旗手怜央が日本代表で刺激を受けたふたりのボランチ 遠藤航と守田英正の「異なる特徴と個性」とは?
旗手怜央の欧州フットボール日記 第22回 連載一覧>>
1月のアジアカップでは、ラウンド16のバーレーン戦でのケガにより悔しさを味わった旗手怜央。しかし、日本代表の練習では多くの刺激があり、向上心をくすぐられたという。セルティックで復帰した今、大会での日々と自身のプレーを振り返った。
◆ ◆ ◆
旗手怜央(写真中央)が1月のアジアカップの日々を振り返った photo by Sano Miki
記事が配信されるころには、セルティックパークのピッチを踏んでいることだろう。少し時間は経ったが、自分の記憶を風化させないためにも、ここまでの歩みを記しておきたい。
1月1日、AFCアジアカップを戦う日本代表に選ばれた時は、率直に気持ちの昂ぶりを覚えた。なぜならその直前、昨年10月に負ったケガから復帰して、12月30日のリーグ戦でメンバー入りを果たしたが、出場機会は得られなかったからだ。それだけに、自分が日本代表に選ばれる可能性は低いだろうと考えていた。
世代別代表では東京五輪をはじめ、日本代表と名のつくものに参加したことはあったが、A代表の選手としてはアジアカップが初めての経験になる。選手である以上、自分が出場して試合に勝つことが一番だ。でも、たとえ途中出場だったとしても、出場機会が得られなかったとしても、チームがタイトルを獲るために力になりたいし、その瞬間、その場所に居合わせたいと思っていた。
途中出場だったが、1月2日のセント・ミレン戦で復帰を果たし、カタール入りしてからも、その思いは変わらなかった。
日本代表の練習では、当初はサブ組だったため、(遠藤)航くんや守田(英正)くんとマッチアップする機会が多かった。それもまた、自分にとっていい経験になると思えて、日々充実した時間だった。
航くんと守田くんは、ボール奪取能力に優れている共通点があるように、プレースタイルが似ている一方で、異なる特徴と個性を持っている。
航くんは、ボール保持者に対して、強く激しい圧力を掛けてくるため、自分がボールを持っている時には、常にプレッシャーを感じた。対峙したからこそわかる間合いの取り方、間合いの詰め方があった。
一方の守田くんは、ボールを持っている自分が嫌がる位置に、常にポジショニングを取っていた。そこに立たれてしまうと、ボールを持っても前に運べず、効果的なパスを出すのが難しかった。
似て非なる選手とマッチアップする練習は、向上心をくすぐられた。大会当初はツーボランチを組んでいたふたりの会話も非常に興味深く、考えをぶつけ合っている姿と擦り合わせていく作業は勉強になった。
だから、ゲーム形式の練習をした時には、いつももう少し長くやりたいな、やってほしいなと思っていたくらい。選手としては、それくらい幸せな時間だった。
【多くの選手と密にコミュニケーションが取れた】大会ということもあって、多くの選手といつも以上に、密にコミュニケーションを取れたのも刺激になり、チームのためにという思いを膨らませてくれた。
サッカーの話題では、自分にはない考えを持っている人と話す機会は、それだけで学びになる。
キャリアについての話題になった時には、航くんが「自分もこの年齢でプレミアリーグに挑戦できたのだから、諦めなければ何があるかはわからない」との経験談に、あらためて自分の襟を正した。航くんの言葉を聞いて、「今の自分にはまだまだやらなければいけないこと、やれることがある」と思えたからだ。
トミ(冨安健洋)とは、ともにケガからの復帰明けだったこともあり、トレーニングも含めて、一緒に過ごす時間が多かった。
ウェイトトレーニングも一緒にやったが、トレーニングの内容、身体のケアも含めて感心した。自分も考えて取り組んでいるつもりだが、トミがいろいろな観点から物事や身体について考えている様子を間近で見る好機になった。
日本代表が始動した時には、まだ負傷中だった(三笘)薫とは、一緒にトレーニングをする機会は少なかったけど、試合に向けた調整の仕方、トレーニングの頻度、さらには食事、プレミアリーグについてまでと、気を遣うことなく、ざっくばらんに話した。その時間は、どこか川崎フロンターレ時代を思い出して、懐かしくもあった。
ケガから復帰して間もなかったこともあり、ボールタッチのフィーリングが戻ってきていない時期があったものの、その感覚が徐々に埋まるころには、スタメンで試合に出ている選手の牙城を崩して、自分もピッチに立ちたいという思いが自然と湧いた。
【イラク戦で途中出場】大会初戦となるグループステージ第1節のベトナム戦は、出場機会はなかったが、それがまた自分の闘志に火をつけた。世代別代表でも、大会が開幕した時にはベンチスタートだったことも多く、そこから巻き返してチャンスを得た経験や過程が生きていた。
だから、第2節のイラク戦で0−2の劣勢に立たされた時から、「早く試合に出たい」と思っていた。特に後半に入ってから、日本代表はボールを持てる時間が長くなり、自分の特徴を生かせる状況にある、自分なら違うアクセントになると感じていた。
先発で試合に出ている選手も途中出場する選手も、みんなが同じ思いだろう。誰かのプレーが悪いとか、誰かが劣っているというのではなく、自分ならこうできる、自分だったらこうもできると思いながら、試合に臨んでいるし、見ているはずだ。
だから、イラク戦の時も、叶うことなら誰かを代えずに、11人にプラスして自分を出場させてほしいと思ったくらいだ。もちろん、ルール上、それが無理なのはわかっているけど......。
実際、イラク戦では74分に守田くんと交代してピッチに入ったが、チームが勝つために、ゴールでも、アシストでも、何でもいいからチームが勝つためのプレーをしたいという思いしかなかった。
結果的に1−2でイラクに敗れ、チームを勝利に導くことはできなかった。それでもコーナーキックから航くんのゴールをアシストできて、自分自身のプレーに余裕が生まれた。
その一方で、チームを勝たせられなかった事実に、自分の力のなさも実感した。こうした厳しい状況で、1ゴール1アシストを達成できるくらいの強さがなければ、チームに貢献したとは言えない、悔しさを覚えた。
【自分が持っている力を示せたが......】第3節のインドネシア戦は、イラク戦以上にボールを持てる時間が増えることが想定された。そのため、自分が先発する可能性は高いのではないかと考えていた。だから、現実になった時には、「やってやる」という思いしかなかった。
インサイドハーフとして意識したのは、動きの質だった。
ボールを持てる時間が長くなると、パスをつなげることでチーム全体が走らなくなる傾向があると感じていた。必然的にボールも回らなくなり、悪循環を引き起こす。それは日本代表だけでなく、川崎フロンターレでも、セルティックでも、自分がここまでサッカーを続けてきて感じていたことでもある。
だから、無駄走りになったとしても、誰かがスペースを使うために走る。自分がボールをもらえずとも、誰かがボールを受けられるために動く。その意識が必要だと考えた。
ほかには自分が相手をひとりはがして優位に立つことや、中央にいるだけでなくサイドにも顔を出すことなど、万遍なく、かつ幅広く、動きの質を意識した。
自分がシンプルなプレーができている時は、それだけ周りが見えている証拠でもある。逆にボールを持つ時間が長かったり、余計なプレーを挟んでしまっている時は、周りが見えていない場合だったりする。だから、インドネシア戦で、僕がシンプルにプレーしているように見えていたとすれば、それは周りが見えていたことになるだろう。
自分が意図的にシンプルなプレーを選択していたのではなく、そうすることで自分が日本代表で生き残っていけるし、さらに前でプレーする選手たちの力も生きると思っていた。
ゴールやアシストという結果は残せなかったものの、周りを生かす動きをしながら決定的な場面にも顔を出せていたため、インドネシア戦は自分が持っている力を日本代表で示せた実感があった。
ラウンド16のバーレーン戦は、そうした評価が再び先発出場につながったと思っていた。それだけに35分でのアクシデントに、自分自身を強く責めた。
連載第23回「途中離脱の申し訳なさと悔しさ」へつづく>>