リトアニアのビリニュスで行われたNATO首脳会議でアメリカのバイデン大統領(左)と壇上に並ぶウクライナのゼレンスキー大統領(写真・2023 Bloomberg Finance LP)

ウクライナ戦争の今後の行方を占う意味で注目されていた、リトアニアの首都ビリニュスでの北大西洋条約機構(NATO)首脳会議(2023年7月11日と12日開催)が終わった。NATO加盟に向けて正式の招待状を受け取ることを願っていたウクライナの立場からみると満願成就とはならず、「目の前のコップに半分の水が注がれた程度」で終わった。

会議に至る交渉の舞台裏で何があったのか。検証すると、そこには、ウクライナや西側でのロシアとの対決ムードに冷水を浴びせたバイデン政権の思わぬ変化があった。

「コップ半分の水」という成果

今回の会議での主な決定事項はこうだ。まず最大の焦点だった、ウクライナのNATO加盟問題を巡ってのNATOの共同声明はウクライナにとって、非常につれない内容となった。

具体的な加盟時期や道筋をいっさい示さず「加盟国が同意し、条件が満たされた時に加盟への招待状を出す」とサクッと記しただけだった。加盟時期のメドや条件を明示した招待状を期待していたウクライナからすれば、非常に不満の残る内容だ。

ロシアの侵攻が長期化する中、加盟への招待状を受け取ることが、自国の安全の究極的保証につながると期待していたからだ。共同声明の内容を事前に知ったゼレンスキー大統領がリトアニアに向かう途中で「バカげている」と怒りのネット発信をしたほどだ。

この反発を予期していた西側は埋め合わせ策として、ウクライナ側に別の形の安全保障の約束を用意した。岸田文雄首相も参加した先進7カ国(G7)首脳による共同宣言だ。

宣言は、ウクライナが主権と領土を守るうえで軍事面も含めた「永続的な支援」を約束し、将来的にロシアが再度侵攻してきた場合の支援も約束した。G7以外のNATO加盟国も将来、この枠組みに加わることも可能とした。

NATO側が用意した、この手の込んだ保証の枠組みは、逆に見れば、何としても招待状は出さないという強い意志を浮き彫りにするものだった。

NATO条約第5条に「締約国はヨーロッパまたはアメリカにおける1または2以上の締約国に対する武力攻撃を全締約国に対する攻撃とみなす」とする規定があるNATO条約と比べ、G7のこの共同宣言には法的拘束力はなく、一種の政治的宣言にすぎない。

一方で、国際社会をリードするG7がウクライナの安全保障にコミットしたことの重みは、もちろん小さくない。この意味で、ウクライナにとって「コップに半分水が注がれた状態」なのである。

終わってみれば、ゼレンスキー氏はNATO加盟が最善の安全保障としながらも「加盟するか否かの曖昧さを取り除くことができた」と歓迎してみせた。不満は残るものの、事を荒立てないという一種の外交的対応だったと言えよう。NATO側から、批判ばかりするな、との圧力があったという。

アメリカが逃げ回った理由

しかし、今回のサミット開催に至る経過を取材すると、その過程で、NATO内で共同声明を巡る議論が最後までもつれにもつれていた事実が浮かび上がった。ウクライナの軍事筋によると、どのような文書がまとまるのか。7月11日の開幕当日までわからない展開だった。

最大の要因はアメリカだった。共同声明でウクライナ加盟に対する表現を極力薄めようと動いた。「あのトルコですら、招待状を出すことに前向きだったのに、アメリカは逃げ回った」(同筋)という。ドイツも同様に動き、アメリカとドイツは招待状を出すことに「前向きさをいっさい出さなかった」という。これを知ったウクライナ政府は非常に憤慨したという。

その理由は何だったのか。それは、ロシアへの配慮である。ウクライナのNATO早期加盟に道筋を付けることで、プーチン政権を刺激して過度の軍事的エスカレーションを招く事態を回避したいとのバイデン政権の姿勢が根本にあった。

だが、実はこのバイデン政権の対ロ配慮姿勢は今回の共同声明を巡る議論で急に出てきた話ではない。伏線はもっと以前からあった。

公表されていないが2023年5月ごろから、プーチン大統領のメンツを完全につぶしてはならないとの意向がホワイトハウスから関係各国に伝えられ、同盟国やウクライナを驚かしていたのだ。

5月と言えば、ウクライナによる本格的な反転攻勢がいつ始まるのか、と注目されていた時期だ。ウクライナ国内はもちろん、西側でも反攻作戦への期待が盛り上がっていた。このタイミングでのバイデン政権の対ロ配慮姿勢は、反転攻勢の結果、軍事的にロシアを瀬戸際まで追い込むことを恐れたバイデン政権の焦りの行動だった、とみるのが自然だろう。

もともと、バイデン政権はウクライナへの軍事支援に当たっては、「ウクライナが主権と領土的一体性を守るのを助ける」と規定しており、侵攻してきたロシアに対して、ウクライナが軍事的に勝利することを目的とは掲げていない。

つまり、ウクライナが国を守ることは助けるが、かと言って、ロシアへの軍事的勝利を目指しているわけではないという曖昧さを残していた。この点では、ウクライナの「勝利」を目指して軍事支援を行うと公言するイギリスや、NATOのストルテンベルグ事務総長とは一線を画している。

ところが、最近、アメリカ政府はますます神経質に、文書などで「勝利」の表現を避けるようになってきているとウクライナの軍事筋は明かす。これは何を示しているのか。

バイデン政権がゼレンスキー政権に対し、領土面で一定の譲歩を迫る形で、ロシアとの停戦交渉開始を求める動きの前ぶれと、本稿筆者はみる。2023年6月初めから始まった反転攻勢が当初の米欧の期待を裏切る形で手間取っている現状を受け、バイデン政権がウクライナとロシア双方に何らかの妥協決着を求める可能性が現実味を帯びてきた。

これを示唆する動きはすでに表面化している。バイデン政権内でロシアに対する秘密交渉役を担っているバーンズ中央情報局(CIA)長官が2023年6月末にロシア対外情報庁(SVR)のナルイシキン長官と電話会談したことが臆測を呼んでいる。

ここでは、民間軍事会社ワグネルの武装反乱についてだけでなく、ウクライナ情勢についても協議したとナルイシキン長官が明らかにした。ナルイシキン氏がわざわざウクライナ情勢について話し合ったと公表したことも気になるところだ。

ロシア国内の混乱を恐れるバイデン政権

バーンズ長官はキーウも極秘訪問したが、その直後にアメリカのワシントン・ポスト紙は、ウクライナ側が主要な領土を奪還した後、年内にロシアとの停戦交渉を開始するとの方針を長官に伝えた、と報じた。

極秘訪問の直後、同紙にウクライナ側の発言がリークされたことに対し、キーウではアメリカの意図をいぶかる声も出た。ゼレンスキー氏はこの報道を否定する発言を行うなど、火消しに追われた。ゼレンスキー政権は、ロシア軍がウクライナ領から完全撤退することが停戦交渉の前提との立場を公式には崩していない。

ウクライナとロシア双方から感触を探ったバーンズ長官の報告を踏まえ、プーチン政権の面子も守る形で停戦交渉案をバイデン政権がまとめる可能性はある。同時にこうした動きは、バイデン政権がウクライナ紛争解決案の最終形をまだ決めきれていないことを示すものだろう。

いずれにしても、プーチン政権を窮地に追い込まないよう動き始めたバイデン政権をみるにつけ、筆者が思い出すことがある。ソ連末期の1991年夏、旧ソ連からの独立を宣言した、エリツィン氏率いるロシア連邦を承認するのに慎重だったブッシュ(父)政権の姿勢だ。

ぎりぎりまで旧ソ連ゴルバチョフ政権維持にこだわっていた。同年12月にソ連は消滅しており、アメリカは結果的に時代の変化に乗り遅れた。この時の慎重姿勢は誤った判断だったと歴史的に結論付けられた。

バイデン政権もおそらく、ステータス・クオ(現状維持)という点で当時のアメリカの政権と同じ考えなのだろう。アメリカを中心とする国際秩序の急変を避けようとするのは、アメリカの一種の伝統的「国家的本能」とも言える。

ロシアを刺激することを恐れ、プーチン政権の反応をうかがうようにウクライナへの軍事支援を段階的に進めてきたバイデン政権の慎重姿勢に対しては、アメリカの外交専門家から過剰だと批判があるのも事実だ。

そんなバイデン政権としては、プーチン政権を軍事的敗北に追い込めば、ロシアの内政が混乱し、戦略核の管理体制が混乱することを恐れていると思われる。

おまけに6月末に起きた、ワグネル社指導者プリゴジン氏による武力反乱事件を目の当たりにしたバイデン政権としては、プーチン氏に代わって、新たな未知の指導者が登場することを回避したいとの思惑がさらに強まっているのではないか。

ウクライナ戦争をどう終結へと導くのか。ゼレンスキー政権による反転攻勢の成否の行方とともに、米欧、さらにプーチン政権の思惑が「変数」として絡む複雑な展開になりそうだ。  

(吉田 成之 : 新聞通信調査会理事、共同通信ロシア・東欧ファイル編集長)