樹木の心を動かし、精霊を成仏させる…昔の人々が信じた、和歌の持つ「特別な力」を知っていますか?

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「和歌」と聞くと、どことなく自分と縁遠い存在だと感じてしまう人もいるかもしれません。

しかし、和歌はミュージカルにおける歌のような存在。何度か読み、うたってみて、和歌を「体に染み込ませ」ていくと、それまで無味乾燥だと感じていた古典文学が、彩り豊かなキラキラとした世界に変わりうる……能楽師の安田登氏はそんなふうに言います。

安田氏の新著『「うた」で読む日本のすごい古典』から、そんな「和歌のマジック」についてご紹介していきます(第五回)。

『「和歌の国」日本…世界的にも珍しい『勅撰和歌集』はどのようにして生まれたのか。能楽師の筆者と読み解く「すごい古典」』より続く

和歌の「力」を示す物語

なぜ日本では勅撰和歌集ができるほど、和歌が特別扱いされたのでしょうか。それは和歌に特別な力があると思われていたからではないでしょうか。

ここで能の物語をひとつ紹介しますね。『六浦』という曲(作品)です。

東国行脚に出た都の僧が、鎌倉山を越え、六浦(横浜市)の称名寺を訪れます。山々を眺めれば一面の紅葉。さながら錦を晒したような美しさに「都にもこのような美しい紅葉はないなぁ」と感嘆します。

が、よく見ると一本の楓だけがまったく紅葉していない。まるで夏木立のようです。不思議に思った僧が、土地の人にこの理由を尋ねたいと思っていると、そこにひとりの女性が現れ、その由来を語ります。

昔、藤原為相の卿が都からこの山まで来たときのことです。そのときは山々の楓はまだほとんど紅葉していなかった。ところがその中に一本だけ美しく紅葉している木があった。為相の卿はその紅葉を見て一首の歌を詠みました。

いかにしてこの一本にしぐれけん山にさきたつ庭のもみぢ葉

和歌を詠まれたことを名誉に思ったこの木は、それ以来紅葉しないようになったのだと。

女の正体

この物語を聞いた僧も、楓に一首の歌を手向けます。すると、彼女は僧に礼を言い、そして和歌を詠まれたことでこの木が紅葉しなくなった、そのわけをさらに詳しく語ります。

「藤原為相の卿が和歌を詠んでくださったときに、この木は思いました。人も訪れないような古寺の庭に立つ楓。それなのに和歌を手向けてくださった。それは私一本だけが紅葉していたから。昔から『功名を得たら、あとは身を退くのが天の道』といいます。この言葉を信じ、紅葉するのをやめて常磐木のように青々としていようと決めたのです、と」

僧が「なぜ、あなたはその木の心をそんなに詳しく知っているのか」と尋ねると、「実は私こそこの楓の精霊なのです」と言って、女性は消え失せてしまいます。

不思議に思った僧が夜もすがら声明念仏をしていると、楓の精がその正体を現します。そして、このような山深いところに、昔も今も都の人が来てくださり、そしてともに和歌を詠んでくださった。その値遇の縁で、深き御法を授けつつ成仏させてくださいと舞を舞う。

これが能『六浦』の物語です。

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