東武東上線の森林公園駅。武蔵丘陵森林公園はこの北口側にある(撮影:鼠入昌史)

その駅は、池袋から約1時間、埼玉県比企郡滑川町にある。地図でいえば埼玉県のちょうど真ん中、おへそのあたり。東武東上線の森林公園駅である。

東武東上線といえば、首都圏を代表する通勤通学路線の1つだ。地下鉄への直通列車を含め、朝から晩までひっきりなしに電車が走り、いつ乗っても車内はたくさんのお客であふれている。

走っているところは東京都内の板橋区を含めて都心のベッドタウン。沿線には大学も多く、若い人たちの姿が目立つのも特徴といっていい。そして、森林公園駅は、そんな東武東上線の“事実上”の終点という存在でもある。

直通先でもおなじみの駅名

というのも、日中であれば東急東横線から直通する列車のうち毎時2本が森林公園駅停まりなのだ。東横線沿線の人たちは「森林公園ってなんだろう、きっとだいぶ山奥なんだろうなあ、電車もずいぶん遠くまで走るもんだ」などと思っているかもしれない。行ったことがなければ、抱くイメージなんてそんなもの。では、実際にはどうなんでしょうか……。

「東上線の車両基地がありますからね。だから終点の電車が多いんですよ。駅前は……まあ何があるかと問われると困るのですが(笑)、その名のとおり森林公園、国営武蔵丘陵森林公園があります」

こう教えてくれたのは、東武鉄道坂戸駅管区森林公園駅長の宮原正浩さんだ。その言葉どおり、森林公園駅の北側に出ると、森林公園に通じる遊歩道が駅前から延びている。歩くと40分ほどかかるとか。以前はレンタサイクルもあったがいまはなく、森林公園を訪れる人はバスに乗り継ぐ。「バスだったら5〜10分くらいですね」とは宮原駅長。


森林公園駅長の宮原正浩さん(撮影:鼠入昌史)

「森林公園駅は、1971年に開業しました。ちょうど車両基地と同じタイミングですね。そして、1974年に森林公園がオープンした。日本で初めての国営公園で、冬のイルミネーションなどが有名で遠くから来られるお客さまもいらっしゃいますよ」

比企丘陵の起伏をそのまま生かした森林公園。学校のイベントで活用されていたり、アスレチックスがあったり、はたまた巨大な水遊び場があったり、埼玉県の人たちにすればなかなか親しみのある公園のようだ。

東武鉄道でも森林公園までの電車運賃とバス運賃、そして入園料がセットになったデジタルきっぷも販売している。それくらい、ちゃんとした行楽地、というわけだ。

「北口には森林公園で、反対の南口には工業団地があるんです。工業団地ではいろいろな国の人が働いているので、通勤時間帯は国際色が豊かですね。送迎バスも発着しています。駅が開業したときにはほんとうに何もなかったですが、最近は住宅も増えてきていますね」

また、森林公園駅のもう1つの特徴に、野菜を電車で運ぶ駅、ということがある。東松山市周辺の直売所で売れ残った農産物を森林公園駅で電車に積み込んで池袋駅に運び、改札前のコンコースで販売するという2021年から行われている取り組みだ。コロナ禍で相次いだ“貨客混載”の一例といえるだろう。

東上線では”新しい”つきのわ駅

森林公園駅を預かる宮原駅長は、ほかにもつきのわ、武蔵嵐山の2つの駅を管理している。森林公園駅よりも西側(つまり池袋方面とは反対側)の駅だ。これらの駅についても聞いてみよう。

「つきのわ駅はほかと比べると新しい駅でして、2002年に開業しました。森林公園―武蔵嵐山間がちょうど複線化したのと同じタイミングですね。駅の周りは森林公園駅の南側から続く工業団地と、あとは東武の新興住宅地が広がっています。北口には駅のすぐ近くに高校もありますね」


立派な外観のつきのわ駅の駅舎(撮影:鼠入昌史)

実際につきのわ駅を訪れると、清新なイメージの橋上駅舎は確かに歴史の新しさを感じさせる。そしてよく整えられた駅前広場のすぐ脇には、これまた整然と区画整理された新興住宅地。東京都心から遠いといってもせいぜい1時間、それもだいたいの場合は座って通勤できる。緑も多く、こういうところで暮らすのも悪くないのかもしれない。

北口の駅前広場には区画整理の竣工記念碑が堂々と鎮座している。そしてその隣には、滑川高校(現在は滑川総合高校)甲子園出場記念で寄贈と石碑に刻まれた時計塔。駅長のいう“すぐ近くの高校”はこの滑川総合高校のことだ。

記念の甲子園出場は1998年の夏。のちの“JFK”、久保田智之を擁してベスト16に進出した。ちなみに優勝は松坂大輔の横浜高校である。そして、その頃にはまだつきのわ駅は存在していなかった。

「ですから高校生のご利用が非常に多い駅ですね。500、600人くらいはいるんじゃないでしょうか。で、お隣の武蔵嵐山駅。こちらは歴史が非常に古く、1923年に開業しました。ちょうど2023年で開業100周年ですね。嵐山渓谷の最寄り駅でして、歩いても2.5kmくらい。ハイキングがてら、駅から歩く方も多いですよ。ラベンダー祭りなどもやっていて、観光のお客さまの多い駅です」

武蔵嵐山駅は、もともと菅谷駅の名で開業した。それが1935年に武蔵嵐山駅に改称。鎌倉時代初期の武将・畠山重忠ゆかりの地ということもあって、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が放送された2022年はそれ目当ての観光客も目立ったという。

現在の武蔵嵐山駅の駅舎は2002年に竣工した橋上駅舎。ただ、以前は地上に駅舎があり、古くからこの地域の中心だった駅西口側に建っていた。西口に出ると、いまでも地上駅舎時代の小さなロータリーが残っている。


100年の歴史を誇る武蔵嵐山駅。2002年に橋上駅舎となった(撮影:鼠入昌史)

そのロータリーからまっすぐ延びているのはこの町の目抜き通りなのだろう。にぎわいがある……というほどではないが、平日の昼間でも人通りもちらほら。周辺には昔ながらの住宅も多く、森林公園・つきのわ両駅と比べて歴史が古いことをうかがわせる。

ツバメも人も安心して暮らせる

「嵐山渓谷にはバーベキュー場やキャンプ場もありますからね。夏になると学生さんのグループも来られます。ひとりがクルマで駅まで迎えに来て、仲間は電車で合流、みたいな場面をよく見ます」

森林公園―武蔵嵐山間の区間では、関越自動車道がちょうど真ん中を貫き、国道254号唐子バイパスも通る。工業団地があることからもわかるとおり、電車と道路が交差して交通の便は申し分がない。それでいて、森林公園や嵐山渓谷など、自然にも恵まれている。東上線の池袋寄りの、いかにも都心のベッドタウン然とした沿線風景と比べると牧歌的だが、それでもなかなか悪くない沿線であった。

そして、そんな自然豊かなところだからなのか、森林公園駅では構内にツバメの巣がたくさん。子育てに励むツバメが駅の中を飛び交っていた。

「糞害につながってはいけないのでガードをつけて、そのままにしています。もうツバメもわかってるんだと思いますよ。気がついたらすぐに巣が出来ている。驚いたのは、垂直の壁のところにも巣を作れるんですね。こういうのどかな所ですから、お客さまにも比較的好意的に受け止めていただいているのではないかなと思います」

ツバメが安心して暮らせる森林公園、もちろん人間にとっても悪くない、というわけである。


「鉄道最前線」の記事はツイッターでも配信中!最新情報から最近の話題に関連した記事まで紹介します。フォローはこちらから

(鼠入 昌史 : ライター)