なぜかどんな会社でも起きてしまう「上層部になるほど無能だらけになるワケ」

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わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。

※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。

人は無能になる職階にまで出世する

人間の労力や時間のほとんどは、一応「仕事」という名前がついているだけの、何のために/誰のためにあるのかよくわからない無意味な「作業」ないし「運動」で費やされている--『世界は経営でできている』では、仕事と経営についてそのように語られる。

〈たとえばエクセルを開いて、閉じて、開いて、閉じてという指先ラジオ体操で今日の貴重な一日を終えた人は日本だけでも百万人以上いるだろう。

もしかしたらこうした時間の無駄に耐えられず、「こんな仕事、意味あるんですか」という禁句を発して上司に食ってかかった人もいるかもしれない。

こうした状況において、大抵の場合、上司は「規則だ」とぶっきらぼうに返事するだけだろう。というより上司だって、役員だって、取引先だって、意味不明な仕事を会社に強制してきた規制当局だって、誰も「その仕事が何のために必要なのか」も分かっていないのだからそう返答するしかない。〉(『世界は経営でできている』より)

そして、優秀な部下が出世して無能な上司になることがある。なぜそうなってしまうのか。

〈無意味な何かを生み出すことを仕事だと思っていたり、恐ろしいことにこれこそが経営だと思っていたりする人もいる。

なぜここまで会社には真の意味での仕事/価値を創り出す「経営」をおこなっている上司がいないのだろうか。その一つの理由は、次に示すような「人は無能になる職階にまで出世する」という数理的に証明できる法則があるためである。

条件1:組織はピラミッド状であり複数の階層(職階)が存在すると仮定する。

条件2:ある職階において最も成績が良かったものがより上位の職階に就く(成績が悪い場合にも降格・解雇はされない)と仮定する。

条件3:複数の職階において求められる能力はそれぞれ異なると仮定する。

条件4:個々人が持つ能力値はランダムに割り振られ、異なる能力間に相関関係はないと仮定する。〉(『世界は経営でできている』より)

これらは現代の官僚制組織ではありえる状況だろう。

組織の上層部は無能だらけになるわけ

「人は無能になる職階にまで出世する」--具体的に掘り下げると次のようなことになる。

〈特定の職階で優秀だったものが次の職階でも優秀である確率は低い。ただし上位階層のポストの数は少ないのでこれ自体はあまり問題でもない。問題なのは、確率論的にいって「特定の職階では優秀だったが次の職階では優秀でない人」が多数いるということだ。

彼らは新しい職階では評価されないため、さらに上位の職階に進まずに適性のない職階にとどまることになる。こうしたことがあらゆる職階で起こると組織の上層部は無能だらけになるわけである。

数理的にいっても職階の数が多い組織ほどこうなる。ただしこれはあくまで先ほどの四つの条件が揃った場合であり、現実の健全な組織はこうした罠に陥らないように四条件のうち一つ以上を回避する手を打っているはずである(たとえば、組織で働くすべての人が本書を読むことで普段の仕事を経営視点で捉えるようになることでも、条件3・4の仮定は簡単に崩れる)。

といって仕事における喜劇の数々に苦笑しているばかりではいけない。

上司が無能だと笑うのは簡単だが現実はそう単純でもない。おそらくすべての人が大なり小なりこうした無意味な仕事もどきを作りだしている。本当の責任はすべての人にある。〉(『世界は経営でできている』より)

会社勤めを経験したことがある方は、「特定の職階では優秀だったが次の職階では優秀でない人」に心当たりがあるかもしれない。

そうした状況から脱するには、一人ひとりが仕事を経営視点で捉えることが重要なのだ。

つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。

老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い