「弱いからファンに申し訳なかった」と振り返るハマの番長…「強いところを倒して優勝したい」と横浜一筋
選手としても、監督としても歓喜の輪に包まれた。
1998年以来の日本一に輝いたプロ野球の横浜DeNAベイスターズ。当時、先発投手の柱だった三浦大輔監督(50)が、愛してやまないチームを26年ぶりの頂点に導いた。
トレードマークのリーゼントから、「ハマの番長」と親しまれた三浦監督。日本一を決めると、涙を流してコーチらと抱き合った。「最高のファンの方の前で優勝できて、最高にうれしい」。ファンで埋め尽くされた横浜スタジアムで胴上げされ、万感の思いを込めて語った。
決してエリート街道を歩んできたわけではない。92年、奈良・高田商高からドラフト6位で入団。野球を始めた小学3年から強豪チームに所属したことは一度もなく、甲子園出場経験もなかった。
プロ入り後、栄光の98年を除けば優勝争いになかなか絡めず、本拠地・横浜スタジアムは空席が目立った。試合中に観客席からものを投げられ、選手たちで拾いにいった光景が脳裏に焼きついている。「自分たちが弱いからね。ファンに申し訳なかった」と振り返る。
優勝を味わいたいと他球団へ移籍する選手が相次いだ。自身もチームが最下位に終わった2008年、移籍可能なフリーエージェント(FA)権を行使すると宣言した。人生で一番悩んだという。しかし、「強いところを倒して優勝したいという野球人生だった。何とか強くして、もう一回優勝したい」と残留を決めた。
結局、優勝はかなわず、16年限りで引退。21年から監督として指揮を執ると、競走馬の調教師に厩舎(きゅうしゃ)運営のコツを聞くなど、他分野の人からも組織マネジメントを学んだ。4年目の今季、セ・リーグ3位とリーグ優勝の悲願は達成できていないが、クライマックスシリーズを突破して日本一に。現役25年で最下位は11回、Bクラスは18シーズンに及んだ三浦監督。「いろんな気持ちが、思いがね……」と実感を込めた。
1998年の優勝監督、権藤博さん(85)は「三浦監督は25年間、横浜一筋、先発一筋で勝っても、負けても黙々と投げ続けた男。指揮官としても、そんなたくましさをこのシリーズで見せてくれた」とねぎらった。