海外旅行地としての日本人気はとどまるところを知らないが…(写真:Ryuji/PIXTA)

2023年5月、コロナが感染症法の5類に移行されると同時に海外からの入国制限も撤廃され、観光業界ではインバウンドによる景気の促進が大きく期待されていると聞く。中国をはじめとするアジア各国からの観光客が主力なのだろうが、欧州の人々の間でも海外旅行地としての日本人気はとどまるところを知らない。

実際、イタリアに暮らす私の周りでも、「ようやく日本に行けて嬉しい!」と声をかけてくる友人、知人がとても多い。コロナ前からそういう人たちはもちろんいたのだが、今は待ってました!とばかりに友人たちは興奮気味。それに加えて、ちょっとすれ違っただけのような人まで私が日本人とみると、声をかけてくる。先日も病院で看護師さんたちが「私の息子は8月に日本へ行くチケットを予約したのよ!」「あら、私も行きたいけど、どこの代理店がいいかな?」と私に話しかけるでもなく盛り上がっていた。

日本の8月は暑くて気の毒だなあ、と思いながらも、自分の国が人気があるのはとても嬉しく、誇らしい気持ちになる。アニメが大好き、柔道をやっている、など日本が大好きという人は以前からいたが、そうでない“普通”の人たちが、「行ってみたい国」として日本をあげるのは、10〜15年以上前にはそれほど多くなかったように思う。日本人気は今、日本人の私が思う以上に沸騰中のようだ。

日本って、変じゃない?

だがそんなイタリアの人たちの日本愛、そして日本の旅行業界や政府の期待をよそに、私は心配していることがある。それは、大きな期待を持ってやってくる旅行者たちが、期待通り満足し、日本への愛をキープしたまま帰国の途についてくれるだろうか、ということだ。

なぜそう思うかというと、実は私は昨年末、コロナで足止めを食らっていた多くの海外在住者同様、3年ぶりにやっと帰国することができた。その日本滞在中に「日本って変じゃない? 世界からズレてるよね?」という違和感をあちこちで感じたからだ。

インバウンドを期待し、観光立国たろうとするなら、日本の公共交通機関などの案内表示は、とてもお粗末で不親切だという気がした。もちろん、昔に比べたら英語、中国語、韓国語などの案内標識は各所で増えている。だが、まだまだ全然足りないし、内容が駅によって統一されていなかったりなど、わかりにくい。


東京・品川駅のホームに書かれていた案内図。色分けされ、一見わかりやすいようだが、よくみると英語表記はとても小さく、いろいろな文字が縦横入り混じり複雑だ(2022年12月 筆者撮影)

あまりにわかりにくくて驚いたのが、京浜急行品川駅のホームで、地面に描かれていた乗車口や列車の案内表示。

何色もの色できれいに塗り分けられていて、xx行きはここへ並んで、◯○に止まる列車は何両編成の列車の何号車で、と小さな文字でこと細かく書かれている。その脇に、付け足し程度の英語も添えられている。だが、その色分けの意味やら、何かを示しているらしい数字(おそらく電車の車両数)やら、英語やらが複雑に、縦横入り混じって書かれた案内は、じっくり時間をかけて解読しなければわからない。

急いでやってくる電車に乗る時に、パッと判断するためにはあまりにも複雑怪奇な説明だった。日本生まれ育ちの日本人で、読み書き理解に不自由のない私でもそうなのだから、外国人にとっては至難の業だろうと思った。

自分たちが作った案内表示などが、本当に見やすくてわかりやすいかどうかを、鉄道各社の皆さんは確認しているのだろうか? 日本人特有の丁寧さで時間をかけて細かく作ったことは一見してわかるが、それがイコール利用者に役に立つとは限らない。「日本は生産性が低い」とか「島国特有の自己満足」などという言葉を最近のメディアで時々目にするが、この駅の表示を見てそれらの言葉が頭に浮かんできた。そう考えると、欧米の観光客が満足するかどうかよりも、日本の未来が心配になってくる。あまり役に立たない作業に時間を割き、諸外国との競争に乗り遅れているとしたら、そちらのほうが深刻だからだ。

情報の不足は親切さでカバー?

複数の路線が入り混じり交差している都市部の駅では、切符を券売機で買うのも慣れていないと本当に大変だ。繰り返すようだが、日本生まれで30歳まで東京に住んでいた私も、今では複雑怪奇な路線図を見上げ、最終目的地を探し、乗り換えはどこで何線に乗って、だからいったい、いくらの切符を買ったらいいの?と悩むことしばしば。

幸い、日本にはSuicaやPasmoなど便利なものがあるので活用できればあまり頭を悩ませずに済むのだが、東京でSuicaを使って乗車し地方まで行ったら、降車駅ではSuicaが使えず、違反切符を買わされるなんていう落とし穴もあるらしい。ひと続きの旅なのに、途中で使えなくなるなんて、日本在住の人だって知らないのでは?と実体験を語ってくれたのは、オランダ在住の日本人フォトジャーナリストの女性だ。

そんなふうに不都合が起きた時、日本で活躍する強い武器が「親切さ」だ。駅の券売機の前で悩んでいる外国人がいれば、出てきて買うのを手伝ってくれる駅員さん。お年寄りや海外在住者がSuicaのチャージの仕方やスマホアプリの使い方、見方がわからないで悩んでいれば、さっとあちこちから手が伸びてきて代わりにやってくれて驚いたという話も聞いた。最近は物騒になったとは言っても、やはり日本は平和なのだ。スリやコソ泥が多い国からやってくる旅行者は、取られるのかと思ってビックリするという。英語苦手意識が強い人が多いのか、黙って手を出しやってくれようとするのだという。


某人気ラーメン店にて。人気のトッピングの説明も日本語のみなので、外国人観光客は適当に挑戦してみるしかない?(オランダ在住フォトジャーナリスト Keiko B Gotoさん提供)

だがそういう個人レベルの親切さで、サービスの不備をカバーするのは限度がある。各企業や団体で、外国人受け入れのためのシステムをもっと見直すべきではないだろうか。若い世代の観光客なら、そもそも駅の案内表示などに頼ることなく、地図アプリを活用してスイスイ歩くし、アプリの使い方に悩むこともない。

だが観光客は若い人ばかりではない。むしろ、ある程度の年齢を重ねている層の観光客こそお金をたくさん落としてくれるはずだから、大事にしなければならない。

環境問題についての意識が低すぎる

昨冬、欧州ではウクライナ戦争の影響でエネルギー費が高騰した。CO₂排出問題とも相まって、イタリアでは暖房の設定温度は18度にせよ、という政府からのお達しが出ていた。

イタリアのほとんどの集合住宅は、ガスで温めた温水を巡らせるセントラルヒーティング暖房が一般的。温度設定は管理人室などでコントロールされていて、個人が勝手に変更することはできない。例年なら室温は25度程度に設定し、真冬でも家の中では半袖で過ごしたりする贅沢好きのイタリア人たちも、この冬は18度で我慢していた。18度がどれぐらい寒いかというと、私は家の中でもセーターの上にライトダウンが手放せなかった。それでもじっと座って原稿を書いていると手がかじかんでくる、そんな寒さだ。

寒い暮らしに慣れてしまったせいだろうか。東京で過ごした3週間はとにかく暑かった。レストランも、デパートも、駅の構内や電車の中も、暑くて暑くて、もはや快適を通り越し不快でしかなかった。ところが他の人たちはみんな涼しい顔をしてスマホを眺め電車に揺られている。日本人って変温動物なの? それとも暑くてつらいけど、行儀がいいから文句を言わずに我慢している? もしかしてコートの下は超薄着とか? 

エネルギー不足、そして環境問題が大きく心配される今、あんなふうにエネルギーを贅沢に、無駄に使うのは、思い切り意識が低すぎるとしか言いようがない。かつて、日本のていねいな「お客様は神様」的サービスは素晴らしいと信じられてきたが、環境破壊を食い止める必要がある今、鉄道各社は考えを改めるべきだ。今年の冬は暖房は控えめにして、環境への負荷をできるだけ抑えます、皆様ご協力お願いいたします、と宣言したほうが、最終的には利用者からの評価も上がるのではないだろうか? 全員がコートを着ている電車なんか、暖房は限りなくゼロに近くしたっていいはずだ。

クリスマスにイチゴを食べたがる日本人

イタリアでこんな記事を見た。

タイトルに書かれているイタリア語「Giappone, 100 euro al kg per le fragole “al cherosene” 」、これを直訳するなら「日本、灯油風味のイチゴ、キロ100ユーロ」となる。ニューヨークタイムズに掲載された記事をもとに書かれた、この皮肉たっぷりのイタリア青果業界誌の記事は、日本の美しく立派なイチゴを紹介しながらも、その生産方法に大きく疑問を投げかけている。


イタリアで今、市場に並んでいるイチゴ。形もサイズもバラバラだが、土と太陽の栄養をしっかり吸い込んだ力強い味がする(2023年6月 イタリア・トリノ 筆者撮影)

いわく、日本人は地産地消を大切にし、旬の走りのものに高いお金を出すことを惜しまない国民性があるが、そこから発した極端な「イチゴマニア」を満足させるために日本のイチゴ農家がとった方法は、環境に深刻な影響を与えている、とある。

本来、春から初夏の産物であるイチゴを、クリスマスに合わせた寒い時期に無理やり生産するため、温室を温める灯油が大量に使われているのだ。記事に記されている、イチゴ生産によるカーボンフットプリント(*)はぶどうの8倍、みかんの10倍以上になるというデータは、イタリア人記者が勝手に書いたものではなく、滋賀県立大学で環境問題を研究する吉川直樹氏の調査結果だ。

(*カーボンフットプリントとは、商品やサービスの原材料調達から廃棄・リサイクルに至るまでのライフサイクル全体を通して排出される温室効果ガスの排出量をCO₂に換算して、商品やサービスにわかりやすく表示する仕組み)

世界中で干ばつや豪雨、熱波や森林火災など異常気象による被害が増え続け、食糧生産などにも深刻な影響を与えている今、クリスマスに真っ赤なイチゴがたっぷり乗ったショートケーキを食べることのほうを優先し、環境問題は見てみないふりをする日本人の自分勝手さを知ったら、欧米の人々はどう思うだろう。ちなみにクリスマスにイチゴショートを食べるのは、日本特有の習慣で、クリスマス本場の欧州にショートケーキは存在しない。

日本人は優しくて親切で、地震などの災害が起きても暴動は起きないし、忘れ物をしても必ず帰ってくる天国のような国と思い込んでいる外国人は多い。実際、本当にそういう部分もある。しかし世界中が深刻に環境問題を心配し、努力している時に、経済と消費者最優先の日本は、あまりにも遅れていると軽蔑されてしまうのではないかと、心配になるのだ。

いまだに多すぎるプラスチックと過剰包装

環境問題といえば、日本にはいまだにプラスチックがあふれているし、簡易包装を目指すと言いながら、イタリアに暮らし慣れた私から見たら、出羽守だと叱られるかもしれないが、まだまだ過剰包装だらけだと言わざるを得ない。分厚いプラ袋で個包装されたお菓子が、さらに何重ものきれいな箱に入れられている。日本の食材のゴミを捨てるたびにため息が出る。

こう書くと、「そんなことはない。日本だって努力している企業や個人はたくさんいて、とても先進的な取り組みをしている!」という声が聞こえてきそうだ。

確かにその通りで、勉強熱心な日本の企業や人々は、世界でもニュースになるような取り組みをしているケースもある。だがその何倍、何十倍もの企業、団体はいまだに古い体質で、環境問題よりも「お客様にきれいな状態の商品をお届けする」ことを重要視し、プラスチックの使用削減などが実現できていないのでは、という感じがとてもした。そして消費者もそれに慣れてしまっていて、あまり深く考えることなく、そのまま受け入れてしまっているのではないだろうか?

たとえば私がイタリアへ持ち帰るために買い込んだ日本食材の多くはプラスチック製の袋入りで、その背面には透明プラスチックの丈夫そうなプレートが入れてある。プラの使用量多いなあ、いったいこれはなんのために?と考えてみると、お煎餅や乾燥わかめが袋の中でずれたり、壊れたりしないためだとわかる。

商品がきれいに見えて、割れたり型崩れを起こさないことは売るために大事なことかもしれない。顧客の利益をとことん追求し、ていねいなサービスを提供することは日本の素晴らしい美徳だった。だが世界中でプラスチックフリー運動が起きている今、日本だけが変われずにいるように見える。自分ファーストでワガママな国民性のイタリアでさえ、もともとプラスチック製だったものが紙に変わるなど、どんどん変化しているのに。

たとえばスーパーでパックされた肉を買ってみると、肉が触る部分だけ薄いラップのようなもので覆われた紙製の容器に代わっている。イタリア人が朝食によく食べるビスケット、クッキーの類いは個包装されていない大袋入りで、開封後に湿気たり壊れて粉々にならないように工夫するのは、消費者側の問題、という姿勢は以前からだ。

日本が大好きで何度も日本を旅しているイタリアの友人も「日本のお菓子のパッケージなどは本当に素敵で美しいけれど、全然サステイナブルじゃないよね」と残念そうに、しかしズバッと、私に言った。こんなふうに思われて、日本から離れていく人が増える、日本を軽蔑する人が増える。それを私はとても心配しているのだ。

(宮本 さやか : フードライター)