“強奪指名”に激怒「黙って持っていく気か!」 会社で門前払い…中日スカウトの「認識不足」
中日は1969年ドラフト4位で松本幸行を指名…事前挨拶なしで、会社側は激怒
門前払いから始まった。7月25日のドラゴンズ初のOB戦で総監督を務める元中日外野手の法元英明(ほうもと・ひであき)氏は、1968年限りで現役引退してスカウトに転身した。右も左もわからない世界で、最初に1人で担当した選手は、デュプロ印刷機から1969年ドラフト4位で中日入りした松本幸行投手だ。1974年に20勝をマークして中日優勝に貢献した左腕だが、入団交渉は当初、大難航したという。
中日伝説のスカウトと言われる法元氏だが、スタートから辣腕ぶりを発揮したわけではない。「スカウトをやることに決めて、選手を見に行くのはうれしいと思ったけど、この仕事はそんなものじゃなかった。交渉というのはね、選手をやめたばかりの人間にとってはさぁ……。いやぁ、つらかったなぁ。はじめのうちは……」。スカウト1年目のドラフト会議では、2位の右腕・渡部司投手(石川島播磨重工業)と4位の左腕・松本が担当選手だった。
「渡部は他のスカウトと一緒に担当。1人で担当したのは松本が最初だった。(当時の中日監督の)水原(茂)さんに『法元よ、左を連れてこい。左はどんなヤツでもいいから』って言われて、左を必死になって探した。それで(デュプロ印刷機の)松本を見つけた。背が高い。投げ方も悪くない。球は来ない。どこの球団も対象にしてへん。でも先発で、けっこう試合も作るんだわ。22歳で大商大付属高校出身。面白いなと思った」
1年生スカウトはあまり深く考えずにリストに入れていたという。事前にデュプロ印刷機サイドに挨拶することもなく「とりあえず名前を挙げておけばいいかって思った。未熟だったからね」。結果、中日はドラフト4位で松本を指名。「その時も電話して『ドラフトであげたので、よろしくお願いします』。こんな感じやった。松本は『いやぁ、ちょっと……。いっぺん来てください』みたいな応対だったんだけどね」。この時点ではまだ状況を理解していなかった。
「会社(デュプロ印刷機)にも、その翌日じゃなくて、何日かしてから行ったんだよ」。そこで気付かされた。「副社長で野球部長の南さんに怒られた。『君は黙って、よその商品に手を突っ込んで持って行く気か!』ってね」。門前払いだった。「向こうの話は筋が通っていた。僕の方が認識不足だった。ドラフトで指名すれば、本人も会社の人も喜んでくれると思っていたからね。選手上がりの甘さやったと思う。今考えてみたら、いきなり指名されたら、そりゃあ困るわな」。
1年目の法元英明スカウトが謝罪…「道を踏み誤ってしまいました」
どうすることもできず、引き揚げるしかなかった。「帰って、知り合いとか、いろんな人に話を聞いた。『今、こんなふうになっているんですよ』と言うと『そりゃあ黙って発表するのはよくなかった。自分の過ちも含めて本当のことを聞いてもらえ』などとアドバイスももらった」。そんなことが数日あって、法元氏は再び、デュプロ印刷機に向かった。「南さんに『本当に道を踏み誤っていました。申し訳ありませんでした』と頭を下げました」。
1度目は怒られるばかりだったが、2度目は反応が違った。「『いや、ごくろうさん。君のことは調べさせてもらった。君も苦労したんだな』って。『いや、そんなことないです。初めて(スカウトに)なったものですから全くわかりませんでした』と答えたんですけどね。南さんは僕の高校も大学もプロに入った経緯も全部知っておられた」。こうして松本との交渉がOKになった。「そこからはトントン拍子。松本も(中日入りを)前向きに考えてくれたのでね」。
松本はプロ3年目の1972年から5年連続2桁勝利。中日が優勝した1974年は20勝をマークして広島・金城基泰投手とともに最多勝のタイトルも獲得した。「社会人の時からそうだったけど(捕手からの返球を)捕ったらすぐモーションに入ってね。あれ、打者は面食らうんだよね。振りかぶってからサインにクビを振ったりもしていたそうだし……。でも周囲には喜ばれていたよ。試合が早く終わるってね」。
スカウト“第1号”の活躍は法元氏にとってもうれしい限りだった。「あいつが先発の日にロッカーに行ったら、うどんと親子丼を食っていたんだよ。試合前にそんなに食べるヤツなんていないから『お前、何しよんや』って言ったら『これ食わな、最後まで持ちません』って。そんなこともあったなぁ……」。7月25日の中日OB戦でそんな左腕と久しぶりに再会できるのが楽しみだという。「あれはスターだからね」と目を細めた。
いきなりの試練を何とか乗り越えることができたスカウト1年目。「(デュプロ印刷機の)南さんは海軍兵学校出身。ああいう厳しい方に最初にお説教してもらったのが、あとあとのスカウト人生にずーっとプラスになっている。中日の看板を背負って歩いていることを常に考えてね」。伝説のスカウトと呼ばれる法元氏だが、それは松本指名の時の経験があったからこそでもあるわけだ。(山口真司 / Shinji Yamaguchi)