「速く動けているし、いいプレーができているとも感じる。なのに2回戦で負けた現実は、なかなか厳しい」

 2024年全米オープン、2回戦──。敗戦となった試合後の会見で、大坂なおみはそう言った。

 もちろん、落胆の色は見てとれる。ただ、過剰に落ち込んでいる表情や口調ではない。少しの困惑を交えながらも、つとめて冷静に、彼女は現実と向き合おうとしているようだった。


大坂なおみの全米オープンは2回戦で幕を下ろした photo by Getty Images

 昨年7月に出産し、今季早々に復帰を果たした大坂は、8月末開幕のこの大会こそが「最大のターゲット」だと公言してきた。この全米オープンは大坂にとって、2018年と2020年に優勝した最も思い出深い大会。幼少期に、姉とともに父の手ほどきでボールを追った、すべての始まりの地でもある。

 今大会の初戦で世界10位のエレナ・オスタペンコ(ラトビア)に勝利し流した涙は、それら強い思い入れや郷愁の集積だった。プレー内容も、この日は完璧に近い。19本のウイナーに対し、アンフォーストエラー(自身のミス)はわずか5本。ツアーきっての強打自慢と互角以上に打ち合い、左右に打ち分けミスも誘った。

 だが2回戦では、カロリナ・ムホバ(チェコ)に3-6、6-7で敗れる。ムホバはオスタペンコと打って変わって、あらゆるショットを高次で操るオールラウンダー。大坂のプレーそのものは悪くないものの、相手の巧みな試合運びに持ち味を封じられての敗戦だった。

 今季の大坂は全米オープン終了時点で、パリ五輪を含む18大会・31試合を戦っている。これはすでに、産休前の2021年や22年シーズンの総試合数を上回る数字。その内訳を見ていくと、今回のオスタペンコを筆頭に6人のトップ20プレーヤーから白星を勝ち取っている。

 ただ、大会の結果としては、2月のカタールオープンでの準々決勝(3勝のうち、ひとつは不戦勝)、もしくは5月のイタリア国際の4回戦進出が最高。1試合での爆発力はあるが、それを継続する難しさに直面しているようだ。

【大坂が世界1位だった5年前との違い】

 もちろん、出産からまだ14カ月しか経っていない事実を思えば、ここまで戻ってきたことは十分に成功だと言えるだろう。大坂自身も「まずは以前の自分に戻り、それを超えていかなくては」と言う。

 ここでひとつ、俎上にあがる議題は「大坂が世界1位に上り詰めた2019年初頭の状態に戻ったとしたら、はたして頂点に立てるのか?」。それは、この4〜5年間で女子テニスのレベルは上がったのか、の問いとも同義だろう。

 では今、最前線に身を置く選手たちは、ここ数年の変化を感じているのだろうか? 現在世界ランキング2位のアリーナ・サバレンカ(ベラルーシ)は言う。

「私自身が成長しているので客観視するのは難しいが、間違いなく女子テニスは成長していると思う。皆が精神的に強く、どうプレーすべきかを知っている。動きの面でもスピードが上がっている。スタッツ(統計)も使えるので、互いが互いをよく知るなかで、どちらが重要な局面で、よりプレッシャーに対応できるかの勝負になる」

 そのサバレンカに追われる立場の世界1位のイガ・シフィオンテク(ポーランド)は、次のように私見を語った。

「5年前と比べて、テニス界全体のレベルが上がったかどうか、私の立場で判断するのは難しい。ただ、1位にいるためには上達し続けなくてはいけないと感じている。

 私が強くなり始めた頃は、みんな、私のプレーがまだわかっていなかったと思う。でも、2023年からは追われる立場になり、標的にされ、プレーを分析された。だからこそ常に新しいことを学び、プレーの幅を広げ、たくさんの選択肢を持つようにしないといけない。同じテニスを続けていては、やがて分析され、勝つのはどんどん難しくなる」

 女子テニスを牽引するふたりの言葉から浮かび上がるのは、情報も増えた今の社会で上位に居続けることの困難さ。そして、プレーの幅を広げることの重要性だ。現にサバレンカは昨年のオフシーズン以降、「スライスを打ってネットに出たり、ドロップショットを打ったりと、バリエーションを増やす練習をしてきた」と言った。

【ベテラン記者が指摘する大坂の足りない点】

 女子テニスを長く取材しているWTA主筆ライターのコートニー・グウェン氏は、まさにこの「バリエーション」こそが、ここ数年の女子テニスにおける最大の進化だと目す。

「以前に比べると、今のトッププレーヤーたちは弱点がなく、何でもできるオールコートプレーヤーになってきたと思います。なおみが若手だった頃に上位にいたペトラ・クビトバ(チェコ)やビクトリア・アザレンカ(ベラルーシ)、セリーナ・ウィリアムズ(アメリカ)らは、今よりプレーが一本調子だった。

 でも最近の上位選手は、もしプランAがうまくいかなくても、プランB、プランCと、いくつもの戦術を用意できる。なおみは逆にそこがまだ足りないので、自分のスタイルや戦術で劣勢に回った時、プレッシャーを覚えているのではと感じます」

 そのような視点で見ると、全米オープンでの大坂の2試合は象徴的かもしれない。あるいは今シーズンの歩みそのものも、昨今のテニス界における彼女の立ち位置を反映しているかのよう。

 今季の彼女の戦績で目につくのは、直近の対戦で勝った相手に負けている点だ。

 最も近いところでは、8月のカナダのナショナルバンクオープンで敗れたエリーゼ・メルテンス(ベルギー)。メルテンスとは今季3度対戦し、3月が敗戦、6月にはリベンジを果たしたが、3度目では敗れている。カロリーヌ・ガルシア(フランス)とも3度対戦し、やはり敗戦、勝利、そして敗戦となった。リュドミラ・サムソノワ(ロシア)には3月に勝利し、4月の再戦で敗れている。

 これらの戦績は、昨今の選手やコーチはデータ分析や戦術立案に長け、それを実践するだけの多様な技も修得している証左だろう。

 そして、大坂が自分に足りない要素として挙げてきた「試合勘」の正体も、ここにありそうだ。つまりは、ここ数年で顕著に見られるテニスの変化や進化に、順応していくことなのだろう。

 冒頭に触れたように、自身の皮膚感覚と戦績のギャップに戸惑う大坂だが、彼女はこうも言っている。

「ちゃんと戦績に向き合い、現状を把握しなくてはいけないと思っている」──と。

 大坂にとって今季は、まずはフィジカルを中心に基礎を取り戻す一年。その土台の上に、いかなるテニスを構築していくのか? 真価が問われるのは、ここからだ。