10月に開業した宮地師

写真拡大

 去る10月21日、新たなホースマン人生をスタートさせた人物がいる。宮地貴稔調教師(44)=栗東。今年8月に逝去した川村禎彦調教師の管理馬が庄野厩舎へ一時的に転厩し、その馬房臨時貸付期間が満了したことに伴い、それを引き継ぐ形で厩舎を構えた。現在は初勝利に向けて、日々汗を流している。

 本来だと開業は来年3月。4カ月以上も前倒しとなったが、「その前から(旧)川村厩舎に入らせてもらっていました。スタッフと一緒に仕事をして、人と馬の把握をしていましたから」と、準備期間を設けていたことでスムーズだったという。そして、アッという間に迎えた初出走。10月26日の京都1Rでルルーディが12着で終えた。「今まで臨場も行っていたので特別違う感じはありませんでしたが、場内アナウンスで“宮地厩舎はこれが初出走です”と言われた時に感慨深くなりました。結果は残念でしたが、馬が無事に帰ってきてくれたことにホッとしました」と振り返る。

 競馬との出会いは中高生時代だった。世は競馬ブーム真っただ中。ゲームをきっかけに興味を持ち、93年有馬記念のトウカイテイオーに魅了された。競馬界を目指すようになったのは、大学受験に失敗した浪人期間。漫画『じゃじゃ馬グルーミン★UP!』に影響され、オーストラリアの競馬学校に入学した。

 その後は北海道の牧場を経由してJRA競馬学校を卒業。トレセン入りして最初に入った武邦彦厩舎で師匠から与えられた「馬をかわいがってあげなさい」という言葉が今のベースとなっているという。「癖が強かったり、少し能力が足りなかったりする馬でも、その子にとって何が一番かを考えてあげると結果で応えてくれることがあります。引き出しの多さにもつながりますし、財産になっています」。愛情を注ぐことで馬と信頼関係を築き、限界値を超えるパフォーマンスを生み出してきた。

 昨年12月に調教師試験に合格。以降、技術調教師として笹田厩舎を軸にしながら友道厩舎、武幸厩舎、吉村厩舎、そして同期で一足先に開業した高橋一厩舎で経験を積んだ。それだけでなく、意欲的に大手牧場でもひと通り研修し、英国やアイルランドにも渡った。そして「相当数を見せてもらいました。2歳からは(調教助手として)見てきましたが、当歳や1歳は分からないですから」と国内外のセリも積極的に見学し、今では「セリの馬を見ることが趣味」と話すほどだ。他者よりも少ない時間をフルに活用し、経験値を高めてきた。

 調教師としての夢に「凱旋門賞を勝つこと」を掲げる。「あくまで夢ですけどね。でも、こういうことは口に出していかないと。一つ一つをしっかりやっていって、最終的に凱旋門賞のような大きなレースに使えるようになればいいですね」。馬への愛と探究心を考えれば、決して夢物語に思えない。宮地厩舎の丁寧な馬づくりに注目していきたい。(デイリースポーツ・山本裕貴)

 ◆宮地貴稔(みやじ・たかとし)1980年10月15日、大阪市出身。高校卒業後、オーストラリアの競馬学校に入学。卒業後、帰国して北海道の大塚牧場で約3年間勤務。2004年7月、JRA競馬学校(厩務員課程)に入学し、05年7月から武邦彦厩舎。09年3月、武邦厩舎の定年解散に伴って笹田厩舎へ。23年12月、7度目の受験で調教師試験に合格。24年10月21日に厩舎を開業した。初出走は同月26日の京都1R(ルルーディ=12着)。