どうやっても結婚相手と出会えない…人類学の視点から解く「婚活パーティーの本質」

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「人類学」という言葉を聞いて、どんなイメージを思い浮かべるだろう。聞いたことはあるけれど何をやっているのかわからない、という人も多いのではないだろうか。『はじめての人類学』では、この学問が生まれて100年の歴史を一掴みにできる「人類学のツボ」を紹介している。

※本記事は奥野克巳『はじめての人類学』から抜粋・編集したものです。

欲求のために機能がある

フィールドワーカーとして人類学の歴史を切り拓いたマリノフスキは、過去にドイツのライプツィヒ大学で民族心理学者ヴントから指導を受け、さらにロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで男女の心理発達を研究したウェスターマークに教えを受けた経験がありました。その経歴からも彼は心理学や精神分析学に対する関心が強かったことがうかがわれます。

彼はトロブリアンド諸島民の性生活と社会活動を機能主義的に結びつけた上で、それをより抽象化・理論化するために心理学理論を用いています。また、マリノフスキはトロブリアンド諸島の母系社会における母方オジと男児の関係を例にとり、父と子の生物学的関係を論理の基礎として組み立てたフロイト精神分析学を批判しています。

そのようにして、マリノフスキは1920年代後半からアメリカに渡って研究を進める中で、アメリカ人類学の心理学的な傾向に感化されながら自らの文化理論を深めていきました。マリノフスキの死後、1945年に出版された『文化変化の動態』では、彼の文化理論が詳説されています。

衣、食、住などの生活様式には、個人の「欲求」を充足させるための「機能」があるというのがマリノフスキの文化理論の骨子です。個人の基本的な「欲求」とは、新陳代謝、生殖、身体の安全や運動、成長、健康などのことです。つまり食べる、セックスする、運動する、などの人間としての当たり前の活動です。また、人間は個人の「欲求」を満たすために様々な「活動」を行っています。たとえば生殖のための結婚、健康を維持するための医療などです。そしてそうした人間の様々な「活動」は複雑に絡まり合いながら、家族、地域社会、村や町、組合、工場、民族といった「制度」をつくり出しています。これは現代日本を生きている私たちにとっても、すんなり納得できる理論ではないでしょうか。

「婚活パーティー」の文化理論

さらに、そうした「制度」がいったん確立されると、今度は、その「制度」が個人の「欲求」を促進したり、抑え込んだりするようになります。たとえば村の人口が減ると、自治体がお見合いパーティーを開いて個人の生殖への「欲求」を促そうとするでしょう。実際、町を挙げての婚活パーティーは、いまの日本でも盛んに行われています。それもある意味で、マリノフスキの文化理論で説明することができます。

では、マリノフスキはなぜ個人の「欲求」の充足という観点を重視したのでしょうか。それは、彼が人間を理解するためには、社会や文化的な次元に焦点を当てるだけでは不十分だと考えたからです。社会的につくられた「制度」は、日常の人間の活動をつうじて個人の「欲求」を充足させたり、抑制したりすることに深く関わっています。だからこそ人間理解のためには個人の生理的・心理的次元にまで目を向ける必要があるというのが、彼の仮説でした。

彼は、人間社会全体を知るためには、ひとりひとりの人間の心のありように注目しなければならないと考えたのでした。社会や文化、生理や心理のそれぞれをバラバラに捉えていたのでは、人間の「生の全体」の理解に到達することはできません。マリノフスキの文化理論は、人間を知るためには、その生理や心理の次元にまで踏み込んで考察分析するべきだというものだったのです。

さらに連載記事〈なぜ人類は「近親相姦」を固く禁じているのか…ひとりの天才学者が考えついた「納得の理由」〉では、人類学の「ここだけ押さえておけばいい」という超重要ポイントを紹介しています。

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