

ただ、イチローさんと比べてみてください、4367本ですよ。1637本も上ですよ。ここから僕が1637本打つためにはあと何年やるんですか? いや、凄いですよ。メジャーで年間200安打を10年連続。2度と出てこないレベルですよ。大谷選手ももちろん凄いですけど、イチローさんももちろん凄いですよ。だからそこは比べようがないですよ」

同じ野球選手として、大谷翔平選手のどこが凄いと感じているのだろうか。

「もう欠点無いですよね。だって今回だってDH(指名打者)で出場してホームラン王(54本)になって、盗塁は59個。概念を変えてますよね。こんな選手もういないでしょ、だってDHやって盗塁もこんなにできて、そしてレベルの高いピッチャーもやるんでしょ。もう、あり得ないですよね」

青木さんが日本に戻って来た時に、ちょうど入れ替わりで大谷選手がエンゼルスに移籍したので投手・大谷との対戦は無かったということだが、もしも対戦していたら打てたのだろうか。

「いや、それはやってみないと分からない。真っすぐはどうにかなるかも知れないけれど、あのスイーパー(球速があり横曲がりの大きいスライダー)は打てないと思う」

大谷翔平選手が、将来、投手か打者かどちらかを選ばなければならないとしたら、大谷選手はどちらを選んだ方がいいと思うか、聞いてみた。

「両方できるんじゃないですか。いつかはあるかもしれないけど、それも分からない。だって結局、不可能を可能にしてきた人間ですよ。みんなはどっちかに絞ろうとするんですけども、その概念自体がたぶん大谷選手には無いから。たぶん身体が持つ限り、考えが変わらない限り、二刀流でやるんじゃないですか」

メジャーへの挑戦を経て得たもの

青木さんは2012年に海を渡ってアメリカに行ったが、なぜメジャーリーグに挑戦しようと思ったのだろうか。

「日本で当時、ヤクルトに居た時に、自分の野球に対して自信を持てないような時だったんです。野球に対してどういうふうに自分の気持ちをそこに持って行っていいかも分からないし。

日本に居た時は、まだ結果も残してはいたんですけど、なんかあの時は打つのが当たり前にもなっていたし、そういう感じで見られるのもなんかきつかった。かといって、自分のパフォーマンス自体はなんか落ちているのが自分で分かったんですよ。そこは見ている人はなかなか分からないのかも知れないけど」

最初に入団したブルワーズでは、日本での実績にもかかわらず実質的に入団テストを受け、当初は5番手外野手の扱いという厳しいスタートだった。

そこから実力でレギュラーをつかみ取り、その後もロイヤルズ 〜 ジャイアンツ〜 マリナーズ〜 アストロズ〜 ブルージェイズ〜 メッツで中心選手として活躍した。

「やっぱり僕はアメリカに行って本当に良かったですね。本当に苦しかったし、でも苦しい分、自分と向き合うじゃないですか。当然、周りの人のサポートが間違いなく必要不可欠で。当然家族とも向き合うし、そうやって“一人じゃ生きていけないんだな”ということを本当に痛感したし。

もちろん結果がなかなか残らないから、そこに向かってアプローチをどんどん考えて色々やるじゃないですか。6年間それをずっと出来たので、アメリカに行って自信が持てるようになりましたね。やっぱり苦しんだ中に、そこにすごく答えがありました。色々アメリカでは学ばせてもらいました」

メジャーリーグで活躍できるには、何が必要なのだろうか。

「アメリカに行った時に本人がどう感じるかというのはもの凄く大きいかもしれないです。行った時に『こいつら半端じゃない』と思いながら、そこで負けちゃうのか、いや、『なんか凄いかもしれないけど、俺はやれる』と思うのかとか、色々この感じ方は人それぞれじゃないですか。

なんか敵を初めから大きくしてしまったら負けちゃうでしょ。そうではなくて、『いや、俺は絶対行ける』というような気持ちを持てるかどうかですよね。

もちろん相手をリスペクト(尊敬)するのですけど、やっぱり非常に相手をこう大きくしないこと。当然そこの上を行かないと結果は残らないわけですからね。“自分と向き合うこと”というのは本当に大切だと思います」

悔いはない

野球人生を振り返ってみて、やり残したことはないのだろうか。

「はい、ないです、もう全然ない。自分の限界にも挑戦できたし、もう悔いは本当にないですね。(自分の野球人生に点数をつけるとしたら)100点です」

最後に、今後のセカンド・キャリアについては、どう考えているのか聞いた。

「今のところちょっといろいろ検討中です。基本的にやっぱり野球が好きなので、野球関係の仕事がしたいですね。ですけど、もちろん興味があれば、他のこともしたいし」

監督やコーチなどの指導者はもちろん、球団のフロントなどチームのマネジメントにとどまらず、他の世界を見ることにも興味があるという。

「楽しみですよ、春川さん、第二の人生。今までも楽しみながらやってきましたけど、これからもそこは自分らしく行きたいと思います」

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