旗手怜央の欧州フットボール日記 第23回  連載一覧>>

1月のアジアカップはラウンド16のバーレーン戦でのケガで、悔しさを味わった旗手怜央。大会後はさまざまな意見を耳にし、目にしたが、「いろんな意見があれば解決の方法も無数ある」と考えているという。

◆ ◆ ◆


旗手怜央が日本代表に対する思いを語った photo by Sano Miki

【申し訳なさと悔しさが残った】

 AFCアジアカップ準々決勝で日本が1−2でイランに敗れた時、スタンドにいた自分が感じたのは、自分の非力さとチームの力になれなかった悔しさだった。

 遡ること4日前、1月31日に行なわれたラウンド16のバーレーン戦で足を痛めた自分は、35分に途中交代した。

 ピッチを退く時に思ったのは、チーム、チームメートへの申し訳なさだった。大会が決勝トーナメントに突入した時に、自分がケガをしてチームを離脱する。前半で途中交代せざるを得なかった状況と、組織としてより団結を深め、さらに勢いに乗っていこうとしているタイミングで、戦力が欠けることへの申し訳なさだった。

 同時に自分自身を振り返り、こうも思った。

「なんで、このタイミングなんだろう......」

 今、思えばだが、バーレーン戦はどこか違和感があった。あくまで後づけだし、感覚的なものでしかないが、プレーしていてもいつもと少し違う感覚があった。

 今日は、パスのフィーリングがいつもと少し違うな。

 今日は、いつもより少し周りが見えていないかもしれないな。

 距離で示せば、ほんの1センチ、2センチ、音量で言えば目盛はひとつかふたつくらいしか変わらない誤差だが、確かな違いを感じていた。

 コンディションは試合によって異なるため、それが直接、ケガにつながる要因だったとは思っていない。だが、得てしてアクシデントが起きる時は、そうした何かが重なるものなのだろう。

 バーレーン戦で負傷した自分は、ケガの状態を見て、準々決勝のイラン戦を終えてスコットランドに帰国する予定だった。そのため、スタンドで日本が負ける姿を目の当たりにした。

 その時に思ったのは、自分がピッチに立って、その敗戦を受け入れる機会を得られなかった悔しさだった。

 少なからずメンバー入りしたみんなは、ピッチで負けた悔しさや、自分が何もできなかった思いなど、現実を直視してあの敗戦を感じることができたと思う。でも、僕はみんなの頑張りを見届けることしかできず、何かを感じたくても感じられない、悔しがりたくても悔しがれない、その苦しさがあった。

 そしてアジアカップを戦うメンバーに選ばれた時に誓った「このチームのために何かをしたい」という思いを実行することも、示すこともできなかった。

 また、イラン戦での敗退を受けて、選手たちがさまざまな意見を述べ、考えを示していた。チームメートとのディスカッションに加わることはできたが、公の場で自分が日本代表への思いや熱量を伝えられる状況になかった現実に、より悔しさが募った。

【いろんな意見があれば解決の方法も無数】

 アジアカップでの敗退を受けて、日本代表についてさまざまな意見を耳にし、目にする。あくまで個人的な意見だが、何が良い悪い、これをするあれをするではなく、勝つための手段をたくさん持っておくことは必要だと思っている。

 今の日本代表には、さまざまなチームで、さまざまなサッカーに触れている選手たちが集まっている。チームとしての規律が多いサッカーに慣れている選手もいれば、個と個の勝負に重きを置く指導者の下でプレーしている選手もいる。はたまたボールをつなぐプレーに親しんでいる選手もいれば、カウンターに慣れている選手もいるだろう。

 いろいろな考えを持っていること、いろいろな考えが集まっていること自体は、マイナスではなく、プラスに働くと考えている。むしろいろいろな意見を選手たちが持っていることで、解決する方法も答えも無数にあるのではないかとも思っている。

 また、自分自身がそうやって成長してきたように、やってみてうまくいかなければ、崩せばいいし、新たな方法を模索すればいいとも考えている。意見が出ない組織に発展はなく、さまざまな考えが出るほうが僕は健全だと思う。

 一方で問いかけたいのは、報道の仕方やメディアの表現方法だ。僕ら選手が、チームに対しての考えを話したとする。それをチームへの批判と捉えられてしまうと、僕ら選手は何も話したり、語ることができなくなってしまう。

 それぞれが考えを語っているのは、意見であり、問題提起でもある。決してチームを批判したいわけでも、チームメートを非難したいわけでもない。根底にはみんながみんな、チームをよくしたい、もっと強くなりたいという思いや考えが込められていることを忘れないでもらえればと思う。

 ピッチで悔しさを噛み締めることができなかった自分は、アジアカップを経て、日本代表への思いがさらに増した。ずっと日本代表に貢献したいという思いは抱いていたが、あの大会を経験して、ここに残り続けたい、ここに居続けたいと思う場所であり、目標になった。

【ケガを無駄にするか、有益にするかは自分次第】

 自分に話題を戻せば、今シーズンに入って3度目のケガ、しかも箇所は違うが、同様のケガを繰り返したショックは大きかった。

 アジアカップが終わり、スコットランドに戻ってからも、しばらく心は沈んでいた。

 昨年10月25日、UEFAチャンピオンズリーグのアトレティコ・マドリード戦で負傷した時は、その瞬間こそ落胆したものの、すぐに気持ちを立て直した。

「ケガを治して、絶対にアジアカップに出てやる」と。

 復帰に向けて、明確な目標を立てることで前向きになれたのだ。しかし、今回はその目標でもあった大会でケガを繰り返してしまった現実に、気持ちを切り替えるのが難しかった。また、自分の感じるまま気持ちや感情を受け入れたため、落ち込む時間も長かった。

 だからと言って、決してリハビリで手を抜いたわけでもないし、日ごろの生活を疎かにしていたわけでもない。すべてにベストは尽くしていたが、簡単に言えば、やる気だけが出なかったし、気力が湧いてこなかった。

 でも、そんな自分にも家族をはじめ、気にしてくれる人、心配してくれる人がいる。父親はケガの状態を、母親も様子を気にしてくれ、連絡をくれたこともきっかけになり、自然と前向きになっていった。

 無理に気持ちを制御したり、保ったりしようとせず、ときには流れや気持ちに身を任せるのもひとつだと思った。

 誰しも人生において、すべてがうまくいく人は、まずいないだろう。生きていれば、自分にとって遠回りに思えていたことが、実は近道だったりすることは往々にある。経験してなくてもいいと思っていたことが、のちに経験しておいてよかったと感じることもある。

 ケガも同様で、それを無駄と思うか、その時間すら有益にするかは、自分の考え方、自分の捉え方次第ということを実感した。

 そして、復帰に向けたリハビリ期間中には、試合に向けた準備、身体の強度、トレーニング内容、食事と、見直せるところはすべて見直して、今まで取り組んできた。

 セルティックでは、今季ここまでリーグ戦8試合に出場して2得点。ケガを繰り返したこともあり、チームに貢献できずにいる。

 個人的にも、ひとつでも多くタイトルを獲りたいと思っているし、セルティックのファン・サポーターには、再び「セルティックには旗手怜央が必要だ」と思ってもらえるプレーを見せたいと思っている。