ナインの手で宙に舞う三浦監督(撮影・佐藤厚)

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 「SMBC日本シリーズ2024、DeNA11−2ソフトバンク」(3日、横浜スタジアム)

 愛し続けた横浜で、悲願成就の夜を迎えた。「SMBC日本シリーズ2024」は3日、横浜スタジアムで第6戦を行い、DeNAが11−2でソフトバンクに勝利。1998年以来26年ぶり3度目の日本一に輝き、三浦大輔監督(50)は大歓声に包まれながら胴上げで5度宙を舞い、史上最大の下克上を完結させた。

 声にならなかった。歓喜の瞬間、三浦監督は両手を突き上げ絶叫した。あふれ出る感情。ほおには思わず涙が伝う。「いろいろな思いがね…98年に優勝してからそのあと、なかなか勝てずに…。自分ももう一度って気持ちで。現役の時は優勝できずに、監督として優勝できて、本っっ当にうれしいです」。満員の大観衆に見守られ、選手たちの手で5度の胴上げ。宙に舞いながら見た横浜の夜空は、最高に美しかった。

 同じこのハマスタで、三浦監督には、忘れられない屈辱の光景がある。「スタンドから物が投げられて…試合が中断したことがあった。選手たちでそれを拾いに行った時、悔しくて」。98年の日本一を経て、2000年代に入るとチームは低迷期へ。02年から11年の10年で、8度の最下位。閑古鳥が鳴く客席。不満をためた観衆からの辛らつな仕打ちを、背番号18は、目の当たりにした。

 FAでチームを去る仲間を、何人も見送った。「何とか強くしたい、もう一回、優勝したい」。98年のV戦士のひとりであった三浦監督は21年に就任すると、愛着ある横浜のため身をささげた。

 ハマの番長の原風景は、父・克之さん(85)に連れられた甲子園にある。克之さんが阪神・岡田彰布前監督(66)の現役時代に後援会を務め、物心ついた頃から虎党。08年オフにFA宣言し、阪神からオファーを受けたときは、心が揺れた。「人生で一番悩んだ」。だが「自分の野球人生を振り返ると、強いところを倒し、優勝したいという生きざまだった」。

 高田商時代、挫折しかけた。練習に明け暮れる日々に嫌気が差し、うそをついては、学校を休んだ。退部も考えたが、仲間や監督に引き留められ、チームに残った。「信頼は一瞬で失う。野球だけは、絶対に裏切るのはやめよう」。心に誓った。

 強豪私学と対峙(たいじ)し、市立高校の無名右腕はドラフト6位で大洋に入団。血のにじむような努力でエースへ駆け上がった。

 FAで熟考した08年、自身の人生と重ね合わせた。当時の阪神はV争いを繰り広げて2位。「2位のチームに行って優勝して、オレ、本当にうれしいのか。最下位から優勝した方が、オレらしいんじゃないか」。育ててもらった横浜に残留。現役時代に達成できなかった志は、監督就任後も持ち続けた。

 喜怒哀楽を出さない三浦監督が今季、感情を表に出したシーンがあった。8月27日の阪神戦で、ピンチを広げた助っ人・ウィックが降板を拒否。鬼の形相でマウンドに向かい、自らボールを奪い取った。伝えたかった勝利への執念。この一戦を機にチームは奮起。3位でCS進出を遂げると阪神、巨人を撃破した。7年ぶりの日本シリーズでは巨大戦力を誇るソフトバンクを下し、26年ぶりの日本一をつかんだ。

 2012年、通算150勝を挙げた本拠地のヒーローインタビューが記憶に残る。「横浜が好きだ」「横浜に残ってよかった」。愛する横浜で成し遂げた日本一の夢。「強いチームを倒したい」という信念を実らせた、史上最低勝率からの下克上。胸を張っていい。

 ◆三浦 大輔(みうら・だいすけ)1973年12月25日生まれ、50歳。奈良県出身。身長183センチ、88キロ。現役時代は右投げ右打ちの投手。高田商から91年度ドラフト6位で大洋(現DeNA)に入団。98年には12勝を挙げリーグ優勝&日本一に貢献する。05年に最優秀防御率と最多奪三振を獲得。14年から投手コーチ兼任となり16年に現役引退。現役25年間で通算172勝184敗の数字を残した。19年にDeNA1軍投手コーチ、20年に2軍監督を務め、21年に1軍監督に就任した。家族は妻、長女、長男と愛犬