[食の履歴書]鈴木桂治さん(全日本柔道男子監督) 海外遠征に米を持参 考えた食事でけが減

写真拡大 (全3枚)

 茨城県で生まれたんですけど、中学から国士舘に進みまして、大学まで10年間寮生活。その間、俗に言う寮飯を食べていました。

 実家でご飯を食べたのは、小学校卒業まで。大会の時に、お弁当を作ってもらったことを思い出します。僕にとっておふくろの味は、甘味の強い卵焼きと炊き込みご飯ですね。

 寮に入ってからは、実家に帰るのは夏休みと冬休みのそれぞれ1週間くらい。家族と一緒に母の作る料理を食べるのは楽しかったし、東京に戻る時に持たせてもらったお弁当やおにぎりもうれしかったです。

 茨城では、おいしい野菜も果物もたくさん作られています。そういうことは、東京で寮生活をするまで感じたこともありませんでした。


 身内に農家がいたおかげで、実家ではいつもおいしいお米を食べていました。そのありがたさも、寮で初めて知りました。ちょうど僕が中学に入った年(1993年)は「平成の米騒動」が起きたため、寮でのご飯はタイ米かタイ米を混ぜたブレンド米。実家でおいしいご飯を食べていた僕にとっては、全然満足できない味でした。

 当たり前のように口に入っていた食事がどんなに大事なものかと、しみじみ感じました。


 これは海外の大会に出場する時も、強く思いました。僕は外国に行く時はお米を持っていくようにしましたし、それは今も変わりません。

 先日のパリオリンピックでは、選手村のすぐ近くに日本スポーツ振興センターがハイパフォーマンススポーツセンターという臨時の施設を造ってくれました。多くの日本人スタッフがいて、選手たちに日本食を作ってくれたんです。

 僕が出場したアテネオリンピック(2004年)でも日本食を提供していただきましたが、今回のような大きな施設でというわけではなかったです。サポート体制も変化しているんですね。コンディションづくりの中で食事というのはとても大事なので、ありがたく感じます。


(写真提供=AZUSA)

 僕は無差別級や100キロ超級に出ることが多かったので、厳しい減量をすることはめったにありませんでした。ご飯が大好きなので、これはありがたいこと。でも適正体重というものがあります。太り過ぎると技の切れやスピードが落ちるので、適正体重を超えたら、食べる量を少し控えました。

 けがの多い競技ですが、しっかり考えて食事をしている選手の方がけがは少ないと思います。体をつくるのは、口から入るもの。そう実感し、注意して食事をしていました。


 今は、嫁さんの料理をおいしく食べています。大好きなのは、しょうが焼きとハンバーグ。ご飯がよく進みます。それにチャーシュー。たくさん食べてたくさん運動するのが、僕のやり方です。

 お米と肉が好きなのは間違いありませんが、こう見えて野菜も大好きです。加熱したものよりは生野菜の方がいいですね。ヤングコーンが好きなので、サラダに入れてもらってムシャムシャ食べています。

 4人いる子どもたちにも、なるべく野菜を食べるように言っています。皆、野菜が好きなのでよかった。一番上の子は小学3年生。前はものすごくニンジンが好きで、北海道の知人からニンジンを取り寄せていた時期もあるくらいです。

 子どもができたことで、食事の大切さを改めて感じます。野菜も少しでも質の高いものを食べたい、食べさせたいと思います。ですから地方に行って道の駅などで新鮮な野菜を見ると、喜んで買って帰ります。茨城からは、今でもおいしいお米を送ってもらっています。

 生産者の皆さんには、これからもおいしく安全なものを提供していただければありがたく思います。

(聞き手・菊地武顕)

 すずき・けいじ 1980年、茨城県生まれ。3歳の頃から柔道を始め、2004年アテネ五輪100キロ超級で金メダルに輝く。03年の世界選手権大阪大会では無差別級で、05年の世界選手権カイロ大会では100キロ級で金。五輪、世界選手権を通じて男子選手で初めて3階級を制覇した。また史上7人目の柔道三冠(全日本選手権、世界選手権、五輪の3大会制覇)も達成した。21年から国士舘大学体育学部教授。