長い尾を持つ特徴的な天体である「彗星」は注目度が高く、その予測は一般の人々の間でも話題になります。その一方で、彗星の明るさを予測することは極めて難易度が高く、予想が大きく外れることも珍しくありません。


最近では「紫金山・ATLAS彗星(C/2023 A3)」が2024年10月初旬に肉眼でも見える大彗星になると予測されており、注目を集めています。そんななか、アメリカ航空宇宙局(NASA)ジェット推進研究所(JPL)のズデニェク・セカニナ氏(Zdeněk Sekanina)は、紫金山・ATLAS彗星に関するプレプリントを2024年7月8日に「arXiv」に投稿しました。それによれば、紫金山・ATLAS彗星は既に本体である核の崩壊が始まっているため、太陽に接近する前に完全に崩壊してしまい、予想ほど明るくはならないだろうという悲観的な予測が述べられています。


ただしセカニナ氏自身が述べているように、この研究の目的は彗星観測を期待している人々を失望させるためではなく、その期待に対する妥当な科学的議論を提起するためであるとしています。


【▲ 図1: スペインのラ・カニャダ天文台で2024年6月3日に撮影された紫金山・ATLAS彗星。(Credit: Juan lacruz)】

■彗星の明るさ予測は極めて困難

「彗星」は多種多様な天体の中でも最も注目を集める天体と言っていいでしょう。非常に長い尾を引くその特徴的な姿は、実に数千年にわたって観測記録が残されています。数百年前までは主に災害や王の死など不吉な出来事の前兆と見なされて来ましたが、天文学が発達して正確な彗星の出現予測ができるようになると、その珍しさと美しさから、徐々に観測自体が注目されるようになってきました。


観測技術の発達によって彗星は数千個以上発見されていますが、簡単に観測できる大彗星となると数が限られます。機材が無くても目撃が可能な、肉眼でも見える明るさになる彗星となると極めて数が少なく、出現するのは大体10年に1〜2個程度であると言われています。直近では2020年に0等級まで明るくなった「NEOWISE彗星(C/2020 F3)」が大きな話題となりました。


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ただし、彗星の明るさの予測は非常に難易度が高いことで知られています。例えば、先述のNEOWISE彗星の場合は最大でも3等級と予測されていたのに対し、実際には0等級まで明るくなる嬉しい誤算がありました。


その一方で、悲惨な結果に終わった予測もあります。例えば、2012年に発見された「ISON彗星(C/2012 S1)」は2013年にマイナス等級の大彗星になるとも予測されていましたが、実際には肉眼では容易に観測できない5等級に留まりました。また、2019年に発見された「ATLAS彗星(C/2019 Y4)」は1等級以上の明るさになると期待されながら、実際には肉眼で観測可能な明るさにはなりませんでした。


彗星の明るさの予測が難しい理由は、彗星そのものの性質にあります。彗星の本体である彗星核は主に岩石でできていますが、水、二酸化炭素、シアン化水素などの揮発しやすい固体が豊富に含まれています。彗星が太陽に接近すると、彗星核に含まれる揮発成分は昇華します。すると、揮発成分であるガスと昇華の過程で岩石から分離した塵の混合物が彗星核の周りを覆う大気である「コマ」を形成し、さらにその一部は尾となって宇宙空間へと飛び出します。このガスや塵に反射や散乱された太陽光を、私たちは彗星として観察します。


しかし、彗星核からのガスや塵の放出量は太陽に近づけば近づくほど増えるものの、太陽との距離で単純に変化するわけではないことが知られています。例えば、多くの彗星では太陽に接近しても中々明るくならない停滞状態がしばしば観察されます。これに加えて、彗星核は脆く、揮発成分の圧力で砕けてしまうことがあります。彗星核の崩壊は通常であれば揮発成分の放出量が増える太陽への最接近前後で起こるものですが、先述のISON彗星は太陽からはるかに遠い場所で既に分裂が始まっていたことが示唆されていますし、ATLAS彗星は「ハッブル宇宙望遠鏡(Hubble Space Telescope: HST)」によって実際に数十個の破片に分裂した様子が撮影されています。ただし、彗星核が分裂に至る詳細なメカニズムはよく分かっておらず、彗星の明るさを予測することの難易度を上げています。


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そのような背景がある中で、「紫金山・ATLAS彗星(C/2023 A3)」は肉眼で容易に観測できる大彗星になると予測されています。2023年1月に中華人民共和国の紫金山天文台で、同年2月にATLAS(小惑星地球衝突最終警報システム)に組み込まれている南アフリカ共和国の南アフリカ天文台でそれぞれ独立して観測されたこの彗星は、2024年9月27日に太陽から約5900万kmの距離まで最接近し、同年10月初旬には最大で2等級という肉眼で容易に観測できる明るさに達すると予測されています。


■紫金山・ATLAS彗星の核は分裂が始まっている?

【▲ 図2: 1974年に撮影された、スカイラブの宇宙飛行士と会話しているズデニェク・セカニナ氏の写真。(Credit: NASA / modified by Pavel Hrdlička)】

2024年7月8日、ジェット推進研究所のズデニェク・セカニナ氏は、紫金山・ATLAS彗星に関するあるプレプリントをサーバー「arXiv」に投稿しました。プレプリントは科学誌に正式に掲載される前の論文であり、第三者による内容の妥当性のチェックを受ける前の段階です。このため、一般的にプレプリントは正式な研究成果とはみなされず、その内容はある程度割り引いて評価されます。


しかし、今回セカニナ氏が投稿したプレプリントには、天文学者を初めとする天文コミュニティに属する多くの人々が反応しています。その理由は、紫金山・ATLAS彗星が明るい大彗星とはならず、太陽に接近するはるか手前で彗星核が分裂する「避けられない終末(Inevitable Endgame)」を迎えるとする悲観的な内容であったためです。


1936年生まれのセカニナ氏は、1994年に木星に衝突した「シューメーカー・レヴィ第9彗星」や、彗星の空中爆発ではないかと言われている1908年のツングースカ大爆発の研究、彗星探査機である欧州宇宙機関(ESA)の「ジオット(Giotto)」やNASAの「スターダスト(Stardust)」のデータ評価など、多くの彗星に関わる研究で名前を残しています。そんな彗星研究の第一人者であるセカニナ氏が、大彗星になると言われた紫金山・ATLAS彗星の悲観的な予想を発表したことで、プレプリントであっても大きな反響を呼んだと言えます。


セカニナ氏が注目したのは、紫金山・ATLAS彗星の直近の明るさの変化です。イグナシオ・フェリン氏(Ignacio Ferrin)の観測結果に基づくと、紫金山・ATLAS彗星は太陽に最接近する約160日前から予想通りの明るさの変化を示していません。セカニナ氏は、その原因を短期間の観測記録から調査できると考えて、2024年1月21日から6月13日(太陽に最接近する250〜106日前)にかけての明るさの変化を分析しました。


【▲ 図3: 紫金山・ATLAS彗星の明るさの変化を示したグラフ。左側ほど太陽からの距離が近く、より最新の観測記録となります。真ん中の点線の傾きは、理論値の2倍も急な角度であり、これは彗星核の分裂による一時的な増光の証拠だと考えられます。(Credit: Zdeněk Sekanina)】

その結果、紫金山・ATLAS彗星は2024年4月15日(最接近の165日前)から暗くなり始めていること、それ以前の同年3月21日(最接近の190日前)には一時的な明るさの増大が見られることが分かりました。


こうした明るさの変化について、セカニナ氏は彗星核の分裂が原因だと考えています。彗星核が遅くとも2024年3月21日までに分裂したと仮定すれば、表面積が増大するために昇華する揮発成分が一時的に増し、明るさも増えたと説明できます。しかし、細かく分裂した彗星核では揮発成分が一気に枯渇するため、その後は暗くなる一方となります。


紫金山・ATLAS彗星の画像から分析されたコマの形状は、尾の方向に長く伸びています。このような形状は通常の彗星ではみられないものですが、今回の説における揮発成分の一時的な増加はこの形状を説明可能です。また、紫金山・ATLAS彗星は公転軌道から考えると、元々揮発成分に乏しいタイプの彗星核であると予測されていることから、分裂後はほとんど明るくならないだろうとセカニナ氏は予測しています。さらに、太陽に対する最接近距離が約5900万kmであることから、分裂した彗星核のほとんどがこの通過を生き延びられず、生き残った大きな破片も暗すぎて観測が困難であると予測されます。


■より正確な彗星の明るさ予測に生かされる研究

今回のプレプリントは、長年にわたって彗星の研究を行ってきたセカニナ氏の心情が反映されているかのような文章があちこちにあります。例えば、彗星の明るさの予測についてセカニナ氏は「何度も惨めに外れて(failed miserably on a number of occasions)」いると表現していますが、これは予測の難しさを誰よりもよく知っており、自身が悔しい思いを経験したことを反映しているのかもしれません。


セカニナ氏は今回のプレプリントについて、紫金山・ATLAS彗星の観察を楽しみにしている人を落胆させるためのものではなく、より正確な彗星の明るさの予測を行うための科学的な論拠を示すためだとしています。これは、次のような記述に集約されています。


The purpose of this paper is not to disappoint comet observers who have been looking forward to a new naked-eye object this coming October, but to present scientific arguments that do not appear to substantiate such hopes. Even though the prognostication of preperihelion disintegration of comets is admittedly a very risky undertaking, I believe that the time has come to go ahead with it.


「この論文の目的は、今年(2024年)の10月に肉眼で見える新しい天体を期待していた彗星観測者を失望させることではなく、そのような期待を裏打ちするとは思えない科学的論拠を示すことである。彗星の近日点(太陽への最接近)前での(彗星核の)崩壊の予測は確かに非常にリスキーな試みではあるが、私は今こそそれを実行に移す時だと信じている。」


実際、彗星の核が太陽に接近するはるか手前で分裂するという事例は観測例こそあるものの、十分な観測結果が収集された後の研究で判明した事例が多いため、地球に接近するはるか手前で予測するのは困難です。観測データが十分ではない段階で彗星核の崩壊を予測した今回のセカニナ氏の研究は、これからの彗星の明るさ予測をより正確にするきっかけとなるかもしれません。


なお、冒頭でも記述した通り、この研究はプレプリントの段階であり、少ないデータに基づいて予測が立てられています。このため、本記事で解説した内容がその後の観測結果と合わなくなる可能性もあります。この点について、セカニナ氏のプレプリントの結びの文を引用する形で言及しながら、本記事を終了します。


As observations continue and the data in the paper get increasingly incomplete, some of the numerical results may be affected. Apologies.


「観測が継続され、論文のデータがますます不完全になるにつれて、数値結果の一部が影響を受ける可能性があります。申し訳ありません。」


 


Source


Zdenek Sekanina. “Inevitable Endgame of Comet Tsuchinshan-ATLAS (C/2023 A3)”. (arXiv)

文/彩恵りり 編集/sorae編集部