CSV(Creating Shared Value)は、企業が自社の事業や製品を通じて社会課題の解決に取り組むこと。社会課題の解決を目指すという視点ではCSR(Corporate Social Responsibility、企業の社会的責任)と似ているCSVですが、取り組みを“ビジネスを通して”行うという点で異なっています。ビジネスによる利益を産むことで、事業として継続性を担保しながら社会へ貢献していくのが、CSVの特徴です。

 

そのCSVにいま注力しているのが、大手IT企業のNEC。開発途上国の支援を行いながら、現地のニーズを吸い上げてビジネスを構築し、継続性を生み出すための試行錯誤を重ねています。同社でCSVを担当する野田 眞さんに、大手IT企業ならではの、CSVの現在地を聞きました。

 

野田 眞/NEC グローバル事業推進統括部 ディレクター。国内印刷会社勤務を経て2008年NEC入社。海外キャリア営業本部にて東南アジア地域における携帯電話インフラ事業に従事。2013年よりNECマレーシアに出向、政府向けITシステムの導入を行う。2016年からはインドにおける政府向けITシステム導入を担当。2019年より国連開発計画本部に出向し、民間セクター連携アドバイザーとして国連と民間企業との連携事業を推進。2021年よりグローバル事業推進統括部にて国際機関との連携を通じた事業開発に従事。米コロンビア大学国際公共政策大学院公共政策修士課程卒。

 

総合力を武器に、開発途上国でのCSV事業を展開

現在NECでは、開発途上国支援のための取り組みを複数行っています。代表的なものが、以下の3案件になります。

 

・ブロックチェーン技術を活用した、インドスパイス産業トレーサビリティ向上プロジェクト

世界最大のスパイス生産国及び消費国であるインドでは、品質の担保やトレーサビリティが課題となっており、また中間業者が大きな利益を上げている反面、小規模農家への利益配分が低く、貧困にあえぐ農家が絶えない状況となっています。この原因の一つに農家がアクセスできる情報量が少ないという現状があり、バリューチェーン内の情報格差も解決すべき課題となっています。

 

この課題解決に挑むプロジェクトに参画したNECは、ブロックチェーン技術を活用してスパイスの生産、処理、加工、流通、販売といったバリューチェーンの各段階での情報を追跡し、スパイス製品の透明性を高めフェアトレードを後押しする仕組みを作りました。現在、3000人の農家の生産データをプラットフォームに登録し、今後さらに10万人規模に拡張を行うべくプロジェクトを進めています。

 

・ガーナ共和国での母子保健および栄養改善

味の素ファンデーション、シスメックスとの共創プロジェクト。味の素ファンデーションが2019年から現地で行っていた母子栄養改善の取り組みを発展させる形でスタートしました。

 

このプロジェクトでNECは、健康診断や栄養指導を通じて母子の行動変容を促進するアプリの開発を担当。同社が開発したアプリを使って現地の保健師が母子の診断や栄養指導を行い、味の素ファンデーションが提供する栄養補助食品の摂取や、シスメックス製の検査機器がある病院での精密検査に繋げるという取り組みです。

 

・開発途上国での予防接種率向上に向けた、生体認証活用

世界の子どもたちを救うための予防接種を推進する世界同盟「Gaviワクチンアライアンス」、英国の非営利企業「シムプリンツ」と覚書を締結、開発途上国におけるワクチン接種状況の管理を目的とした、1〜5歳の幼児の指紋認証の実用化を目指しています。予防接種ワクチンを適切に接種するため、指紋によって個人を識別、接種データを記録するという5000人規模の実証実験をバングラデシュで実施。他国からのニーズも出ており、2024年以降の実用化を目標にしています。

 

社会により貢献したいからこそ、ビジネスの視点が必要

井上 NECがCSV…とりわけ開発途上国での事業に積極的なのには、どのような理由があるのでしょうか?

 

野田 はい。以前からNECでは開発途上国向けのビジネスを多く手がけていまして、技術で世界をよりよいものにしようという考え方は、会社内に根付いていました。当社は、2015年に国連でSDGsが採択される前から「社会価値創造型企業」を目指しており、現在のCSVにつながる機運も社内にはありました。実際に現場の声が事業につながっている例もあります。例えばインドで行っているスパイス産業トレーサビリティ向上プロジェクトでは、NECのインド拠点からの現場の声やプロジェクト参画可能性を検討した上で、公募に応募し採択に至りました。

 

井上 なるほど。インド拠点の規模はどの程度なのでしょうか。

 

野田 グループ全体で約6000人です。

 

井上 かなりの規模ですね。インドでは多くのビジネスを展開されているのでしょうか。

 

野田 NECのインド拠点の歴史はかなり長く、携帯電話の通信システムや物流システム、生体認証を使った国民ID「アドハー」などの開発を手がけてきました。同国内の海底ケーブルや公共交通バスの到着予測や料金決済のシステムにも、NECのシステムが採用されています。

 

井上 インドは世界の人口1位にもなりましたし、これから注目の国ですよね。

 

野田 おっしゃる通りです。しかも現地エンジニアの技術力が高いです。同スパイストレーサビリティプロジェクトのために開発したプラットフォームも、インドのチームだけで開発を行っており、日本国内メンバーはあまり関与していません。

 

井上 すごい技術力ですね。そのプラットフォームについて、ぜひ詳しく教えてください。

 

野田 まず開発の背景ですが、インドは世界最大のスパイスの生産・消費国家です。しかし、品質の担保やトレーサビリティに課題があるため、世界市場での競争力強化に向け改善が必要な分野となっています。インドのスパイス農家の85%は小規模農家です。公設市場の仲介業者は競争がないために取引を支配しており、農産物を持ち寄った農家は提示された価格を受け入れるしかないという不当な扱いを受けてきており、多くの農家が貧困に苦しんでいました。

 

井上 農作物が仲介業者に安く買い叩かれてしまうというのは、開発途上国でよくあることですね。

 

野田 そこで我々が行ったのが、生産者と農作物の品質のデータ化です。スパイスの大袋にQRコードを貼り、それをスキャンすると生産者や農作物の種類や品質、収穫量が表示されるシステムを作りました。データの管理は、セキュリティに優れ、改ざんを防ぎやすくデータの透明性が高いブロックチェーン技術を活用し、現地の農業組合やNGOに協力してもらいデータの入力を進めています。

 

香辛料を仕分ける

 

作業場の風景

 

井上 システムを導入するのに、仲介業者からの反発はなかったのですか。

 

野田 ありましたね。でもこのプラットフォームが普及すれば、スパイスの品質が担保されるようになって、より高付加価値な商品が生まれやすくなります。つまり仲介業者にもメリットがあるのです。その点を訴求して協力を促しています。

 

井上 そういった利害関係者との調整は簡単ではなさそうですが、事業はどの程度進んでいるのでしょうか?

 

野田 実際、インド政府関係者の方からも「染みついた商習慣だから、変えるのはなかなか難しい」と言われました。しかし幸いなことにプロジェクトは着々と前に進んでいます。現在、3000人の農家の生産データが登録されていますが、今後2年間で10万人の生産データを登録していく予定です。

 

井上 10万人にもなると、かなり大きなデータになりますね。ところでこのプラットフォームは、ほかの開発途上国の作物でも使えるのではないかと思いました。

 

野田 その通りです。高付加価値の製品とは特に相性がいいと考えています。たとえばカカオやコーヒー、ハチミツなどですね。いまのところ、インドで運用しているデータの規模がまだまだ小さいので、これから拡張していって、それができた段階で他国へ展開できればと考えています。

 

 

横展開や他社との協力で、エコシステムを構築する

井上 横展開の事例や展望は、ほかの事業でもありますか?

 

野田 ガーナで行っている母子保健や栄養改善のプログラムについてですが、ここで使用しているアプリは、他のプロジェクトで開発したものをベースにしています。以前インド向けに、糖尿病予防に向けた訪問型健康診断アプリを開発したことがあったのですが、ガーナでの取り組みの案を事業部と練っているときに「このアプリが使えるのではないか」という声が出ました。結果として、ガーナ向けのアプリのUIはインド向けのものを活用して、測定・記録する数値などをガーナの母子向けにカスタマイズしたものになっています。

 

ガーナの母子保健アプリ

 

井上 プロジェクトを横断して過去の実績を活かせるのは、大手ICT企業ならではの強みですね。ガーナでのプログラムの目的に「行動変容」というものがありますが、現地の母子の行動を変えていくための仕組みには興味があります。

 

野田 我々が参画する前に、ガーナですでに活動していた味の素ファンデーションの知見やコンテンツを活かしています。味の素ファンデーションが現地で行っていた、栄養教育のためのコンテンツをムービー化して、アプリから見られるようにした、というのはその一例です。

 

井上 現地の保健師さんによる診断にも、アプリを活用しているそうですね。

 

野田 アプリを使うのは保健師さんなので、彼らにとって便利なものでなくては使ってもらえません。そこで、母子の診療情報をアプリに入力することで、データを一括管理できるようにしました。アプリのおかげで保健師さんのデータ管理の手間が減りますし、確実性も上がります。

 

パートナーのシスメックスの機器運用の様子

 

井上 複数の企業で連携して行うプロジェクトゆえのメリットもあるのでしょうか。

 

野田 自分たちでエコシステムを構築できているところですね。NECのアプリで栄養教育の啓発を行い、味の素ファンデーションの栄養補助食品摂取につなげる。もし診断で貧血傾向が見られたらシスメックスの医療機器で追加検査を行うといったように、役割分担をしながら、プロジェクト内でシステムを完結できています。

 

井上 開発途上国での予防接種率向上のための生体認証活用でも、外部の企業と連携されていますよね。

 

野田 こちらのプロジェクトは、英国の非営利企業シムプリンツと組んで行っています。ただし、シムプリンツも生体認証のシステムを開発しているので、NECの事業と競合する部分があります。そこで当社は、1〜5歳の幼児向け指紋認証技術を提供するという形で参画しました。

 

井上 幼児向けの指紋認証技術は、成人向けのものよりも、難しい技術なのですよね。

 

野田 はい。幼児は指先が柔らかく指紋が変形しやすい為、指紋認証が難しいのです。生体認証を活用した国民IDの付与はインドなど複数の国で事例がありますが、技術的な問題から幼児は対象外になりました。しかし、幼児の指紋認証が可能になれば、子どもの誘拐対策などにも応用できる可能性があります。今回の実証実験を通して技術の精度をより高め、実用化に漕ぎつけたいと思っています。

 

井上 幼児向け指紋認証を実用化するとなると、顧客像はどのようなものになりますか?

 

野田 ひとつ考えられるのは保険会社です。指紋認証で、予防接種はもちろん、診療データなどの情報を管理できるようになれば、提供する保険を考える上での参考になります。あるいは現地政府にビッグデータを提供して、予防接種などの施策の効果検証を、より効率的に行えるようにもなると考えています。

 

井上 政府規模の機関が顧客になれば事業化も進みそうです。

 

野田 実際その展望は持っています。しかし、開発途上国の政府は資金が潤沢でないケースも多いので、日本政府や国際機関などからの出資によって事業を行っているのが現状です。各国政府の自己資金獲得に働きかけていくのは次のフェーズだと思っています。

 

課題はあるが、CSV事業の将来性は大きい

井上 いま御社のCSVが抱えている課題には、どのようなものがあるのでしょうか。

 

 

野田 まずは物事の決定に時間がかかることですね。国際機関を通した事業では、支払いトラブルが起きるリスクが低い反面、多数のステークホルダーがからみます。インドのスパイスプロジェクトの件で言えば、2022年8月に3000人の農家の生産データを入力完了し、システムを納品しましたが、これをさらに拡張するというプロジェクトの動き出しは、2024年にようやく始められそうといった感触です。

 

井上 私の会社もODAの現場で事業を行っていますが、スピード感の課題はいつも実感しています。

 

野田 あとは社内の説得も難しいですね。いくら社会貢献になるといっても、ビジネスとして成立しなければダメですから。公募に応募するための社内承認を得るには、事業規模を拡大する方策や他国への横展開の展望などをしっかり描く必要があります。CSVをより推進していくにあたって、精度の高いビジネスプランの作成に特に注力しています。

 

井上 課題がある一方で、手応えもあるのでしょうか。

 

野田 手応えはかなりあります。インドのプロジェクトは現地メディアからも注目を集めて、プレスリリースを出した時には50社ほどから記事が掲載されました。これをきっかけに我々の知名度が上がり、現地の財団から小規模農家向けの投資プラットフォームを開発してほしいという話も頂きましたし、将来性は大きいと考えています。

 

井上 農業関連ではカゴメとスマート農業の推進で協業されているとも聞きました。

 

野田 はい。気象や灌漑などのデータを組み合わせて活用した農業の最適化を推進していて、現在アジアやアフリカの各国で提案活動を行っています。農業は近年加速する気候変動とも関連性が強いですし、国際機関などからの資金提供を得やすい分野となっています。

 

井上 開発途上国で展開するCSVのポテンシャルはやはり大きいですね。

 

野田 国際機関においてもデジタライゼーションによる事業の効率化は大きなテーマになっていますし、DXを活用したCSVは大きな可能性を秘めていると認識しています。現地のスタートアップが参入する傾向が主にアフリカでは顕著なので、彼らに負けないような事業を展開していきたいですね。

 

 

執筆/畑野壮太 撮影/鈴木謙介