親も子も、完璧を目指さなくていいんです(写真:Fast&Slow/PIXTA)

長い間母親との関係に苦しんできた人はもちろん、大人になってもその記憶を引きずる人は多い。それをどのように克服したらいいのか。
一方、世の中で「母子問題」が取り沙汰されるたび不安にさいなまれる母親は、自分の子育てについてどう考え、何を実践していけばいいのか。
臨床心理学者リンジー・C・ギブソン氏による『親といるとなぜか苦しい』の監訳者で、精神科医・作家の岡田尊司氏が「大人になってからも母との関係で苦しんでいるすべての子」「子育てに悩んでいるすべての母」に提言する。

「善悪二元論」では克服できない

昨今、急速に市民権を得てきた「毒親」という言葉には、問題のある子育てをしてきた親を完全なる悪として捉えるニュアンスがあります。しかし「毒親育ち」にせよ「アダルトチルドレン」にせよ「愛着障害」にせよ、親を絶対悪として扱っているかぎりは、おそらく、この問題を乗り越えることは難しいでしょう。


重要なのは、問題のある子育てをしてきた母親を、別の目で捉え直すことです。視野を広げ、母には母の事情があったんだと捉え直す。そのためには、「善か悪か」という西洋的な二元論ではなく、「善悪は単なる見方の問題であり、本当は善も悪もない」という東洋的な発想で問題と向き合ってみることです。

現に愛着障害をベースにもつ、もっとも深刻な状態である境界性パーソナリティ障害に有効とされるアプローチに「弁証法的行動療法」「メンタリゼーション・ベースド・セラピー(MBT)」というものがあるのですが、いずれも東洋的な思想の影響を受けています。

また、『親といるとなぜか苦しい』では、著者のアドバイスのもとで「精神的に未熟な親」との関係を克服してきた人たちの実例が紹介されています。著者は相談者に、「母親から距離をとって観察してみること」をすすめます。これが、今まで母親に支配されたり、過去のわだかまりから親に不毛な戦いを挑んだりしてきた人にとって、ものすごく重要な第一歩となるのです。

「距離をとって観察する」というのは、いうなれば「視野を広げるための作業」です。つまり、母親から距離をとって観察することで視野が広がると、今までとは違う視点で母親を捉え直すことができる。ここで初めて「善か悪か」の二元論を乗り越え、母親との関係を克服する扉が開かれるというわけです。

まず「今の苦しみの原因」を自覚することから

しかし厳密にいえば、「距離をとり、観察する」の前に1つ、欠かせない段階があります。それは、「お母さんが精神的に未熟であったから、今、自分はいろいろな苦しみを抱えているんだ」と気づくこと。実は母親との関係に起因する問題を抱えている多くの人が、そのことに無自覚なのです。

それどころか、母親に対する義務感、責任感、罪悪感などにさいなまれてきた人が大半です。「お母さんはかわいそうな人だから、自分がもっと助けてあげなくちゃいけない。もっと尽くさなくてはいけない。自分がこんな人間だから、お母さんは不幸なんだ」――と。本来ならば、十分に助けられ、尽くされるべきは幼少期の自分自身であったはずなのに、母親が精神的に未熟であるばっかりに、逆に自分が親の存在を背負い込んでしまっているわけです。

ですから、まず自分で自分に刺している矢を引き抜き、「むしろ原因はお母さんのほうにあるのでは?」という視点の逆転を起こすことが本当の第一歩。その次に、実際に問題を克服する方法として、「母親から距離をとり、観察することで、視野を広げ、今までとは違った視点で母親を捉え直す」という段階があります。

たとえば愛着が不安定な母親は、自身もまた愛着が不安定な母親(祖母)に育てられたのかもしれません。視野を広げることで、このように「自分が苦しんでいるのはお母さんのせいだ」という断罪の意識を、「お母さんにはお母さんの事情があったのかもしれない」という理解へと少しずつ変容させる。別の視点から母親を捉え直すというのは、こういうことです。

さて、その後、母親との関係がどうなっていくかは、母親しだいで2つに分かれます。

子どもが悩み抜いた末に自ら問題を克服しようとしているのですから、それを、そもそもの原因である母親がまったく知らないふりというのはおかしな話です。

そういう考えから、私は、愛着障害を抱えている相談者の親にも、セラピーに参加するよう働きかけています。ただし、残念なことに、このアプローチ(愛着アプローチと呼ばれます)を使いこなせる人が少ないのが現状です。

幸いにして、こちらの働きかけに母親が応え、自らの問題を自覚し、カウンセリングや(場合によっては)投薬治療などに取り組み、変わろうとする。こうして母と子が協力して問題を克服していくというのが1つです。

他方、こちらの働きかけにいっさい応じようとしない母親もいます。そういう場合は深追いしません。相談者にも、いっそのこと母親との関係を断つようアドバイスします。「いつか応えてくれるかもしれない」と期待しても、十中八九、その期待は裏切られ、さらに相談者が傷つくだけだからです。簡単なことではありませんが、母を断ち切ることで、今までのとらわれから解き放たれ、人生に新たな活路が見出されていく。

「完璧な母親」なんていない

ニュースなどで母子問題が取り沙汰されるごとに、ちまたでは母親批判がヒートアップします。そういうことがあるたび、「自分の子育ては大丈夫だろうか?」と不安になる母親も多いことでしょう。

そこで最後に社会全般に対し、私から言っておきたいのは「あまりいい親を求めないこと」「親に完璧を求めないこと」です。子どもが「親に尽くしすぎる、いい子」である必要がないように、親もまた「100パーセント、子どもに尽くす親」である必要はないのです。

本コラムの前回でも述べたように、特に核家族化が進んだ社会では、「親」というものに対する期待が過剰になりがちです。しかし親とて人間であり、人間は誰一人として完璧ではありません。

たった1つ、子育て中のママに伝えたいこと


そして何より世のお母さんたちに、同じことを伝えたいと思います。「私は母親なのだから」と完璧を目指さなくていい。もちろん子どもに暴力を振るうなどは論外ですが、自分の子育てに自信を持てず、不安なあまり子どもに過度に気を使い、おもねるのは、かえって子どものためになりません。「立派すぎる母親」など目指さず、ちょっとくらい不良なところがあってもいいし、時には感情的になって声を荒らげてしまうことがあってもいい。

ただし「反省」は大切です。反省すれば次の言動が変わります。子どもに対する自らの言動を省み、次の言動にフィードバックする。それができるようになれば、自分の子育てに合格点をあげていいでしょう。

(構成:福島結実子)

(岡田 尊司 : 精神科医、作家)