■『今こそ女子プロレス!』vol.14

角田奈穂 前編

「トンパチ」という言葉がある。「トンボの鉢巻」を省略した相撲用語だ。トンボは頭部のほとんどが眼で、鉢巻をすれば眼が隠れて周りが見えなくなることから、「目先が見えない、勘が悪い」という意味で使われるようになった。

 周りが見えていないという部分から派生して、「無鉄砲、型破り、常識破り」といった意味合いで使われ、プロレス用語としてはさらに「規格外」という意味が含まれる。"破壊王"橋本真也、飯伏幸太など、トンパチエピソードを持つプロレスラーはファンから愛され、圧倒的な支持を得る。トンパチであることは、プロレスラーにとって欠かせない要素のひとつだ。

 そんなプロレス界において、「普通」と称された女がいる。東京女子プロレスの角田奈穂だ。2021年4月、インターナショナル・プリンセス王座に挑戦した際、王者・上福ゆきに「普通」と揶揄されてから、"普通の人"というキャラクターが定着した。

「ファンの人からも『普通だよね』って言われます。『絶対、あんたのほうが普通だよ!』と思いますけど(笑)」


自らの過去を振り返った東京女子プロレスの角田奈穂

 実際に、だれよりも"普通"を求めていたのは角田自身だった。公務員の両親の元で育ち、将来の夢は「公務員になって、23歳で公務員の旦那さんと結婚し、25歳で子供を産むこと」だった。しかし現在36歳の角田奈穂は、未婚でプロレスを続けている。

「やめられるものなら、やめたいです。プロレスを嫌いになれたらどんなにラクかと思う。でもプロレスって中毒なんですよ。だって感情むき出しにして、合法的に人と殴り合えるじゃないですか」

 そう言ってケラケラと笑う角田の目は、確実に"普通"ではない光を放っていた。

***

 角田は1987年、千葉県東金市に生まれた。父親は市役所の職員、母親は公立保育園で働く公務員保育士。3つ上の姉がいて、祖父母も同居していた。

 両親は厳しく教育熱心で、角田は3歳からピアノを習い始め、幼稚園から公文の教室に通った。夜、眠くても泣きながら宿題をやったのを彼女は今でも鮮明に覚えている。エレクトーン、英会話も習い、小学校低学年から塾にも通った。姉が通う塾に親が頼み込み、特別に教材を取り寄せてもらって、姉が授業を受けている教室の後ろで一人、テキストを進めた。ほぼ毎日習い事があり、ひとつ終わったら車で次の習い事に移動することもあった。

「テストで98点を取った時、母に見せたら『なんでその1問を間違えたの!?』って怒られたんですよ。子供ながらに、褒められたかったはずだよなぁって、いまだに思い出します」

 子供の頃から、人の顔色を窺って生きてきた。友だちと話した帰り道、必ず心の中で反省会をする。自分が何を言ったか思い出し、「あの言い方、嫌味じゃなかったかな?」と考える。次に会った時、「あの時さ」と言うと、「え、なにが?」と言われる。自分が気にしすぎていて、相手は気にしていないことがほとんどだ。それでも大人になった今も、反省会をやめられない。「もうちょっと気楽に生きたいと思うけど、性格ですね」と苦笑する。

 小学校では学級委員を務めた。委員長、副委員長、書記......役職が変わっても、常に学級委員のどこかのポジションにいた。「典型的な"いい子ちゃん"タイプだった」と当時を振り返る。吹奏楽部だった姉の影響で金管部に入り、トランペットを吹いた。母の言うことを真面目に聞いていたが、自由奔放な姉への憧れがあった。

 中学に上がると、「いかに内申点を上げて推薦で高校に入るか」だけを計算して生活するようになった。勉強を頑張り、学級委員を務め、合唱コンクールでピアノの伴奏を担当し、ボランティアもした。吹奏楽部の活動にも打ち込んだ。努力の甲斐あって、小学校の頃から行きたかった地元の進学校に推薦で進学した。

 高校では帰宅部。姉のように自由気ままな高校生活を送りたかった。しかし親に「部活かバイトをしなければ予備校に行かせる」と言われ、1年生の10月から慌てて部活に入った。男子バレーボール部のマネージャーだ。

「完全に『タッチ』(小学館)の浅倉南ちゃんへの憧れですね。夏休みにテレビで『タッチ』のアニメを観て育った世代なので。インターハイを狙えるような強い学校ではなかったけど、すごく楽しい思い出です」

 マネージャーをやったことで、トレーナー学科がある専門学校に行きたいと思うようになった。担任の先生には「この学校に来て専門学校に行く奴は全員落ちぶれている」と反対され、せめて母親と同じ保育の学科に行くことを勧められた。そして体験入学を経て、チャイルドスポーツ科に特待生として進学した。

【保育士になるも、配属初日からいじめに遭う】

 卒業後は保育士になるという目標ができた。保育士には、私立の保育園か公立の保育園か、選択肢が2つある。公立の園で働くには、公務員試験に合格する必要がある。どうせなら母親と同じ公務員保育士になりたいと思った。

 見事、一発で公務員試験に合格。配属初日、配属先の保育園に着くと、先生たちが出迎えてくれた。「よろしくお願いします」と言うと、ある先生にこう言われた。「新人の扱い方とか、忘れてるから」――。

「ショックでした。一生、その人の顔も言葉も忘れません」

 保育園は欠員が出ない限り、新人が入らない。角田が配属された園も、何年も新人が配属されず、20代の先生がひとりもいなかった。男性の学年主任に仕事を教わっていると、「いいよね、ちょっと若いくらいでチヤホヤされて」と嫌味を言われた。女性の先輩に仕事のやり方を聞いても、「学年主任の先生に聞けば?」と言われ、教えてもらえない。

 唯一気に掛けてくれた人も、その園でいじめに遭っていた。休みの日にお茶をして話を聞いてもらったが、「園の中で私と喋るとあなたもいじめられるから、園では私に話しかけないほうがいいよ」と言われた。

 配属から1カ月が経った頃、頭痛が止まらなくなり、病院に行くと肺炎になりかけていた。ストレスが呼吸器官に出ていると言われた。「どうしても仕事を休むと言えないんだったら、入院を言い訳にしなさい」と入院を勧められた。保育園に電話を掛けて事情を説明すると、電話口で「なんか新人ダメらしいよ」という声が聞こえてきた。休んでも悪口を言われているというストレスで、体調は悪くなる一方だった。

「0歳児クラスの担任だったんですけど、夜に寝ようとして目を瞑ったら赤ちゃんの泣き声がするようで寝られない。休んだらまた何か言われると思うと、外でカゼの菌をもらうのが怖くて、休日も家から一歩も出られなくなりました」

 精神的に追い込まれ、配属から2カ月で退職した。

【殺陣のレッスンきっかけで、地下アイドル。そして舞台女優へ】

 パチンコ屋のコーヒーレディーのアルバイトをしながら、気晴らしに習い事をしようと考えた。「これまでやってこなかったことがしたい」と思い、選んだのが殺陣だった。時代劇や大衆演劇をやっていた先生に教わり、レッスンに来る人たちは年齢も性別も職種もさまざま。ヒーローに憧れている男の子もいた。やっていることも、聞くことも、すべてが新鮮で楽しかった。

 レッスンがある神楽坂のスタジオで、土日に地下アイドルのライブが行なわれていた。角田は主催者に声を掛けられ、興味本位で地下アイドル活動を始める。30人ほどの客の前で、ソロでカバー曲を歌った。

 ファンがつくようになり、撮影会をするようになった。「せっかくやるんだったらちゃんと芸能の仕事をしたい」と思い、タレント事務所に所属。グラビアの仕事をしながら舞台のオーディションを受け、2008年に女優デビューする。

「舞台って"数字社会"なんですよ。『お客さんをどれだけ呼べるか』なので、その頃はチケットも20枚とか30枚のノルマがありました。ノルマを達成できないと、お金を払って舞台に出る形になる。もちろん1カ月稽古をして舞台本番をやっても、プラスになるお金なんて1円もないし、舞台期間中、収入がゼロでもやれるだけの蓄えを作って舞台をやる感じでしたね」

 どんなに芝居が下手でも当時、主演を張れるのはファンがついている元アイドル。仕事でやっているはずなのに仕事にならないことに悩み、2014年6月に引退を発表。裏方に回ることを決意する。制作会社に就職し、キャスティングや制作の仕事をした。しかし、自分が舞台上にいないことがもどかしくてたまらなかった。

 そんな時、制作会社の社長がアクトレスガールズを立ち上げることになる。「女優によるプロレス」がコンセプトの団体。角田は一期生として声をかけられた。

「表舞台に戻りたかったけど、当時はもう28歳でアイドルをやれる年齢でもないし、最後のチャンスだと思いました。崖っぷちで飛び込みましたね。『プロレスはやるけど、ほかのプロレス団体とは違う。女優がやるプロレスだから危ないことはしない。顔への攻撃もない』と聞いて入りました」

 しかし、実際に始めてみれば、そんなに甘くはないと気づくのに時間はかからなかった。運動経験のない角田にとって、試練の日々が始まった――。

(後編:○○>>)

【プロフィール】
●角田奈穂(かくた・なお)

1987年3月20日、千葉県東金市生まれ。専門学校卒業後、公務員保育士になるも、職場でいじめに遭い、2カ月で退職。趣味で始めた殺陣がきっかけで、地下アイドル活動を始める。グラビアアイドルを経て、2008年、舞台女優デビュー。2015年、アクトレスガールズプレ旗揚げ戦にて、プロレスデビューを果たす(対本間多恵戦)。2020年10月5日、アクトレスガールズを退団し、11月14日より東京女子プロレスにレギュラー参戦。2022年1月、乃蒼ヒカリとタッグチーム「ふりーWiFi」を組み、2023年10月9日、たま未来メッセ大会にて開催されるプリンセスタッグ王座決定戦に臨む。161cm。X(旧Twitter):@kakuta_nao