元駐アメリカ全権大使がすべてを語った!「日米関係の現実」と「陰謀論の真実」――日本人が知っておきたい『日本外交の常識』

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「日米地位協定の見直し」の現実味

衆議院総選挙は、与党過半数割れという自民党の歴史的惨敗で終わった。石破茂首相は脆弱な基盤での政権運営を余儀なくされるが、外交問題も山積している。まもなく大統領が決まるアメリカとの関係はどうなるだろうか。

前編『トランプは「いつでも電話してこい」と私の肩をたたいた…、元駐アメリカ全権大使が見た「トランプの素顔」と「大統領選の行方」』で紹介したように、元外務省事務次官で、アメリカ合衆国駐箚特命全権大使の杉山晋輔氏(早稲田大学匿名教授)は、このほど『日本外交の常識』(信山社)を上梓した。

ちょうど、石破茂内閣が誕生し、日米地位協定やアジア版NATO構想が俎上にあがるなか、ひろく基礎的な外交認識を理解するうえで、うってつけの書籍である。

日本では安倍政権の期間中に、日米交渉の中心に身をおいた杉山氏に、「日米地位協定の見直し」と「アジア版NATO」について語ってもらった。

――石破首相は、アメリカとの地位協定の見直しが持論ですし、総裁選ではアジア版NATO構想を掲げました。このふたつを杉山さんはどのように評価されるでしょうか。

国会議員として考えを積み上げてこられたことを、総裁選で言われたのでしょう。ただし、政府の最高責任者である総理となられてからは、軽々しい発言はなされていない。

日米地位協定は、相手のあることですし、これまでの議論を積みあげて現状があるわけです。アジア版NATO構想でも、欧州の軍事同盟であるNATOがアジアに見合うのかをこれから議論されなければならないでしょう。当然ですが、どちらも一朝一夕にできることではありません。

そこをよく踏まえて石破総理はこれまで発言をされてこられたと思います。

米軍基地のある自治体からの要望もありますし、刑事事件や生活の環境面から地位協定の見直しの議論をすることは当然のことだろうと思います。地位協定は“不磨の大典”ではないのですからね。

――では、まずは地位協定の見直しはどうあるべきでしょうか。

やはり基礎となる認識が、国民の側にも必要だと私は思います。

日米地位協定は1960年の日米安全保障条約の改定以後、地位協定そのものを改定したことはありません。たしかにそうなんですが、この間、中身の解釈についてはいろいろと変更があるのです。つまり、条文は変えていないが、日米双方にメリットとなるように合理的に運用面を変えてきたというのがこれまでの日米地位協定なのです。

たとえば、第24条の日米の駐留米軍の費用の分担について1978年にいわゆる「思いやり予算」を当てることにしたのは象徴的な例でした。3条の施設や区域の管理権の環境についてもこれまで様々な手当てがなされてきましたし、17条の刑事裁判の管轄権についても運用面でかなり手が加えられている。

私も、24条の特別協定を担当したことがありますが、非常に複雑な協定ですので運用を変えるだけでも簡単ではありませんでした。安全保障の枠組みとして日米安保条約という本体があり、その関連協定として地位協定があるわけですから、全体像を配慮せねばなりません。

ひとつの条文を取り出して変えようとしても、他の条文との齟齬が生じてしまうし、アメリカ側がどう考えるのかということもある。そこに、地位協定そのものを改定する難しさがある。

たしかに、地位協定そのものが改定している国があり、日本は一度も変わっていないじゃないかという批判につながっています。

米軍に与えられている過度な権限を是正するべきだという議論が出るのは、当然のことだと思います。しかし、地位協定をこれまでに見直してきた国でも米軍の権限が本当に小さくなっているかといえば、そうとも言い切れない。地位協定は、それぞれの地域、国の状況によってその性格も異なるのです。

たとえば、韓米地位協定はこれまで2度、見なおしされていて、米兵の犯罪などに関わる刑事裁判権などで見直しがなされています。ただし、その全体像を見ると我々から見れば主権国家として疑問に思うようなことが、そのまま残されていたりするのです。

朝鮮半島で有事が起きたとき、じつは韓国軍の作戦統制権を持っているのは、米軍の陸軍大将で韓国大統領ではないのです。これは有事に限ることですが、自国の軍隊の統制権を持たないというのは主権国家では考えられないことです。

日本においても平時だろうが、有事だろうが、自衛隊の最高指揮官は内閣総理大臣だし作戦統制権を持っているのは総理です。

その背景には、やはり国が亡国の危機に瀕した朝鮮動乱の苦い経験があると思います。

1950年、突如、北朝鮮に攻めこまれ、韓国政府は一時、釜山の海に飛びこむしかないというところまで追いつめられました。インチョンにマッカーサー率いる米軍が上陸して、最後は38度線で膠着状態になった。亡国の瀬戸際までいかなかったら、統制権を他国の軍隊の司令官にわたすということはなかったでしょう。

それぞれの国にはそれぞれのバックグランドがあるということ。我が国もこれまでの歴史や経緯を踏まえて地位協定を考えていかねばなりません。

「アジア版NATO」の議論で見落としてはいけないこと

――「アジア版NATO構想」をどのように評価されますか。

バックグランドをしっかり踏まえるということは、アジア版NATO構想でもおなじです。ここで日本人が考えるべきことは2つあると思いますね。

1つは、NATOが軍事同盟であるということです。

NATOは、国連憲章7章の集団的自衛権を認めた条項と第8章のそれを地域取極めで行えるという条項が根拠になっていますが、本来は、敵も味方も分け隔てずに安全保障の枠組みに入れることが国連憲章の趣旨です。アジアでも国連憲章に基づいて、地域的安全保障の機構を作るという議論は当然あっても良い議論です。

しかし、NATOはソ連あるいはロシアに対する軍事同盟です。東西の冷戦構造が鮮明になる時代にできた同盟を、いまアジアに持ってきて作ることが本当に良いのかという議論も当然、出てくるでしょう。

もうひとつは、欧州ではキリスト教という価値観でひとつになりやすかったという面があるけれど、アジアはそうではないということです。

もちろん、欧州でも細かく見ればそれぞれの国で文化は異なりますが、アジアの方がもっと宗教的にも人種的にもバラエティに富んでいる。掛け声としては「アジアはひとつ」と言われているけど、私の実感としては「アジアはひとつひとつ」というほどダイバーシティ(多様的)です。経済状況を見てもすでに経済成長した国と、これから経済成長していく国とでは考え方が大きくちがうし、それぞれに社会の価値観も正義も異なっています。

大切なことは、地位協定にしてもアジア版NATOにしても、これまでの経緯やそれぞれのバックグラウンドの視点をそらさずに議論を進めることだと思います。

日米地位協定の議論の背景にある「大切な歴史」

――外交にはそれぞれの国の歴史的な文脈があるし、これまでの交渉の前提もあるということが、杉山さんが『日本外交の常識』で示されたことです。同時にこの書籍からはどんなに国民の反対にあっても政治リーダーが方向性を示すことが大切だということが伝わってきます。

たとえば、敗戦直後は西側資本主義陣営にソ連、中国など東側共産主義陣営も含めた「全面講和」をするのか、いち早く連合国による占領を終わらせて独立するために西側陣営とだけ講和条約を結ぶ「単独講和」なのかで国論が二分していました。

いま考えると全面講和なんてあるわけないんですよ。なぜなら、ソ連は連合国と関係が悪化していき、中国は内戦状態で大陸と台湾に分かれていたわけですからね。でも、単独講和はあまりにも国民の反発を受けていたから、サンフランシスコ講和条約(1951年)を締結した際の日米安全保障条約(旧安保条約)の署名は、当時の吉田茂総理だけが署名して、随行していた池田勇人大蔵大臣には署名をさせなかった。

吉田総理は責任をすべて一人で引き受けたわけです。しかし、これが戦後の日本の外交、とりわけ安全保障の基礎となりました。軽武装―経済重視の吉田ドクトリンは日本の戦後復興の大きな礎となりました。

さらに9年後には、岸信介総理が安保条約を改定しました。日本に駐留米軍を置くのに、米軍の対日防衛義務がが明記されていなかった旧安保条約の不平等性を正したわけです。しかし、このときも国民は大反発した。デモ隊が国会を囲んで、岸さんは安保改定を成し遂げると政権から身を引きましたが、これも現在の日米安保の基礎となっています。

田中角栄が貫いた「政治リーダーの矜持」

――1972年の田中角栄首相の日中国交正常化の決断も迫力がありました。

本当にそう思います。

半年前にはニクソンショックと言われた米大統領の突然の訪中がありました。田中総理は訪中するまえにハワイでニクソンに会って、日米安保の方針に変更はないという断りを入れて、周到に準備して北京に乗り込んだ。

田中総理がすごかったのは、そのとき事務方レベルで国交正常化の目途はついていないのに訪中したことです。もちろん、公明党の竹入義勝委員長が訪中し、中国側が「戦争賠償放棄」、「日米安保容認」のいわゆる「竹入メモ」の存在も決断を後押ししたが、確約がないのに総理が行って断られたら、それこそ外交史にのこる大失敗になるところでした。

覚悟のうえで角さんは訪中を決断したわけです。

ニクソン訪中の半年後のことだから対米追従と揶揄するひとがいるけれど、米中国交正常化は1979年のことだから、それよりも7年も早かったのですからね。

あの決断は、政治リーダーの真髄だったと思いますね。

――国民は外交の話が好きだし、昔から世論は政府の外交方針に敏感に反応してきたと思います。ただし、いつも懸念されるのが、「陰謀論」に世論が振りまわされてはいないかということです。

同感ですね。国際関係に携わっているとトランプを裏で動かしているのは誰かとか、世界を牛耳っているのは誰だとか、そういう陰謀論に出くわすことは頻繁にありました。

でも、私自身が外務省に40年いて国際関係を見てきましたが、誰かが陰謀によって特定の政府を動かしたり、国連を動かしたりすることは出来ませんね。

当然、私も外務省はこうあるべきだというのがあって、いろんな提案をしたり、手を打ったりしてきましたが、まあ、誰も言うことなんて聞きません(笑)。ましてや、国を動かすなんてことはたとえ独裁国家であっても無理でしょう。

どこかの国の政府のリーダーを思い通りに動かすなんて、あまりに多くの前提条件があって不可能です。ただし、陰謀論は非常によくできていて、いかにもそれらしいから面白いんですよね。

民主主義のいいところは、ひとつの政策についても右から左まで千差万別の反応があるということだし、それぞれの価値観に基づいて賛成者も、反対者も共存していること。そこに誰かの個人的な陰謀がまかり通ることはありえません。

これからの「日本外交の常識」

――心配なのは、面白いから陰謀論を信じてしまう政治家が出てきてしまうことです。

それが怖い。それに日本は戦前に国策をあやまって戦争に突き進んだ。何百万人も死んでしまった戦争を、当初は、国民の多くが支持していました。国が国策に反対する人を弾圧したこともあれば、社会全体が戦争に反対する人を非国民と呼んでしまったことがある。

お上が弾圧するのはもってのほかですが、社会全体が少数意見を排除してしまうのも健全じゃないと心から思いますね。でも、あの悲惨な敗戦の経験があるから、もう二度と日本人はひとつの価値観に縛られて悲惨なことはやらないと思います。そこは、自信を持つべきだろうと私は思っています。

でも、日本だけに限らず、社会が人の行動を過度に強制してしまうということは往々にしておこることです。

特に災害の時には、困っている人の利益にもなることをしても、それが商売だと知れると批判が起きたりしますよね。たとえば、こんなことが実際にありました。

山奥の集落の避難所にトラックでペットボトルをたくさん運んで、一本100円のペットボトルの水を300円で売った業者がいた。避難所の人たちにとってはいつもより高くても、水が手軽にしかもたくさん手に入るので、願ったりかなったりだった。ところが、「困っている人を相手に商売するな」、「3倍の値段で売るとはどういうことだ」と批判が起こり、結局、業者はペットボトルを避難所に運ぶのをやめてしまいました。ゆがんだ社会正義が避難所の人たちをさらに困らせてしまったわけです。

アメリカでも、ハリケーンの災害時に避難する人がモーテルに泊まろうとすると、値段が10倍になったことがあって訴訟が起きました。では、そんな時にはどうすることがいいのかということで、マイケル・サンデルが「正義の価格はない」という議論を世に問いかけた。

困っている人を相手に商売をすることは、本当にいけないことなのか。マーケットが需要と供給のバランスで適正な価格を導き出すことは、本当にいけないことなのかということです。

日本では、まだこうした議論が足りないと思いますね。正義というとどこか青臭く思えてしまう。あまり正義、正義というと何が正義なのか見えずらくなるということもあるでしょう。でも、社会が分断されたり、ひとつの意見を社会全体が強制し始めたりする世の中になると、やはり「正義とはなにか」という議論が必要になると思いますね。

それは、これからの外交にも通ずることだと思います。

正しいと信じることは国民の反対があってもやり遂げた一方で、反対する者の意見を尊重してきたのが戦後の政治リーダーの姿でした。ひとつの政治決断の裏にどんなバックグランドがあるのか、またどんな正義があるのかを国民の側で議論が盛んになることを願っています。

トランプは「いつでも電話してこい」と私の肩をたたいた…、元駐アメリカ全権大使が見た「トランプの素顔」と「大統領選の行方」