3月5日、野党の批判に対して、参議院予算委員会で答弁する加藤鮎子こども政策担当相(右手前)(写真:時事通信)

あれは居留守だったのか?──。昨年末、おもしろい経験をした。第8回こども未来戦略会議でのことである(2023年12月11日)。あの日の出来事を会議の議事録から紹介しておこう。ちなみにあの日、私は手を挙げたわけではなく、いつものように指されたから話しただけである。

○新藤全世代型社会保障改革担当大臣  やはり財源についてのネガティブな報道が多いというのはゆゆしきことだと思いますので、今回皆様に取り上げていただいた「こども未来戦略」をどうやって国民みんなに理解していただくか。これは社会保障全体の意義、役割を理解してもらうのと同じことだと思うのですけれども、何かそういった観点などについて。それから、支援金の負担以上にやはり手厚い支援をするというのも重要だと思いますが、何かございますか。・・・それでは、権丈先生。
○権丈構成員  私は、今日発言された方々みんなと同じで、支援金制度というのは社会保障の機能強化のためには必要性がものすごく高いと思っております。 その中で1点だけ、連合が提出している資料5の中で、「支援金制度については、社会保障の機能劣化への懸念」というのがあるのですけれども、これはどういうことをイメージされてそういうふうに考えられているのかというのを教えていただければと思うのですが。
○新藤全世代型社会保障改革担当大臣 連合の芳野委員から出していただいた資料の中に支援金制度についての御懸念があるということで挙がっておりますが、芳野さん、よろしいですか。 芳野さん、聞こえますか。
○芳野構成員 (オンライン接続の不備で応答なし)

大人の世界には、おもしろい技があるものである。

連帯、分かち合いを具現化した支援金制度

あの日は、こども子育て支援の財源確保のために社会保険の賦課・徴収ツールを活用する支援金制度について議論されていた。そして会議の構成員である日本商工会議所会頭、経団連会長、経済同友会代表幹事など、労使折半の使用者側の支援額を担う経済界の人たちは、誰も反対していなかった。「支援金制度については、社会保障の機能劣化への懸念」があるとして反対していたのは、連合だけである。

支援金の具体的なあり方を検討した「支援金制度等の具体的設計に関する大臣懇話会」が、昨2023年11月から2回開催されていた。

この懇話会では、経済界、知事会、健康保険組合連合会(健保連)、国保中央会、後期高齢者医療制度関係の代表をされている市長など、みんなが揃って、支援金に賛同の意を示している。ここでも反対していたのは連合のみである。

健保連は、健保組合に配る冊子『健康保険』(2024年1月号)の中で、「健保組合・健保連は、このような観点から、新たな法律に基づいて、年齢を問わず負担能力に応じて負担する『支援金制度』に実務上の協力をすることになった。医療保険者の本来の業務ではないが、社会保険制度の将来にわたる持続可能性の確保とこどもの健やかな成長に資することができるように適切に協力していきたい」と、健保連加盟の健保組合に理解を求めていた。

支援金は医療保険料ではないので、徴収は健保組合・健保連の本来業務ではない、しかし社会保険制度の持続可能性やこどもの健やかな成長に資するように協力をする――当事者による、諸々、正確な理解である。

加えてこの懇話会では、社会保障法学者の早稲田大学の菊池馨実教授は、少子化対策から受益するすべての世代、そして経済・社会全体が子育て世帯を支える、分かち合い・連帯の仕組みであるという説明には十分な合理性があり、だからこそ、同じく連帯の仕組みである社会保険のスキームを活用することになじむと論じられた。さらには、支援金制度を単なる財源調達のための技術的な手段と捉えるのではなく、その本質を捉えて、今の日本に必要な、新しい分かち合い・連帯の仕組みであり、社会保険制度のよって立つ基盤をさらに強固にすることにもつながるものと捉える視点が重要であるとも論じている。

そのとおりであろう。

こども・子育て支援の安定財源の確保については、1989年の「1.57ショック」以来長く議論されてきたことである。そしてようやく2021年の「骨太の方針」の中で「安定的な財源の確保にあたっては、企業を含め社会・経済の参加者全員が連帯し、公平な立場で、広く負担していく新たな枠組みについても検討する」と書かれるに至る。

その後の検討の中で、大本のところで少子化の原因でもあり、かつ少子化緩和の便益を受ける既存の社会保険制度を活用し、そのことは、社会保険制度のよって立つ基盤をさらに強固にし、国民のみんなの生活を支えている社会保険制度の持続可能性を高めることになるという理念を確認し、そうした理念を共有する与党が、このたび2月16日に、法案を提出している。

財務省の財政制度等審議会でも、2020年秋の建議で、「賦課方式をとる我が国の社会保険制度の持続性の確保や将来の給付水準の向上につながるものであることを踏まえると、医療保険制度を含め、保険料財源による少子化対策への拠出を拡充するという考え方」が示されていた。

なぜ、こども・子育て支援の話と社会保険制度の間に連帯・分かち合いの仕組みとしてつながりがあるのかについては、次を参照してもらいたい。

社会保険が子ども・子育てを支えるのは無理筋か」(2023年7月28日公開)

人というのは一様ではなく分布がある。こども・子育て支援と社会保険制度の存在をつなげて考えるのは屁理屈だと言う者もいる。人は一様ではないので、そのように見える人もいるだろう。

人は一様ではないということは、次のように説明すればわかってもらえるだろうか。次は、医療消費に見る社会保険と民間保険の違いを説明するために作られた図である。


この図をみて、ある人は「家計と所得の医療サービス支出の関係をみると、(中略)アメリカでは所得と医療サービスの相関は高い。所得に応じて国民は多様な医療サービスを購入していることを示唆する」という文章を書いていた。この文章をみて、なるほど、アメリカの医療制度のほうが日本よりもよいのかと思う人もいるだろう。

対して、私は同じ図をみて、以前、次のように書いたことがある。「このことから、皆保険下の日本では医療の平等消費が実現されているのに、国民全般を対象とした医療保障制度をもたないアメリカでは、医療が階層消費化している」。この文章をみて、なるほど、日本の医療制度のほうがアメリカよりもよいのかと思う人もいるかもしれない。

医療制度に関して、アメリカと日本への評価は、理念、価値判断の違いから生まれるものであり、互いに互いを説得して見解を変えてもらえるような話ではない。そして、医療消費が所得に応じて階層化する医療制度の具体的な設計と、所得に関係なくニーズに応じて医療が消費される平等消費医療制度の具体的な設計は、背後にある理念を反映して180度変わってしまう。制度というものは、そういうものである。

こども・子育て支援金の話も同じである。こども・子育て支援の財源を徴収する仕組みとして、企業を含め社会・経済の参加者全員が連帯し、公平な立場で、広く負担していく新たな枠組みとして社会保険制度を活用することにより、分かち合い・連帯を強化しようという支援金の理念を支持する人もいる。ところが、支援金は社会保障を機能劣化させるという人もいる。

与党が支援金の創設を含む子ども・子育て支援法の改正案を国会に提出した後の様子をみていると、野党は支援金に対してひたすら反対し続けているようである。予算委員会の中で、支援金について「一言で言えば、唾棄すべき最悪の制度で、速やかに撤廃すべき」と言う人もいる。そして団体としては、労働界の代表である連合は、こども未来戦略会議や支援金に関する大臣懇話会の中で、ひとり反対し続けていた。

彼らに、別に対案があるわけではないようである。支援金については、ただ単に、社会保険の賦課・徴収ツールを用いることが許せないらしい。こども・子育て支援に関する連帯・分かち合いを具現化する支援金の理念を理解するには少々社会保障、再分配政策の知識が必要なのだが、その知識が足りないのか、理解したくないのかはわからない。だが、理念を共有できない人たちは、それぞれ党派に分かれ、党派の間で論争をすればいいだけの話である。

もちろん、政治アリーナにおいて、表面的には理念上の対立をするのが党派上の争いではある。しかしながら本当は、野党だから与党に反対するとか、それぞれの応援団も、公言できないような理由で一方の党派に付き、他方の党派に反対したりもする――それが昔から普通の人間社会の有り様である。

なぜ連合はこんなに反対するのか

どうして連合が、働く若い人たちを幸せにすることが確実な制度に、経済界も、そして高齢者も財政面から協力するという支援金に、こうも反対しているのかわからない。彼らは負担と給付の関係が不明確と繰り返しいっているが、今回は、使途が明確とされる「こども金庫」が創設され、支援金はその金庫の中での法定給付のみにあてられる。これほど支援金と給付のリンクが明確なものはない。

反対するという結論ありきの「為にする議論」を行うために、医療保険料の流用、制度が複雑、保険者自治の侵害など、誤解、無理解に基づく話題を持ち出しては国会審議の時間を費やしている。社会保険の賦課・徴収ツールは逆進的だと条件反射のように言う者もいるが、医療保険の賦課上限の賃金月額は139万円で、ほとんど比例の労使折半というほうが正確である。

いったい、誰に向けた質疑を行っているのであろうか。国民の多くは、正確な理解などできるわけがないからと思っての論法なのかもしれないが、時間が経てば正確な理解は広がり、いずれ彼らの評価が落ちるだけである。

民主主義のプロセスの中では、国会において多数派を占める案が成立することになるのだとは思う。

今目の前で展開されているのは、2000年の介護保険制度に次ぐ新たな再分配制度の創設という歴史上の出来事である。その出来事を、数十年先の未来から眺めた時、野党と連合が、かつての年金破綻論、抜本改革論の時と同じように、ただ騒動の歴史を残しただけの残念な存在として記憶されることになるのだろう。

今回の支援金騒動の主役である政党、そして彼らを代弁するさまざまな応援団が、かつての年金騒動時とほぼ同じ懐かしい顔ぶれである様子を眺めると、歴史が繰り返されているように見えるものである。議論の経緯をみんなで眺め、誰が何を言っているのかをしっかりと記憶しておくことは、日本の民主主義を進化させるためにも、意味のあることのようにも思える。


将来感謝される制度が誕生するときの宿命

次は、こども未来戦略方針がまとめられた第6回こども未来戦略会議での私の発言である(2023年6月13日)。

前回、こども・子育て支援の再分配制度を新しく創設すれば、未来の企業、国民全員から感謝されますと話しました。

先週も国家公務員の新人研修に出かけまして、若い彼らには、君たちはオルテガが言う大衆ではないと、ル・ボンの言う群衆であってはいけないよと話してきたわけですが、人間に認知バイアスがある限り、国民が圧倒的に支持することは昔からかえって危なく、20年後、30年後に評価される政策は、反対が多いという仮説を持っています。

この会議では、未来の経済・社会システムのためにも労使みんなで、老いも若きも連帯してこども・子育てを支えるという理念と、この理念を形にするために「賦課対象者の広さを考慮した社会保険の賦課・徴収ルートの活用」と「公費」のミックスがまとめられたわけですが、こうした新しい再分配制度を創設する意義を広く理解してもらうのはなかなか難しいかもしれません。しかしそれは、今ある介護保険のように、将来感謝される制度が誕生する時の宿命のようなものだと思っています。未来の人たちに評価される歴史的な仕事を、是非やりとげてもらいたいと期待しています。

長く、こども・子育て支援制度ができれば、「連帯を通じて、個人、地域、社会につながりがあり、子育て費用を社会全体で負担していこうという意識を涵養できる」と書いてきた。体験したことのない新しい再分配制度の意義を理解することは難しい話だから、圧倒的多数の支持を得て新しい制度ができる道はこの国には存在しそうもない。しかしかつての介護保険のように、この国の人たちは、作られた制度を利用する中で、連帯、助け合いの意義を理解してくれるようになっていく。

最後に、一言触れておこう。

政府は、今、勤労者皆保険を言っている。それは、「所得の低い勤労者の保険料は免除・軽減しつつも、事業主負担は維持すること等で、企業が事業主負担を回避するために生じる『見えない壁』を壊しつつ、社会保険の中で助けあいを強化する」(自民党政務調査会)というものであり、次のような形になる。


支援金の創設が非正規を増やすという支援金批判者たちは、「企業が事業主負担を回避するために生じる『見えない壁』」をなくす勤労者皆保険が考えられていることを知らないのであろう。

とにもかくにも、制度知らずが政策論に参入してくると騒動になる。今回の支援金騒動も、ただそれだけの話である。

(権丈 善一 : 慶應義塾大学商学部教授)