福島の雪と寒さが生んだ会津若松城「赤瓦」の"美"
雪対策で釉薬がかけられた「赤瓦」が白壁に映える(『城好き気象予報士とめぐる名城37 天気が変えた戦国・近世の城』より)
NHK総合サタデーウオッチ9の人気気象キャスターである久保井朝美さんは、大のお城好き。気象予報士になってからは、お城を見る視点に「天気」という専門性が加わり、新たな疑問や仮説が浮かんでくるようになったといいます。
四季があり、かつ東西南北で気候が異なる日本では、各地の城の「気象対策」も異なるはず――。久保井朝美著『城好き気象予報士とめぐる名城37 天気が変えた戦国・近世の城』より、「雪」に備える城の知恵をお伝えします。
日本海側の豪雪地帯などでは、凍結によるひび割れや雪の重さによる崩壊などを防ぐ、さまざまな知恵が見られます。
会津は日本有数の豪雪地帯!
福島県は、全国の都道府県で3番目に面積が広いです。阿武隈高地と奥羽山脈を境に、気候は東西で大きく異なり、いわき市がある浜通り、福島市がある中通り、会津若松市や猪苗代湖がある会津の3つに分けられます。
浜通りは太平洋側の気候、会津は日本海側の気候、中通りはその中間の気候です。
会津若松城がある会津は日本海側の気候ということもあって、冬は雪が多く、寒さが厳しいです。1年間の降水量の半分ほどが冬に降る雪で、豪雪地帯に指定されています。
また、日本海から新潟県を通過して冷たい季節風が強く吹きます。会津若松市の東にある猪苗代湖では、波しぶきが強風に吹かれて岸辺の木に着いて凍る「しぶき氷」が見られます。全国的にみても珍しい現象です。
雪解け水や猪苗代湖などの水源に恵まれ、肥沃な土壌で米どころとなっています。
瓦に釉薬をかけ「凍み割れ」防ぐ
会津若松城といえば、白い壁に映える赤い瓦です。紅白の美しい配色にうっとり見惚れてしまうのは、きっと私だけではないはず!
瓦が赤い理由は美を追求したためではなく、豪雪地帯ならではの工夫です。一般的な黒い瓦は粘土でできているので、雪が降ると水分を吸収してしまい、その水分が瓦の中で凍ったときに瓦が内部から割れてしまいます。これを「凍(し)み割(わ)れ」といい、雪が多い地域の建物の課題です。
そこで、水分が瓦の中にしみこみにくくするために、瓦に鉄分入りの釉薬(ゆうやく)をかけて焼きました。窯の中で高温で焼くことにより鉄が酸化して、瓦の色が赤くなったのです。雪と寒さへの対策をした結果、美しい見た目にもなって、一石二鳥です。
城主・保科正之によって「赤瓦」に
築城当時の会津若松城は黒い瓦で、江戸時代に城主になった保科正之(ほしなまさゆき)が赤瓦にしたと記録があります。保科正之は、三代将軍・徳川家光の弟です。
その後、戊辰戦争のときに砲弾を受けて天守が傾いたため、明治時代に取り壊されました。
現在の天守は1965(昭和40)年に再建されましたが、はじめは黒い瓦でした。2011(平成23)年、赤瓦に葺(ふ)き替えられて江戸時代の姿を鑑賞できるようになったのです。現在、天守に赤瓦を頂いている姿が見られるのは、会津若松城のみです。
赤瓦が雪に覆われ、真っ白になった天守が美しい(『城好き気象予報士とめぐる名城37 天気が変えた戦国・近世の城』より)
再現された幕末の「あずき色」
江戸時代、瓦にかける釉薬は改良が重ねられ、赤瓦の色も変化していったといいます。今の会津若松城の赤瓦は、あずき色のようなシックな印象です。これは出土した瓦を分析して特徴を調べ、試作を繰り返して再現された幕末の赤瓦の色です。
天守の中に入ると近くで赤瓦を見られるので、じっくり観察してみてください。機械で生産されているすべて一様な規格品の赤瓦とは違い、会津若松城の赤瓦は、窯の中で焼かれる際に起こるさまざまな条件によって一枚一枚の色やツヤが微妙に異なり、それぞれに"個性"があることが分かります。
天守の中からは自然な瓦の味わいを、外からは白い壁との競演を楽しむのがおすすめです。
冬に訪れれば、赤瓦が雪に覆われ、屋根も壁も真っ白な天守が迎えてくれます。豪雪地帯だから赤瓦が生まれたという背景を知ると、雪に覆われていても心配になりません。雪景色の会津若松城を安心して眺めさせてくれる赤瓦に感謝です。
桜と雪の競演も楽しめる
会津若松城では、桜の開花日と満開日を独自に観測しています。過去10年間(2014年から2023年)の平均値をとると、開花日は4月8日、満開日は4月14日です。
会津若松観光ビューロー公式サイトにて1954(昭和29)年以降のデータが公開されていますが、開花日・満開日ともに早期の上位5位はすべて2000(平成12)年以降となっています(2023年時点)。地球温暖化の影響もあり、会津若松城のお花見シーズンは早まっているようです。
2023(令和5)年には初めて3月中に桜が開花しました。
天守から見下ろす一面の桜は圧巻で、桜の枝の間から天守を見あげるのも一興です。月見櫓(やぐら)跡から天守を見ると桜が雲海のようで幻想的ですし、いろいろなアングルでお花見をしたくなります。
また、桜が咲いているときに雪が降ることも珍しくありません。天守を背景に、桜の花びらと雪が共に舞う姿は大変情緒があります。
赤瓦を天守から眺める(『城好き気象予報士とめぐる名城37 天気が変えた戦国・近世の城』より)
悲劇の白虎隊は赤瓦に炎を見た?
戊辰戦争のときに、会津藩が、数え16~17歳の少年を集めて組織した白虎隊。彼らは飯盛山から会津若松城が燃えているのを見て、「自分たちの会津藩(旧幕府軍)が敗北した」と思い、集団自決をしたといわれています。
実際には会津若松城は燃えておらず、城下で起こっていた火事を勘違いしたという説があります。また、赤瓦が炎に見えたのではないかという説もあります。
実際に飯盛山から眺めると、会津若松城は見えるもののかなり小さくて、私には瓦の色までは分かりませんでした。みなさんもご自身の目で確かめてみてはいかがでしょう?
なお飯盛山には、白虎隊のお墓があります。
会津若松城とは
別名は「鶴ヶ城」です。豊臣秀吉の命令で城主になった蒲生氏郷が大改修して、東北で初の天守ができました。天守台の石垣は、このときに築かれたものが今ものこっています。7重だったともいわれる壮大な天守でしたが、江戸時代に地震で大きな被害を受けてしまいました。
その後、5重の天守が建てられて、幕末になり戊辰戦争の舞台になります。
現在の天守は、幕末の天守をもとに再建されました。天守のほか、再建された鉄門、続櫓(つづきやぐら:走長屋)、干飯櫓(ほしいいやぐら)などにも赤瓦が葺かれています。
福島県 会津若松城(国指定史跡)
福島県会津若松市追手町1-1
JR会津若松駅からバス(鶴ヶ城西口)下車、徒歩約7分
まだまだあります「雪対策の材」
「雪対策によって進化し、変化を遂げたお城」だと、私は考えています。
弘前城の天守や門の屋根には、もともとは一般的な土の瓦(黒い瓦)が葺(ふ)かれていましたが、雪や寒さで割れて、雨漏りを引き起こすなど問題を抱えていました。
そこで、1754(宝暦4)年から順次、寒冷地でも割れにくい銅瓦に替えていくことにしたのです。1810(文化7)年から建てられた天守にも銅瓦が葺かれました。銅瓦は木でできた瓦に銅板を貼っているため、軽く、積雪で屋根が重くなる課題にも有効です。
当時は銅色(十円玉の色)でしたが、時間が経って錆びて緑色に変化しました。
青森県 弘前城 重要文化財(天守含め9棟)
青森県弘前市下白銀町1
JR弘前駅から徒歩30分
屋根を彩る緑色は、現存天守で唯一の銅瓦(『城好き気象予報士とめぐる名城37 天気が変えた戦国・近世の城』より)
(久保井 朝美 : キャスター、気象予報士、防災士)