バイデン大統領がブチ上げた「バイデノミクス」とは(写真・ロイター)

イギリスのサッチャー元首相やアメリカのレーガン元大統領が象徴的な存在となっている「新自由主義的経済政策」が風前の灯火となっている。

本家本元のアメリカで、バイデン大統領ら政権中枢が相次いで自由貿易を公然と批判し、国内産業の振興に重心を移す保護主義的主張を展開しているのだ。

英米両国政権によって強力に推進された新自由主義は、冷戦崩壊とグローバリズムも重なって1980年代以降、日本の中曽根内閣をはじめ多くの国でもてはやされた。発展途上国を含めて各国の経済成長を加速させるとともに、貧困層の減少など大きな成果を上げたと言われている。

新自由主義が招いた空洞化

しかし、国境を越えた自由競争主義は弊害も多かった。

新たに生み出された富が巨大企業など一部の富裕者に偏り、経済的格差が拡大した。企業がコスト削減のため賃金の低い途上国に工場を移した結果、先進国の製造業の衰退、空洞化を招いた。

その結果、新自由主義に対する批判の声が高まっていったが、アメリカの歴代政権はトランプ前大統領を除けば、自由貿易や市場経済という看板を掲げ続けた。

ところが現在のバイデン政権は大きく方針を変えている。

バイデン大統領は6月28日、シカゴでの演説で過去のアメリカ政府の政策について「富裕層と大企業のために減税すべきだというトリクルダウン経済学は結局うまくいかなかった」「中西部などの地域でコミュニティーから尊厳や誇り、希望が奪われた」などと述べた。

レーガン政権が掲げた「レーガノミクス」以降の新自由主義的経済政策の結果、製造業で栄えていたアメリカ国内の工業地域が空洞化し中間層が衰退し、民主主義の危機につながっているというのである。そして製造業の国内回帰、インフラ強化などを柱とする自らの政策を「バイデノミクス」と名付けて支持を訴えた。

「トリクルダウン経済学」を批判

サリバン補佐官も4月下旬、自由貿易について「利益が働く人に届かず、中産階級は失速し、製造業コミュニティーは空洞化した。何十年にも及ぶトリクルダウン経済政策が経済的不平等の原因である」として、それまでアメリカが掲げてきた「ワシントン・コンセンサス」を否定し、「ニューワシントン・コンセンサス」を構築すると述べている。

2人が批判した「トリクルダウン経済学」とは、富裕者がより富かになると経済活動が活発になり、その結果、低所得や貧困者にも富が浸透していくという論理である。少しずつしたたり落ちるという意味の英語「トリクルダウン」という言葉が使われている。

安倍政権の経済政策を支持した一部の経済学者も、アベノミクスはトリクルダウンを目指しているとしていた。しかし、実際には期待したほどの効果はなく経済格差の拡大を招いただけとされている。

また「ワシントン・コンセンサス」は、1989年にアメリカの国際経済学者が打ち出した概念だ。

具体的には財政赤字の是正、補助金カットなど政府支出の削減、金利の自由化、貿易の自由化、公営企業の民営化、規制緩和など10項目の政策が掲げられていた。財政均衡や民営化、規制緩和などで小さな政府を目指すとともに、投資や貿易の自由化で市場経済を徹底し、アメリカ流資本主義を世界に広めるという考えだ。

日本にも迫った「市場開放」「規制緩和」を否定

アメリカと言えば市場主義や自由貿易の権化のようなイメージがある。1980年代には、日本に対して市場開放や規制緩和を再三求め、日本政府が対応に苦慮した歴史がある。

ところがバイデン大統領らはかつてアメリカが推し進めた政策を全面的に否定しているのである。

その代わりに打ち出したのが保護主義的な産業政策だ。具体的には「インフラ投資・雇用法」「インフレ抑制法」「チップス投資・科学法」の3つの法律だ。

これらの法律は、アメリカやカナダ、メキシコで最終組み立てをした電気自動車購入への実質的な補助金にあたる税控除、アメリカ国内の半導体産業を強化するための5年間で約7兆円の企業に対する補助金制度、国内雇用を創出するための1.2兆ドルに及ぶインフラ投資などが主な内容だ。

半導体をめぐってはアメリカの政策転換を受けて、すでに国内外の企業が相次いでアメリカ国内の工場建設計画を発表しており、効果は出ているようだ。

これらの内容から明らかなように、バイデン政権の政策は、莫大な財政出動による国内産業振興、企業誘致、保護主義政策であり、長くアメリカ自身が他国に対し否定、批判してきたものばかりである。

かつてアメリカは製造業でも世界に君臨していた。中西部などに巨大な工業地域が生まれ、経済的にも安定した中間層が形成され、安定的な民主主義を担っていた。

ところが製造業の海外移転と空洞化によって中間層は崩壊し、貧困層が増大したことでアメリカ社会に深刻な亀裂が生まれ、政治も極端に二極化し、民主党と共和党が対立を極めている。

「良きアメリカ」の再現を図る

2024年に大統領選挙を控えたバイデン大統領が、今回も勝敗を左右しそうな中西部のラストベルト(さびついた工業地帯)を意識して「脱新自由主義」「脱レーガノミクス」を打ち出していることは明らかだが、同時に中間層を復活させることでアメリカ社会の分断を修復し、良き時代のアメリカの再現を意識しているのであろう。

しばらく前までバイデン大統領は、現在の国際情勢を「民主主義対権威主義の戦い」と言い、守るべきものは「戦後の国際秩序、それは民主主義と開かれた市場経済」と語っていた。

これに対し「バイデノミクス」はホワイトハウスに集うアメリカの「ベスト・アンド・ブライテスト」の面々が考え抜いて打ち出した政策だろうが、政権全体の政策に整合性がないばかりか、将来展望、国際社会へのアメリカの役割など不明な点ばかりが目立つ。

ここで注意しなければならないのは、バイデン大統領の主張が2020年の大統領選で争ったトランプ前大統領の主張と似通っている点である。

トランプ大統領は「MEGA」(アメリカ合衆国を再び偉大な国にするという意味)、「アメリカファースト」を掲げ、中国や日本、欧州に対し自動車や鉄鋼などの関税を一方的に引き上げるなど国内産業保護に突っ走った。

こうした共通点について英紙のThe Financial Timesは「バイデンの政策は人間の顔をしたトランピズムだ」と評している。

意外なことにバイデン大統領やサリバン補佐官の発言は欧米メディアで大きな騒ぎになっていない。すでに関連法が成立してはいるものの、一連の発言を、言葉は激しいが選挙向けの単なるキャンペーンであり、実際の政策がどうなるかは不透明とみているのかもしれない。

また長年、アメリカが主張し実践してきた新自由主義的政策に対し、日本や欧州の主要国の対応はアメリカほどモノトーンではなく、社会保障制度などセーフティーネットの構築も進めており、社会の格差や分断もアメリカほど深刻ではないという面もあるのだろう。

大統領選はポピュリズム競演に陥りかねない

振り返れば、新自由主義的経済政策がさまざまな問題を生み出したことは事実であり、その修正はアメリカのみならず主要国の大きな課題にもなっている。「バイデノミクス」にもそうした面があることは間違いない。

とはいえ、「大きな政府」への回帰が単に国内産業の重視や自由貿易の否定などの一国中心主義、保護主義に走るようなことになると、世界の政治や経済に与える影響は少なくない。

最悪のケースは、次の大統領選がバイデン大統領とトランプ前大統領による人気取り目的のポピュリズム的な、自国中心主義的バラマキ政策の競演になることだ。そうした政治風潮が世界的に広がり、保護主義政策が蔓延すれば、世界経済が縮小するとともに各国の財政規律が失われ、累積債務が膨らんでいくことにもなりかねない。

アメリカの経済政策がどういう方向に向かっていくのかは、やはりひとごとではない。

(薬師寺 克行 : 東洋大学教授)