尾崎豊が“今も愛され続ける”理由。息子・尾崎裕哉が語るその魅力「彼にしか歌うことができない」
今さら人に聞けないような“音楽の基本”から、制作の裏側や専門テクニックなど“マニアックな知識”までを掘り下げていく『関ジャム 完全燃SHOW』。
10月29日(日)の同番組では、今も愛され続ける伝説のアーティスト・尾崎豊の特集が放送された。
今年で没後31年。今でも多くの人を魅了する尾崎豊とは、一体どんな人だったのか。
スタジオには、尾崎をリスペクトする音楽プロデューサー・本間昭光、石崎ひゅーい、アイナ・ジ・エンド、そして尾崎の息子・尾崎裕哉が集結。色褪せない尾崎の魅力について熱いトークを繰り広げた。
1983年、18歳のときに『15の夜』で鮮烈なデビューを飾り、「10代の代弁者」とも言われた尾崎。しかし1992年、突然の死去により、その音楽活動はわずか9年で幕を閉じた。
尾崎が駆け抜けた激動の音楽人生。アイナは「怒涛で激動だけど、そういう不安定ななかでも突き進んでいく強さが、メロディにも声色にも乗っている。こういう人生を歩んでいたからこそ、尾崎豊さんが今も語り継がれる存在になるのかなと思う」とコメントする。
そして、尾崎が23歳のときに誕生し、現在はシンガーソングライターとして活躍する息子・裕哉は、「10歳から12歳のときに尾崎しか聴いてない時期があった」と回顧。さらに、尾崎が裕哉のために作った曲『誕生』についても、「この曲はいつも特別に聴こえましたね」と明かす。
また、『I LOVE YOU』『卒業』など、尾崎が生み出した数々の名作のなかからプロがとくに称賛する楽曲を紹介する場面も。
裕哉が「自分にはなかなか歌えない曲」とあげたのは、1983年にリリースした『十七歳の地図』だ。
裕哉はこの曲のカバーを何度も試みたそうだが、「やっぱり行き届いてないというか…」と吐露。「あの発散するエネルギーを形から入ってもダメだし、歌ってもダメだし。彼が持っている生き様がすべて歌になってるんだろうなって思わせられる。やっぱり彼にしか歌うことができない曲なんじゃないかなと思いますね」と圧倒されたとか。
一方、父と同じ道を選んだ裕哉に対し、スタジオメンバーから「あえて全部避けて通るっていう選択肢もあったと思う」といった声が。
これに「嘘がつけないというか。好きだったからもうしょうがないよねっていう気持ち」と答えた裕哉。この言葉に「自分の息子をもファンにさせる楽曲」と感心の声があがった。