ある日突然、学校を「拒絶」する子どもたち…いま日本の学校で起きている「深刻な事態」

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小学生の不登校の数が増え続けている。型にはめ込む管理型の教育現場では、少しでも「普通」から外れると「公立に合わない」「普通の学級に合わない」と「烙印」が押される……。教員たちも過酷な労働環境のもとで疲弊していく……。

いま日本の学校で何が起きているのか。注目の新刊『ルポ 学校がつまらない』では、格差の再生産のような全国の公立小学校の実態を明らかにし、あるべき教育の原点を問う。

学校を「拒絶」する子どもたち

学校がつまらない、学校に行きたくない──。

いじめなどの明確な理由がなく学校を「拒絶」する子どもたち。親も担任も理由が分からず、途方に暮れる。そんな現象が、公立の小学校で広がっている。本書に先行し、筆者は雑誌『世界』(2022年11月号)で「子どもたちの拒絶」をルポした。子どもたちが学校を嫌がるのは、画一的な教育によるところが大きい。

筆箱は無地でなければいけない、給食を残す時に担任に謝り許可をもらわなければならない、赤白帽子や体操服を忘れたら体育の授業は見学しなければならない、水泳の授業の参加には水泳カードに必ず保護者の印鑑が必要、児童同士のケンカが起こると居残りで話し合って「ごめんね」「もういいよ」が強要される。こうした「謎ルール」に縛られて、子どもたちは息を詰まらせる。学校や教員の側が既存のルールに縛られていると思考が停止し、そのルールが意味を持つのかどうか説明できないまま画一的な指導になってしまう。だから、学校がつまらなくなる。

学校によっては「規律を守らせる」というように「○○をさせる」と、子どもを従わせようとする。

集団生活のなかでルールを学び、ルールを守ることは必要なことだが、子どもの人権が無視される形で子どもを型にはめこむ管理型の教育になっていく。そして、「右へ倣え」の教育現場では、教員の思う「普通」から外れてしまうと「公立に合わない」「通常の学級に合わない」という烙印が押される。

教員に余裕がないばかりに、ただ手がかかりそうな子どもが特別支援学級を勧められるケースがある。まだ担任との信頼関係が構築されていない小学1年生の4月、少し怒りっぽい、落ち着かずじっと椅子に座っていられないというだけで、担任が「皆と同じにできないから発達障がいだろう。特別支援を受けたほうがいい」と親を誘導する。学校側は発達障がいのスクリーニングをしたがり、発達の検査を受けるよう親に勧める。型にはめようとしてもはまらない、教員から見た「普通」にできない小学校の児童が望まない形で教室から排除されようとしている。

「皆と同じように」を求められる教室で、発達障がいのある子どもは、より辛くなる。文部科学省の「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査結果について」から、発達障がいの可能性のある子どもがクラスに平均3人いるという計算になる。障がいのあるなしにかかわらずすべての子どもが一緒に学ぶ「インクルーシブ教育」は、身近なテーマだ。文部科学省は、基本的な方向性として障がいのある子どもと障がいのない子どもができるだけ同じ場で共に学ぶことを目指すべきとしているが、現実はどうか。

大人が管理しやすいよう子どもを型にはめていく。自分らしくいられないという苦痛が不登校になって現れることもある。文部科学省の「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果」によると、年度のうち30日以上を休む「長期欠席」のなかで新型コロナウイルスの感染回避による欠席を除いた不登校の小中学生は、2022年度で29万9048人となり前年度より5万4108人増えている。不登校の小中学生は10年連続で増加し、過去最多となっている。

子どもたち一人ひとりを丁寧にみることが必要とされる一方で、学校の規模が大きくなって教育体制が管理型になる傾向が強まり、子どもたちが息苦しさを感じるという問題が起こっている。学校教育法が変わったことで2016年度から新たにできた公立の小中一貫の「義務教育学校」のなかには、児童や生徒が1000人もいる学校ができ、子どもたちは荒れ、教員が必要以上に「起立、礼、着席」と号令をかけて統制を図ろうとするため、まるで軍隊のようになっている。「あの学校に子どもは入れたくない」と、私立中学の受験が増加している地域がある。

そもそも教員は長時間労働によって疲弊している。教員が精神的に追い込まれ、一人ひとりに目を配ることができず、やがて一律に子どもたちを従わせるようになる。そのなかで、子どもたちが息苦しくなっていく。教育の質の低下とともに教育や指導がマニュアル化し、大人が望むことを子どもが答えるようになる。

筆者は労働問題をテーマに執筆することをライフワークにしているが、教員の「ブラック労働」については広く世に知られるようになってきた。そのため本書では、教室で子どもたちに何が起こっているのか、子どもたちの教育環境がどう変容しているのか、教員の働き方や教員不足から生じる教育の質の低下を中心にルポする。教育現場のなかでも義務教育の始まりの小学校はその後の子どもたちの人格形成にとって重要な場であることから、公立小学校の現実を問う。

規格化される教育現場

まず第1章では、子どもたちが「右へ倣え」といわんばかりに従わされ、規格化される教育現場を追う。小学2年生の児童が図工の時間に皆と同じように絵を描けなかったことで、担任からの攻撃の対象にされていく。児童が忘れ物をすると担任は名指しで「あなたのせいで授業をしない」と言う。

母親が決死の覚悟で子どものランドセルにボイスレコーダーを忍ばせると、録音された音声から担任の言動が次々に明らかになるが、校長や教育委員会に相談しても状況は変わらない。

こうした現状から公教育に失望し「公立の学校はダメだ。中学校も期待できない」と、私立中学の受験を選択する傾向が強まる。続く第2章では公立学校への不信感から過熱する中学受験についてルポする。首都圏では、小学生の約5人に1人が私立や国立の中学を受験して進学している。子どもたちは受験塾に通い、先取りして勉強を終わらせるため、学校以外のほとんどの時間を塾の勉強に充てている。

就職氷河期に苦しんだ親世代は格差社会の当事者だ。自身の苦労から子どもを「安定したレール」に乗せたいと心配する。それが中学受験の過熱の一因にもなっている。格差社会は早期教育を助長し、保育園運営会社が中学受験塾を買収するに至っている。そうした環境のなかで、子どもたちは次第に荒れていく。子どもの将来のためと多額の費用をつぎ込む、はき違えた“教育投資”について問題提起する。

子どもの教育環境を作っているのは大人だが、大人の都合によって子どもたちの教育環境が悪くなるばかり。第3章で公立の小中一貫校ができたことによる制度疲弊ともいえる現場を追う。

2016年4月に改正学校教育法が施行されると、小・中9年間の義務教育を一貫して行う新たな学校の種類となる「義務教育学校」の設置が可能となった。文部科学省の「学校基本調査」によれば、公立の義務教育学校は制度ができた2016年度に22校だったものが2024年度には232校へと増加している。小学校から中学校に移った時のギャップを解消するなどのメリットもあるが、小中一貫校となって大規模化することや小学生のうちに“早期教育”が取り入れられるデメリットが大きく、見過ごせない。

小中一貫校では5年生から中学スタイルをとるケースが少なくない。授業時間は小学生は1コマ45分だが、小中一貫校の多くで5年生からは中学生として1コマ50分で進められ、教科担任制が導入される。部活や生徒会も始まる。小学生の最高学年が4年生とされ、5年生以降は“早期教育”が実施される。小学校教員が5〜6年生を受け持つと中学スタイルに組み込まれるため、負担が重くなる。

いつしか都内の教員の間では、中高一貫校のある特定の地区への異動が「島送り」「服役中」と揶揄されるようになった。

「義務教育学校」の増加による“小学校”の消失を含め、小学校がなくなることは小学生から小学生らしさを奪い、教員からもやりがいを奪っている。政治家が自身の功績を得るために“教育改革”を行い、学力テストの結果ばかりを重んじるあまり、教員にとっても「学校がつまらない」ものとなっている。

教育の質を問うには教員の労働環境の問題は無視できない。なかでも若手の早期離職は深刻で、教壇を降りたまま公教育の世界に戻らないことが人材不足に拍車をかけている。

第4章では改めて、教員が置かれる教室や学校の現実を見る。そして、柔軟な学級運営をしようと奮闘し「教育の自由」を実践する教育現場を紹介する。義務教育の小中学校で、もしいい学校と巡り合わなかったとしても、やり直しはいくらでもきく。工業高校に入って初めて勉強の楽しさを知る生徒が多く存在し、工業高校に公教育が目指すべきヒントがありそうだ。小学校教育はいわゆる「いい学校、いい会社」に入るためにあるわけでない。学ぶ楽しさを知ることが質の高い教育であるはずが、それが叶わない。

私たちが忘れがちな、そして否定しがちな「子どもらしさ」とは何か、終章で問う。子どもが親や教員の言うことを素直に聞き、計画的に勉強してドリルを解き、大人が敷いたレールを歩く。それは、親にとっての安心でしかないのではないか。「遊んでいるのは時間の無駄だ」と、子どもが大人を真似て管理された中で失敗しないで生きていくことを求められがちだが、子どもにとってのWell Being(幸福であること)とは何なのか。

『ルポ保育格差』で記した「ほいくえん いきたくない せんせい、やさしくない……」の先の小学校で、「学校がつまらない」ものになっている。子どもたちが「学校がつまらない」と拒絶する現実を考える。

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