日本代表に「選んでほしくない」 ちらつくタイトル…韓国で味わった“恐怖”
シドニー五輪予選、初のプロ・アマ合同の日本代表に初芝清氏は選出された
「出場できなかったらどうしよう、その話ばかりしていました」。強打の内野手として「ミスターロッテ」と呼ばれ、現在は社会人野球「オールフロンティア」で監督を務める初芝清氏。シドニー五輪予選を兼ねた1999年秋のアジア選手権(韓国・ソウル)に初のプロ・アマ「合同チーム」による日本代表で出場した。
歴史的な日本代表のチーム編成。初芝氏は話題を耳にしても当初は無関係と考えていた。「大会中もプロ野球のシーズンが止まるわけではない。僕はレギュラーで4番も打っていました。選んでほしくない、という方が先でしたね」。それが、メンバー入り。「ええっ、なぜ俺? ちょっと待って、タイトルも懸かってるのに」と驚くやら、打点王争いのライバルたちの動向が気になるやら。
代表選手はアマ16人、プロ8人の24人。プロは古田敦也捕手(ヤクルト)、松坂大輔投手(西武)ら。アマは石川雅規投手(青学大、現ヤクルト)や阿部慎之助捕手(中大、現・巨人監督)らがいた。初芝氏は「石川は20歳の頃でした。もう可愛くてね、みんなのマスコットだった」と回想する。
アマ組が先に現地入りし、プロはシーズンの日程を経て後発。全員が揃うと、日の丸のユニホームの重みを実感した。「プロがいるから負けられない、ではありません。自分も社会人(東芝府中)の時にオリンピックを目指して、代表の選考会や強化合宿に行った事がある。余計に五輪はアマが行くものという気持ちが強かった。(アマのためにも)五輪に出場できないことが一番の怖さ。だから負けられない。出場できなかったらどうしよう、その話ばかりしていました」。
6つの国と地域が参加した大会は、開催地の韓国も含め同じ宿舎に宿泊した。日本はドーピング対策で外出を禁止した。酒が大好きな初芝氏は、毎日ルームサービスで食事。すると、部屋は未成年を除く選手たちの“溜まり場”と化した。「『きょうもいいですかー』ってやって来るんですよ。韓国では料理を一品頼むとつまみがたくさんつくので、人数が多いからつまみだらけ。そりゃ宴会になりますよね」。杉浦正則投手(日本生命)がプロとアマの間を取り持ってくれた。
9月11日に予選リーグが始まった。B組の日本はフィリピンとの初戦に10-0で7回コールド。13日の台湾戦は9-1で勝ち、同組1位で予選を通過した。初芝氏は2戦とも出場したのだが、「予選は全く記憶がないんです。俺、出てました? って聞くぐらい」。結果は楽勝で終わっているのにも関わらず。プレッシャーだったのか。
重苦しい雰囲気を打破したひと振り…“消化試合”の日韓戦で感じたプロとアマの違い
決勝リーグは4チーム中、2位までに五輪出場権が与えられる。15日の台湾との第1戦。初芝氏は予選とは逆にはっきり記憶する。「みんな誰もが真っ青になっていました。点を取られると思っていなかったから。異常な感じでしたね」。先発の松坂が3回に1点を先制されたのだ。
重苦しいムードを打破したのは「4番・DH」の初芝氏。4回にチーム初安打となる左中間への当たり。レフトがもたつく隙を逃さず、足から滑り込んで二塁を陥れた。「普段の僕ならあそこまで走らない。あれが国際試合なんでしょう」。続く松中信彦内野手(ダイエー)が一塁線を破る三塁打を放ち、同点に追い付く。9回は代打で登場したアマの平馬淳内野手(東芝)が左翼線へサヨナラ打。2-1で制した。
16日の中国戦は3-0で2連勝。ナイターの韓国対台湾で、韓国が勝つと、日本の五輪出場が確定する。テレビ中継はなかったため、宿舎で結果を待った。韓国のサヨナラ勝ちが伝えられると、初芝氏は「酒を浴びてましたね。宴会です」。
17日の韓国戦は、シドニー切符を掴んだチーム同士の顔合わせ。初芝氏はプロとアマの違いを感じた。「今も本当に申し訳ないと思うんですが、プロからすると勝っても負けても関係ない“消化試合”の感覚。五輪出場の使命は果たした。プロはすぐ試合が待ってましたから」。初芝氏と松中は18日に帰国し、その夜のダイエー対ロッテ(福岡ドーム)にフル出場している。
しかし、アマの選手たちの方は闘志満々だった。「アマにとって日韓戦は宿命。気合が違う。別のプレッシャーが懸かってました」。最終戦は3-5で逆転負けした。
初芝氏は経歴が示す通り、プロとアマの両方の事情を熟知する存在だ。「今はWBCもあるのでね。出場メンバーをオリンピックと分けてくれればいいのかな、と思いますね」。球界全体に向けた貴重な提言に聞こえる。(西村大輔 / Taisuke Nishimura)