故・上島竜兵さんの愛妻・広川ひかるが初めて語る「当日」のこと「目を離したのはたった10分。いまも後悔が」
1994年8月、広川との結婚を発表した際の上島さん。肥後克広、寺門ジモンも会見に駆けつけた(写真・白木護)
ダチョウ倶楽部・上島竜兵さん(享年61)が亡くなったのは、2022年5月11日のこと。人気芸人の突然の死は、社会に大きな衝撃を与えた。
死去から1年、上島さんの妻でタレントの広川ひかる(52)が、上島さんへの思いをつづった『竜ちゃんのばかやろう』(KADOKAWA)を上梓する。妻が初めて明かす「その夜」の上島さんの様子とは――。
「本のなかでも書いていますが、5月10日の夜、11時すぎくらいでした。タバコを吸いに部屋から出てきたのですが、様子がおかしくて。泣いているような状態で『死んじゃいたい』と言い出したので、一人で寝かせるのは心配だな、今日は同じ部屋で寝たほうがいいなと思い、戸締まりして、電気を消して、部屋に行ったら……っていう感じでした。
携帯電話を手に持っていたので、すぐ119番して、心臓マッサージをして、マウストゥーマウスで人工呼吸をしました。その時点で息が止まっていたかどうか、私にはわかりませんでしたが、意識はなかったです。そこから一度も意識は戻りませんでした。
見つけてからの動きに無駄はなかったし、異変を感じてから部屋に入るまで、10分もたっていないと思います。本当に、一生の不覚というか、後悔ですね。こんなことになって……」
上島さんはふだんから、睡眠導入剤とアルコールを一緒に摂取していたという。「その夜」もそうだった。
「20年くらい続けていました。もう、ずっと注意してたんです。それをしていたら、鬱状態になるから、いけないよって。よくお酒と睡眠導入剤を飲んで、部屋をうろうろするんです。それで転んだり、何か食べようとして火傷したりとかして、年中、注意してたんです。たいへんなことになるよって。
でも、酩酊しているときに言っても、覚えていなくて。それで、昼間のまともな状態のときに言うんですが、『うるさい、うるさい!』っていう感じで。聞く耳を持たない人だったんです」
「とにかく、コロナにはかかりたくないんだ」
上島さんの心を追い詰めたのは、新型コロナウイルスの流行も大きかった。
「コロナと、志村けんさんが亡くなったこと、怪我で腰痛がひどくて、イライラしていたことも関係するかもしれません。まずいことが全部、重なってしまったっていうか……。
コロナ禍に入ってからは、なんか、気力がないというようなことは言ってましたね。映画を2時間、観られないとか。真剣に話の筋を追わなきゃいけないものだと、観ていられないって。家にいるのが嫌いなのに、自粛しないといけない。仕事もできない抑圧に耐えられない感じでした。
それでも、人さまに迷惑をかけられないと、絶対に飲みには行かなかったです。少しずつ行動制限が緩和されて、『4人までは大丈夫になったんだから、行ってくれば?』って言っても『いや、迷惑をかけるから』って。
コロナになったら、たくさんの人、スポンサーさんにも迷惑がかかるから、とにかく、かかりたくないんだって言っていました。実際、コロナには1回もかからなかったんです」
広川によれば、亡くなる2カ月ほど前にも、上島さんに “異変” を感じたことがあったという。
「3月の頭くらいに、私が、久しぶりにテレビの収録があって、帰りが夜9時ごろになったことがあったんです。帰ったら、竜ちゃんがテラスでタバコを吸っている後ろ姿が見えたんですけど、『ただいまー』って声をかけたら『お帰り、どうだったの?』って。
それがすごく寂しそうだったんですよね。だから私、仕事をして家を空けるのはよくない、家にいてあげようと思ったんです。
それと、(米国人俳優の)ブルース・ウィリスさんが引退するっていうニュース(2022年3月)を見て『自分も引退したい』って言い出したんですよ。
ふだんから、ニュースにからめて『僕も○○しよう』って、ギャグっぽく言うことがあったのですが、ちょっと本気めいた感じだったので『いま、コマーシャルとかドラマとかお仕事が入ってるから、とりあえず、そこを終わらせないと、人さまに迷惑をかけることになっちゃうから。やってから、仕事ストップさせてもらったらいいんじゃないの?』って言って。
そしたら、ふーんって感じで部屋に入っちゃったんです。でも、次の日はケロッとして、元気になっていて。落ち込むのと元気になるのと、その繰り返しの状態を、私が理解していなかったんです」
永遠に封印された「ケンカしてチュー」
上島さんの葬儀は5月14日に営まれた。当日は、多くの芸人仲間が参列。芸人がそれぞれの出演番組で、葬儀でのお笑いエピソードを語ることもあった。
「おもしろい人でしたから、自然に葬儀の間も笑いが起こって。それでまた、しくしく泣いて……の繰り返しでしたね。長年、お世話になっていたスタイリストさんが、赤いタキシードで最後のスタイリングをしてくれて、それがまた竜ちゃんらしくて。
肥後(克広)さんが、草履はここ、帽子はここ、おでんはここって、入れてくれて。おでんも、竜ちゃんに話しかけながら、真空パックを2袋入れて。2人の絆をすごく感じる瞬間でした。
出川(哲朗)さんは、肥後さんに『チューする? しない?』ってけしかけられていたんですが、『それはもうやめよう』と。それで、2人の『ケンカしてチュー』は、永遠に封印されちゃったんだなっていう空気になって、また、みんながシーンと静まり返って……」
広川も、「竜ちゃん」を「寅さん」と呼び間違い、笑いが起きる一幕があった。
「夫婦のなかで、コロナ禍を(映画の)『寅さん』シリーズで乗り越えていた、というところがあって。寅さんは、亡くなったのではなく、旅に出ているっていう形で終わっているんで、竜ちゃんもそれにちなんで『旅に出てると思いたいんです』と、うまく締めくくりたかったんですけど……。
最初に『寅さんが亡くなっちゃって。ああ、違った。竜ちゃんが亡くなっちゃって。私たちは寅さんが好きなんですけど……ゴニョゴニョ』ってなって(笑)。みんな、ドカーンって大爆笑になったんですよ。本当に間違えただけです」
今回、広川が上島さんのことを振り返る本を執筆した思いを聞いた。
「亡くなったあと、葬儀社からもらう冊子に『悲しい感情のあとに、怒りが出てきます』と書いてあったんですよ。最初はただただ、落ち込みます。泣きます。そのあとに、怒りがきますって。本当にそうなるんです。なんで私がこんなことやらなきゃいけないのよ! と。で、また、泣きたくなって。
ひとつの感情じゃないですね。こっちは病院へ連れて行かなかった、本当にすまないっていう気持ちもありますし。いろいろな感情が日々、1日のなかでも来る感じです。
時間がもし戻せるなら、1回、病院に連れて行きたい。本人が嫌だって言ったら、自宅に来てくれる先生を連れてくればいいんだって。そういう努力を、なぜしなかったのか。人の目が気になる商売ですから、病院の待合室に連れていくわけにはいかないとか思っていたことも、いろいろなやり方があったはずなのに……。
この本を手に取ってくださる方も、当事者、家族になりうると思うんです。そういう人たちに、同じような後悔をしてほしくないです。なにより、家族を大事に、自分を大事に、人生を大事に生きてほしいです」
【日本いのちの電話】
ナビダイヤル 0570-783-556(午前10時〜午後10時)
フリーダイヤル 0120-783-556(午後4時〜午後9時、毎月10日は午前8時〜翌日午前8時)