アメリカ・マイアミビーチのAdobe MAX 2024会場(筆者撮影)

アドビといえば「Photoshop」などのクリエイティブツールの会社、というイメージが強いため、「ビジネスパーソンには縁遠い」「自分には関係ない」と思っている方もいそうだ。

だが、同社はそう考えてはいない。

アドビの業績拡大には、いわゆるクリエイター・デザイナーとより密接な関係を築くことと同時に、それらの職種でない人々との接点を増やすことが重要という発想を持っているからだ。

そして、そのために重要なテクノロジーとなるのが「生成AI」である。

現在アドビがどのような方向性で生成AIとクリエイティビティツールを拡散させようとしているのか。それを解説してみたい。

生成AIで動画を「拡張」する技術も

Adobe MAXでは毎回、アドビがクリエイティブツール向けに導入する新技術が公開される。その中でも今年特に話題だったのは、「動画の生成拡張」と「画像のワンタッチ修正」だ。

ショッピングモールで撮影した、一見普通の動画。しかし、実際は、動画の最後と最初で、それぞれ2秒間、映像を「拡張生成」している。


Adobeの「動画生成AI」技術で拡張されたシーン。「尺が足りない」といった場面で活躍す(筆者撮影)

これはアドビの動画編集ツール「Premiere Pro」に搭載される機能で、筆者が実際にPremiere Proで作ったみたものだ。拡張生成を選んで、動画を「伸ばす」だけで、誰でも簡単にできる。

次に「ワイヤー消し」。以下の2枚の写真は、新しい「Photoshop」の機能を使ったものだ。片方には大量の電線が写っているが、もう片方の写真には存在しない。Photoshopを使って消しているのだ。だが、複雑な作業は不要。文字通り「ワンクリック」で電線が全て消える。



新しいPhotoshopの機能。電線が大量に映り込んだ写真から、ワンタッチですべての電線を消し、背景も自然な形で残す(筆者撮影)

もう1つは「Sneaks」という未来向けの技術をチラ見せするイベントで公開されたもの。製品への投入は未定だが、ユニークでインパクトの強い技術が多い。なかでも喝采を集めていたのが「Project Turntable」。ある方向で描かれた平面のイラストを、そのままぐるり回し、別の方向から見られるようにしてしまうものだ。普通なら「望む方向からの絵を描きなおす」ことになるのだが、Project Turntableだと、好きな方向へ回す操作をするだけで望みの絵ができてしまう。



Project Turntable。平面で描いたイラストを好きな方向に「回して」活用(筆者撮影)

自社開発AI「Firefly」で他社と差別化

こうした技術の背景にあるのは、もちろん生成AIだ。アドビは独自に「Firefly」という生成AIを開発し、さまざまな製品で利用している。Fireflyが公開されたのは2023年3月のこと。最初は「文章で画像や文字を含む静止画を生成する」というシンプルな機能からスタートしたが、現在はより多彩なコンテンツの生成が可能になっている。

その中で今回正式にスタートしたのが、冒頭で紹介した動画生成機能、ということになる。

動画を生成するAIは、今年に入って急速に注目が集まってきた。今年の2月、OpenAIが「Sora」を公開したのが1つのきっかけではあっただろう。文章から生み出されたリアルな映像は、SNSなどでかなり幅広く拡散された。

アドビもそれを追いかけた……という印象を受けそうだが、実際にはちょっと違う。ビデオ生成を手がけていることは昨年すでにアナウンス済み。画像の次は動画、というのは自明であり、「どこも開発していて、どこが最初に公開するか」という流れ、と理解するのが正しい。

Fireflyは他社とどう違うのか

OpenAIら他社の動画生成AIと、アドビのFirefly・ビデオ生成モデルにはいくつもの違いがある。

1つ目は「すでに誰もが使える」こと。最初に注目を集めたOpenAIのSoraは、10月15日現在、一般の利用者には公開されていない。Fireflyは「動画の長さは5秒まで」という制限付きのテスト公開ではあるものの、すでに誰でも使える。


Fireflyで生成した動画。現状はテスト公開で「5秒」の制限があるが、誰でも自由に使える(筆者撮影)

2つ目は、「最初から各種ツールに組み込まれていること」。動画をゼロから生成することもできるが、前述のように、動画編集ソフトから使えるようになっている。前出のように、Premiere Proでは編集中の動画を2秒分伸ばす「拡張生成」機能として利用している。

秒数自体はテスト中ゆえのもので、伸ばすこと・変更することが検討されている。だが、ゼロからの生成ではなく「拡張生成」を軸にしていることには明確な理由がある。

アドビ・プロフェッショナルフィルム&ビデオ製品マーケティングディレクターのミーガン・キーン氏は、「拡張生成」として生成AIをPremiere Proに搭載した理由を「クリエイターの実作業に則したもの」と話す。

ビデオ編集中には、意外なほど「映像の尺が足りない」という課題に直面する。映像素材が十分にあればいいのだがそうもいかない。「ここがほんの少し長ければ」と苦労することになり、「スローモーションにして長くする」とか「あまり意味のない映像を挟む」とか、いろいろと誤魔化しテクニックを使うことになる。

だが、ちょっとだけでも映像を伸ばせれば話は変わる。

前掲の動画を見ればおわかりのように、元映像との違いは小さい。素材となる映像から「映っているもの」「光の状況」「カメラの動き」などを解析し、その情報をもとに映像を作るからだ。だが、そのことを利用者は意識する必要はない。自動的に行われるので、クリエイターから見れば「ちょっと映像素材を伸ばし、編集を楽にする」機能と捉えればいい。アドビは「生成AIで動画を作ること」ではなく、「どうやってクリエイターをサポートするのか」という考え方に集中している。

創造性を奪うのではなく「サポートするAI」

「我々は、生成AIが人の創造性を拡大するものだと信じている」


アドビのシャンタヌ・ナラヤンCEO(筆者撮影)

アドビのシャンタヌ・ナラヤンCEOは、Adobe MAX 2024の基調講演冒頭でそう語った。続いて、同社デジタルメディア事業部門代表のデイビッド・ワドワーニ氏も「生成AIは人の創造性を置き換える道具ではない」と主張する。


アドビは「生成AIは人の創造性を置き換える道具ではない」と主張(筆者撮影)

AIで作品が作れてしまうということは「クリエイターなどの仕事を奪う結果になるのでは……」と言われる。その危険性はたしかにある。

だが、少なくともアドビは、創造性を発揮するのはあくまで人であり、面倒だったり難しかったりする作業をサポートするもの、と位置付けている。動画生成AIの実装はその典型例だ。

そして、他社の生成AIと比べた3つ目の違いは、もっとも大きな違いでもある。それは「安心して商用で使える」という点だ。

生成AIには「なにをもとに学習したのか」という課題がつきまとう。他者の著作物から学習し、その結果として、出力した画像や動画が他者の権利を侵害してしまう可能性があるからだ。

もちろん実際には、「生成AIを使えば必ず権利を侵害してしまう」と考えるのは間違いである。

他者の著作権を侵害する目的(例えば、あるキャラクターに似たものを描かせようとする)があり、侵害の意図をもって生成したコンテンツを外部に公開する行為は問題を生みやすい。それは生成AIが絡む・絡まない以前に「似せる意図」と「公開」が問題になる。

また、そもそも意図はしていなくても「似たものが出る」ことはある。そこはまず利用者が「出たものを使うべきか」自分で判断する必要がある。これもまた、本質的には、生成AIを使ったか否かはあまり関係ない。

他方で、利用者に似せる意図がなく、知識や認識の不足で「似たものが公開されてしまう」リスクはある。

前置きが長くなったが、アドビが配慮しているのはこの部分だ。

同社はFireflyの学習について、権利上問題のないオープンなコンテンツと、自社のコンテンツ・ストックサービスである「Adobe Stock」から、著作権上の問題がなく、AIの学習にも許諾するという条件を許諾したもののみを利用している。だから「似せる意図なく作られたもの」を公開する場合、ビジネス利用上のリスクが最小限となる。

そのうえで、ゼロからAIだけでコンテンツを作るのではなく、人間が作業するうえでのサポート役と位置付ければ、さらにリスクは小さくなる。そしてもちろん、クリエイターからの反発も最小限に抑えることも可能になってくる。

コンテンツのニーズ拡大をツールで支える

アドビが生成AIの利用拡大を進めるのは、市場の要請と彼らのビジネス戦略がマッチしているからでもある。

アドビのワドワーニ氏は次のように説明する。

「過去2年間でコンテンツへの要求は5倍に拡大し、クリエイティブチームを持つ10社のうち9社が人を追加雇用し、雇用自体は2倍に増えている」


コンテンツニーズは増大するが、それをカバーするにはクリエイターが不足している、とアドビは説明(筆者撮影)

SNSや映像配信、デジタルマーケティングなどの拡大によって、コンテンツは、利用者と利用端末、時間によって適切な形で「出し分ける」必要が出てきている。例えば同じ広告向け動画であっても、「縦長なのか横長なのか」「どの地域に出すものなのか」「画面サイズはどのくらいなのか」など、バリエーションはどんどん増えていき、同時に作業量も増える。

結果として(少なくともアメリカでは)クリエイターの雇用がコンテンツ増加ペースに追いついておらず、だからこそより効率化する技術として生成AIが必要になるわけだ。

また、すべてをデザイナーやクリエイターだけが行うとは限らない。社内向け資料やアイデアスケッチ、理解を助けるためのコンテンツなど、日常的に誰もが必要とする「素材」は多数ある。アドビはそうしたコンテンツを作る人たちを「コミュニケーター」と呼んでいる。要は、「デザイナーの肩書はないが、業務上なにかを作らねばならない人たち」だ。

アドビは「Adobe Express」というツールも用意している。これはウェブブラウザーだけで使えるものだが、ビデオ編集からチラシ作成まで、幅広い用途に使える。しかも無料で使い始められる。

だからといって質が低いわけではなく、プロのクリエイターに近い品質が実現できる。以下はビデオを簡単に編集した例だが、これも少ないビデオ編集の知識で作れる。人の切り抜きなどにはAIが使われており、Fireflyで作った映像・動画なども組み込める。


Adobe Express。ウェブからすぐに使えるツールだが、高度なビデオ制作にも対応(筆者撮影)

アドビはAdobe Expressを、PhotoshopやPremiere Proでは荷が重いと感じる幅広い人々向けに提供している。だが、積極的に高度な技術を組み込み、プロにも使えるツールとして用意している。

理由はシンプル。クリエイターとはいえ、全ての領域に精通しているわけではないからだ。

Photoshopには詳しいが動画は専門外な人や、動画編集のプロだが印刷物は苦手、という人は、得意なジャンルとAdobe Expressを使って創造性を拡大できる。

もちろん結果としてアドビのツールを有料で使ってほしい……という流れになるわけだが、徹底的に「便利なツールの提供に徹する」という姿勢がわかりやすい。

この姿勢こそが、ほかの生成AIプラットフォーマーとアドビを分ける大きな違い、といえそうだ。

(西田 宗千佳 : フリージャーナリスト)