子どもの誕生日には「元夫、元妻、元妻の新彼氏、元夫と新彼氏の両親」が大集合…意外すぎる"離婚家族"の日常
※本稿は、山田昌弘『パラサイト難婚社会』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
■子どもがいる場合、離婚で生活は激変する
経済的メリットや生活の安定性を考えた場合、「離婚」はどのような意味を持つのでしょう。結婚と同じように、離婚も「経済生活」に変化をもたらすイベントです。そして離婚による経済的リスクには、子どもがいるかいないかも、大いに関係してきます。仮に子どもがいないなら、離婚して人生の再スタートを切ることは比較的容易です。「離婚」したとしても、元の「独身」状態に戻るだけ、結婚前の生活に戻ればそれでいいからです。特に日本では、若いうちは親元に戻る割合が高く、再びパラサイト・シングル状態になる人も多いです。
しかしながら子どもがいる場合、「離婚」によって(元)夫婦の生活は激変します。どちらが親権を持つかにもよりますが、現在、親権を取得するのはほとんどの場合が母親ですので、こちらをメインに見てみましょう。
女性が「離婚」をすると、子どもの養育義務は一挙に女性の肩にのしかかってきます。手間暇ばかりでなく、コストの面からもです。本人がフルタイムの仕事をしていればそれなりに経済的安定性を確保できますが、自分の就業中に「家事育児を誰がするか」という問題が生じます。自らの父母と再同居もしくは近くに住んで面倒を見てもらう、もしくは家事代行サービスやシッターなどの外部委託に頼るかなど、保育所や学校ではカバーしきれない部分のケアも必要です。もちろん、それなりにコストもかかるでしょう。育児をしない夫であっても、いるだけましなのです。
■「離婚・シングル・子持ち」が三重苦となる
より条件が厳しくなるのは、それまで専業主婦だった女性が離婚をするケースです。パート程度の収入の女性も同じです。別れた夫からある程度の生活費・養育費が振り込まれることはあっても、元夫が相当の高収入でない限り、それだけで暮らしを営む額を得られることはめったにありません。自身も働かないと、自分と子どもとの生活はままなりません。このあたりの事情が女性の経済的自立を阻み、「離婚」に躊躇する女性を多く生み出しています。「離婚」が「貧困」への入り口になってしまうケースが多いからです。
多くの企業は正社員を新卒一括採用で雇用するか、すでに就労経験のある人材を中途雇用で得ようとします。令和の現在でも、「これまで専業主婦でした」という女性を積極的に雇用し、職場でリスキリングする制度が整っているとは言えません。結果的に、彼女たちが働ける職場は時給も低く雇用も不安定なアルバイトやパートなどの非正規雇用となり、「離婚・シングル・子持ち」が三重苦となって、「貧困」に直結しやすいのです。接客を伴った飲食業(いわゆる水商売)であれば、収入はある程度確保できるかもしれませんが、今度は彼女たちの働く時間に子どもを預けられる場所がありません。
日本では児童虐待の件数も膨大ですが、その背景にも、「結婚」「離婚」にまつわる「子持ち女性の貧困化」という問題が根底に絡んでいるのです。
■父親が親権者となっても苦労やリスクは多い
では、男性の場合の「離婚」のリスクはどうでしょう。男性の場合も、妻が「家庭を顧みない」「育児放棄をする」「浪費三昧をする」「浮気をする」などの理由から、母親(妻)ではなく、父親たる男性が親権を持つケースが存在します。そうした場合、やはり女性と同じような苦労やリスクが生まれます。男性の父母が同居もしくは近くに住んでいるなら、ある程度助けを求めることができるかもしれませんが、晩婚化している昨今、父母も高齢化しており、第一線で子育てをできる気力や体力そして財力があるとは限りません。
また、家事育児をある程度外部委託できたとしても、いまだ社会が「男女分業型結婚(生活)」を前提としている以上、保育所や幼稚園でも小学校でも中学校でも、圧倒的に参加率が高いのは母親(女性)です。子どもを取り巻く環境が、「父親不在社会」である以上、ママ友コミュニティにシングルファーザーは入りにくく、孤立しやすいという状況も発生しがちです。
また、自らは親権を持たなかった場合も、今後養育費を支払い続ける義務が生じたり、愛する子どもと頻繁に会えなくなってしまったりするリスクがあります。日本において、いまだ「離婚」は何かしらの「喪失」が伴うことが専らだということです。
■週の大半は母親と、週末は父親と過ごす子どもたち
ちなみに子どもと親の関係を考えた際、日本と欧米では、考え方が異なることも追記しておきます。ヨーロッパやアメリカでは、「離婚」をしても「家族」の絆は別という考え方が一般化しています。仮に夫婦間の愛情はゼロになったとしても、「子は親と過ごす権利がある」と彼らは考えます。子どもは親の付属品ではなく、れっきとした意思と権利を持つひとりの人間だからです。たとえ親の事情で「離婚」「再婚」したとしても、それを契機に子どもが父親(あるいは母親)と会えなくなるのはあってはならないと考えるのです。ならばどうするか。私の聞いたドイツの事例では、こんなケースがありました。
ある夫婦が「離婚」をして、2人の子どもは母親に引き取られました。元妻・元夫は、もはや口もききたくないほど関係性が悪化していますが、双方共に子どもとは関わりたい。そこで子どもたちは週の大半を、母親と新しい彼氏が住む家で過ごし、週末は近所に住む元夫(父親)の家で過ごす生活を続けていました。元夫が仕事や用事で都合が悪い場合は、元妻が引き取り、元妻が仕事や新しい彼氏と旅行などの際は、元夫が引き取る。子どもたちはそれぞれの家で自室を与えられ、楽しそうに過ごしています。そんな子どもたちの誕生日ともなれば、彼らに関係する大人たちが大集合します。
■「結婚」と「離婚」の繰り返しで広がる人間の輪
元妻とその新彼氏、そして元夫。さらに新彼氏と元夫のそれぞれの両親(おじいちゃん・おばあちゃん)も「孫の誕生日」を祝います。相変わらず元夫婦は口をききませんが、そこは大人の対応です。子どもに対してはにこやかに接し、かつ新彼氏と元夫のそれぞれの両親は意気投合して盛り上がるという、なかなか日本人には想像しにくい光景が広がっていると聞きました。しかもこれはレアなケースでは決してないそうです。
他の家庭でも、離婚した夫婦がそれぞれ再婚した結果、新たな家族ができ、夏休みや冬休みには両家族が集いパーティを開いたり、それぞれの子どもたちを引き取って夏休みを共に過ごさせたりすることは一般的なようです。むしろ「結婚」と「離婚」を繰り返すことで、関係する人間の輪が広がり、関与する社会が広がっていくイメージです。
■大人の個人的な決断と「子ども」の人生は別物
「結婚」と「離婚」。あくまでもそれは、男女(もしくは同性)の感情と意思決定の結果です。大人の個人的な決断と、「子ども」の人生は別物であるべきだという考えに、私は大いに賛同します。
最近は「親ガチャ」という言葉もありますが、本来理想とするのは、どんな親の元に生まれても、子どもたちが安心して、心身共に健康に成長していける社会です。政府は子どもに対する経済的支援を充実させ、社会も様々な家庭の形、幸せの形があることを認め、当事者たちも縁あって「家族」となった以上は、共に幸福の形を考える。そうした意識が日本で醸成されれば、貧困に苦しむシングルマザー(ファーザー)や、虐待で苦しむ子どもたちは減少し、何より日本国が深刻に悩む「少子化」の突破口にもなっていくのではないでしょうか。
「少子化」と「結婚・未婚・離婚」に絡めて、もう一つお話ししたいと思います。かつての日本は「離婚大国」であったこと、そして戦前までは「(事実上)一夫多妻」の風土があったことは本書で述べました。こうした風習は、こと「出生率向上」に特化した場合、ある種の貢献をしていたという見方もあるのです。
■明治時代半ばまでの非嫡出子率は約10%
現在「少子化」に悩む日本は、戦前までは「子だくさん」文化でした。もちろん不妊に悩む人や、流産・死産は今以上にあったでしょう。乳幼児の死亡率も高かった時代には、イエの存続のために、複数の子どもを跡取り予備群として育てることも必要でした。例えば農家では子どもは大切な労働力でもあり、5人、8人、10人以上と、大勢の子を持つ家庭は珍しくありませんでした。
加えて、いわゆるお妾さん(第二夫人など)が産んだ子どもも存在しました。明治時代半ばまでの非嫡出子率は、約10%にも達しました。現在はわずか2%にすぎないことを考えれば、正式な「結婚」外の男女から生まれた子どもたちの存在は大きかったのです。もっともお妾さんを持つには、相当の経済力も必要です。正妻や嫡出子以外の「家庭」を外に持つには、彼らには本宅とは別の住居や生活費も与えなくてはなりません。それができる経済力のある男性にしか、第二夫人以降は可能ではありませんでした。
■フランスの非嫡出子率は約60%
かつてのそんな状況から、現在の日本が学べることは何でしょう。もちろん現代の世に、「お妾さん」の存在を促すわけではありません。ただ、正式な結婚をせずに「未婚の母」になった女性への支援を充実させたり、「婚外子」をしっかり育てられる仕組みを社会が構築したりといったことはできるはずです。
先にドイツの事例を紹介しましたが、少子化に歯止めをかけたフランスも同様です。なんとフランスでは非嫡出子率が、約60%にもなるのです(繰り返しますが、日本は2%です!)。30人学級であれば、クラスメートのうちの18人は正式な結婚を経ていない親から生まれている計算になります。
「結婚」という形は経ていないものの、パートナーとして実質上夫婦生活を営むカップル、その他、未婚の母や離婚した母、父子家庭、祖父母に育てられている子、同性の両親を持つ子、移民を養子にしている家庭などなど、様々な「家庭=子どもの環境」が存在します。そこで、どんな出自や環境に生まれても、子の成育環境がある程度保障され、社会が見守る体制を敷くこと。そうした社会の責任感にこそ、日本の少子化を変えるヒントや選択肢が隠されているのではないでしょうか。
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山田 昌弘(やまだ・まさひろ)
中央大学文学部教授
1957年、東京生まれ。1981年、東京大学文学部卒。1986年、東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。専門は家族社会学。学卒後も両親宅に同居し独身生活を続ける若者を「パラサイト・シングル」と呼び、「格差社会」という言葉を世に浸透させたことでも知られる。「婚活」という言葉を世に出し、婚活ブームの火付け役ともなった。主著に『パラサイト・シングルの時代』『希望格差社会』(ともに筑摩書房)、『「家族」難民』『底辺への競争』『結婚不要社会』(朝日新聞出版)、『日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?』(光文社)など。
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(中央大学文学部教授 山田 昌弘)