妻が「お前のことを風俗と呼ぶ」と罵倒…第一三共元研究員は妻をメタノールで殺害したのか?法廷で語った壮絶“家庭内別居”
「妻に対して殺意を抱いたことは一度もない」
妻にメタノールを摂取させ殺害した罪に問われ、自身の無罪を主張した吉田佳右被告(42)。法廷で明かしたのは、冷え切った夫婦の家庭内別居生活だった。
「第一三共」の研究員だった吉田被告は、2022年1月、東京都内の自宅で妻・容子さん(当時40)にメタノールを摂取させ、殺害した罪に問われている。
容子さんは14日夜から15日未明までの間にメタノールを摂取したとみられ、16日になって、急性中毒で命を落とした。
全裸になり…妻の“異常行動”
容子さんに異変が起きたのは15日の朝のことだった。
検察側の指摘などによると、容子さんは15日朝から、嘔吐したり全裸になって自室で放尿したり、うめき声を上げるなどの「異常行動」をとっていたという。
吉田被告はこうした状態に気づきながらも、すぐに119番通報することはなく、翌16日朝に呼吸停止している容子さんを見つけ、通報した。
吉田被告は被告人質問の冒頭、「救急車を早く呼ぶべきだったと後悔している」と妻の死に対する後悔を口にした。すぐに通報をしなかった理由について、吉田被告は次のように語った。
吉田被告:
どうせ二日酔いだろうと思っていた。当時コロナで救急車が足りないという報道もあり、二日酔いなんかで救急車を呼ぶべきではないと思った。
妻がトイレ以外の場所で用を足したりしていたが、そういう行動を取ったと家族以外に知られたら、妻が恥ずかしい思いをして不憫だと思った。
二日酔いだと思ったから、すぐに通報せず放置していたというのだ。
亡くなった容子さんの遺体からはメタノールが検出されているが、吉田被告がメタノールを摂取させたことを裏付ける直接的な証拠はない。
研究室に持ち込まれた4リットルのメタノール
そこで、検察側は吉田被告とメタノールとの接点や、犯行前後の不可解な行動を明かした。
製薬会社の研究員として働いていた吉田被告は、日常業務でメタノールを取り扱っていた。
事件直前の13日と14日には、高純度のメタノール計4リットルが研究室に持ち込まれ、実験などで使われた形跡もなく、外に持ち出せる状況にあったといい、容子さんが日頃から飲んでいる焼酎に、メタノールを混入させる機会があったと検察側は指摘している。
さらに、吉田被告が携帯電話で撮影した、容子さんが飲んでいたという、焼酎パックのパッケージ部分には白濁痕が認められ、この白濁痕を、検察側はメタノール由来のものだと主張している。
このような状況から、検察側は、吉田被告がメタノールを摂取させたことは明らかとする一方、吉田被告側は、容子さんが「自殺を図った可能性がある」と、双方の主張は真っ向から対立している。
研究職同士で結婚も1年後に離婚危機
吉田被告と容子さんの出会いは2006年のこと。
二人は、大手製薬会社の第一三共の内定者同士として出会い、ともに研究職として入社した。
配属場所が違ったことから、頻繁に会うことはなかった二人だったが、同期が集まる飲み会などで時折顔を合わせ、次第に距離を縮めていった。2008年には、容子さんから吉田被告に交際を申し込んだ。
吉田被告は容子さんが喫煙することを理由に一度は断ったというが、翌年、容子さんから「たばこをやめる」と再度交際を申し込まれたことから交際がスタート。2010年に結婚した。
しかし最初の危機はすぐにやってきた。
結婚翌年の2011年。飲み会から帰宅した容子さんが、寝言で他の男性の名前を呼んだ。吉田被告の主張では、容子さんの携帯電話のメール画面には、男性との交際が疑われるやりとりがあったという。吉田被告は「離婚してほしい」と伝えたものの、容子さんが拒否。そこで会社を辞めるよう求め、容子さんは2012年に会社を退職した。
吉田被告は当時の容子さんについて、「プライドを持っていた仕事。博士号を取る機会や留学の機会を与えてくれる会社なので、自分の将来像が途絶えて落ち込んでいた」と話し、その後は、複数の会社に就職・退職を繰り返すようになったという。
妻への暴力と“育児ノイローゼ”
一方の吉田被告はその頃、会社から博士号取得の機会を得て、大学院に通うようになり、順調にキャリアを積んでいく。
2012年11月には、待望の第1子が誕生した。
しかし、「妻が求めるほど育児に参加できなかった」という吉田被告に対し、不満を持った容子さんは「育児放棄」と言いながら、吉田被告を動画で撮影したりするようになっていったという。
一方の吉田被告は、容子さんに暴力を振るっていた。
吉田被告:
たばこを吸わないという約束を破ったのが許せず、たばこを見つけるたびに手を上げた。
翌2013年には容子さんが、“育児ノイローゼのような症状”になったといい、1ヶ月ほど実家に帰ったこともあった。
その後、再び生活を共にするようになったが、容子さんの“症状”は治まらなかったという。
そんな生活の中、吉田被告は風俗店に通うようになる。
吉田被告:
私なりに育児をして家事も手伝っていたつもりだった。よかれと思ってやったことも理不尽にキツいことを言われてつらくて。誰かに優しくしてほしくて甘えたいと思った。
この風俗店通いを知った容子さんは、吉田被告に全ての服の処分や、性病検査の結果を見せることを求めたという。
「これからお前のことを風俗って呼ぶ」
そして夫婦関係は、さらなる悪化の一途をたどっていく。
2018年、吉田被告は会社から2年間の海外留学を認められた。
容子さんも当時の仕事を退職して、家族3人でアメリカでの生活をスタートさせたものの、事実上の家庭内別居状態だったという。
吉田被告:
育児放棄、性病、梅毒、もっと金を出せ、これからお前のことを風俗って呼ぶ、などと言われた。罵りながら動画撮影したり、ご飯を作らなくなったり、私の洗濯をしなくなったりした。
息子と私を遠ざけようとするようになった。
2020年、アメリカから帰国した家族は東京都内のマンションで生活を始める。
しかし、事実上の家庭内別居状態は続いたままだった。
「容子さんが起きる前に家を出る」
吉田被告によると、帰国後も容子さんは罵倒しながら動画撮影をしたり、吉田被告が触ったところを消毒液で拭いたり、消臭スプレーをかけるなどしていた。
吉田被告:
息子に両親の不仲を見せたくないと、容子さんが起きる前に家を出て、就寝した頃帰宅するという生活を送るようになった。
そして吉田被告は、容子さんに隠れて再び風俗店に通い、店に勤める女性と親密な関係になった。
しかし、これほどまでに悪化した関係でも「離婚を言い出すつもりはなかった」という。
吉田被告:
両親がそろっているのが息子のためでもあると思ったし、私がいなくなればイライラのはけ口が息子に向いてしまうのではと思い、はけ口としてでもそばにいるべきだと思い、離婚は考えなかった。
妻が嘔吐後に寿司など買い出し
そして2022年1月、メタノール中毒で容子さんは死亡した。果たして夫が妻を殺害したのか?もしくは自殺なのか?
検察側の指摘によると、メタノールを摂取した容子さんが嘔吐するなどした後、吉田被告は缶ビールや寿司、唐揚げなどを買いに出かけていた。さらに宅配ピザを注文したり、風俗店の女性とLINEで連絡を取るなどしていたという。
吉田被告:
酒のせいでそうなっているんだろうと思った。息子と過ごせる時間がうれしくて、浮かれてしまって、見て見ぬふりをしようとしたのか、本当のところは分からない。
裁判で終始淡々と質問に答えていた吉田被告だったが、息子に関して問われると、声を震わせながらこう答えた。
吉田被告:
息子から彼が大好きな母親を奪うようなことは絶対しません。そんなことをして、犯罪者の息子にしてしまうような愚かな人間ではありません。息子のもとに駆けつけて、息子を守ることが私の一番の望みです。
「妻に対して一度も殺意を抱いたことはない」
検察側は「吉田被告が被害者にメタノールを摂取させたことが優に認められる」とした上で、「最愛の一人息子を遺して突然この世を去ることになった被害者の無念さ、精神的苦痛は察するに余りある」と指摘し、懲役18年を求刑した。
一方の弁護側は、被害者がメタノールを購入し、自ら摂取した可能性は否定できないとして、無罪を主張した。
吉田被告は最終意見陳述で「二日酔いだと思い込んで救急車をすぐに呼ばなかったことは責められて当然」と述べた一方、「妻に対して一度も殺意を抱いたことはないし、メタノールを摂取させてもいません。私は無実です」と訴えた。判決は10月30日に言い渡される。
【フジテレビ社会部司法担当 空閑悠】