BTS(写真:The Mega Agency/アフロ)

世界各国で人気を博し、音楽トレンドを牽引しているK-POP。その中心に位置するBTS(防弾少年団)は、なぜ多くのファンから支持されているのでしょうか? その1つのカギが、近年リリースされた彼らのアルバム「MAP OF THE SOUL」シリーズにあります。新刊『自分を再生させるためのユング心理学入門』の著者で、目白ユング派心理療法室Libraを主宰する山根久美子さんが、アイドルとそのファンの深層心理を読み解きます。

BTSの2019年に発売された6枚目のミニアルバム「MAP OF THE SOUL:PERSONA」と2020年に発売された4枚目のアルバム「MAP OF THE SOUL:7」はユング心理学にインスパイアされている。

BTSは自分たちの言葉で語ることを大切にしているグループであり、そのために自分たちが何者であるかを問い続けてきた。そういう彼らがユング心理学へと導かれたのは興味深い符合に思われる。

BTSがソウルのエリートではない地方出身者で、入った芸能プロダクションも大手ではない弱小という、マージナル(周縁)の要素を持っていたことがマージナルな人たちを惹きつけて、「私の心理学だ」と感じさせるところのあるユング心理学と共鳴したのかもしれない。

「MAP OF THE SOUL」に込められた思い

そもそも「MAP OF THE SOUL」というタイトル自体が、スイス在住のアメリカ人ユング派分析家であるマレー・シュタイン(Murray Stein)の著書からとられている。

マレー自身は世界的に知られた著名なユング派分析家であり、彼の著書の『Map of the Soul』はユング心理学をわかりやすく解説した名著であるが、ユング派界隈では知られていても一般的な知名度があったわけではない。

それがBTSがアルバムのタイトルに採用したことで、ユング心理学への興味の裾野を広げたわけであるから、ユング派分析家はBTSに足を向けて寝られない。

Map of the Soulは、日本語に訳すと「魂の地図」という意味である。

ユング心理学において「魂」と「こころ」は異なるものであり、ユングは「魂」とは「こころ」にあるコンプレックスの一種で、「個性」とほぼ同義であるとみなしていた。

それゆえ「魂の地図」というのは「自分の個性を探そうとする人に向けた案内」といった意味が込められていると思われる。

BTSの「MAP OF THE SOUL: PERSONA」に入っているRМさんのソロ曲 “Intro: Persona” のミュージックビデオでは、RМさんがさまざまなバージョンの自身に扮する様子が映し出される。

彼の背後に時折映る黒板には、persona(ペルソナ)、shadow(影)、ego(自我)といったユング心理学のキーワードが書き出され、歌詞にもちりばめられている。

こころを家に見立てるとき、ペルソナは家の外側の部分を指し、影はこの家の地下に住む住人で、自我はふだん暮らす1階の部屋に住んでいる「私」である。

ペルソナは、家がどう見えるか、つまり私たちが社会生活を送るうえで付ける仮面を指し、「他人にどう見られたいか」という自分のこころの一部である。だから「MAP OF THE SOUL: PERSONA」は、BTSがアイドルとして自分たちが付けている仮面・ペルソナを通じて、「自分は誰なのか」と問う内容になっている。


イラスト:植田たてり

さらに「MAP OF THE SOUL:7」では、ペルソナについての思索を経て、メンバー7人が「抑圧して見ないようにしてきた自分のこころの一部」、つまり影について検討している。

社会的な自分と本当の自分との間の葛藤

「MAP OF THE SOUL: PERSONA」と「MAP OF THE SOUL:7」という2つのアルバムを通じて、BTSは社会的な自分と本当の自分との間の葛藤と、それをどう引き受けていくかというテーマに取り組んでいる。

ユング心理学では、自分の個性についての理解を深め、自分の個性を発揮しながら生きていくことを「個性化」と呼んで大切にしている。

MAP OF THE SOULシリーズはBTSのメンバーが歌を通じて自分たち自身への心理療法を行っているともいえ、彼らの個性化のプロセスを描き出しているように思われる。

BTSはなぜ世界的な支持を得るに至ったのか──それはさまざまな形で分析がなされているが、おそらくそのどれもに正しい部分があり、そのどれもが完全な説明ではない。物事には不確定の要素が必ずあるからだ。

私の目にBTSは、何かを表現したい気持ちを持ったマージナルな7人の若者たちがたまたま出会い、ユング心理学などを通して自分の個性を探し、その中で自分の内から出てきた言葉を伝える努力を続けるうちに、たまたま時流に乗ることができた──ように映る。

偶然と努力と運とが絡み合って起きたことで、意図的に作り出そうと思ってできることではない。だから、第2のBTSを目指して2匹目のドジョウを狙っても、たぶん無駄である。

それでも、BTSに憧れてアイドルになりたいと願う若者は後を絶たないし、最近では、日本から韓国に渡り、韓国の芸能プロダクションに所属する人や、K-PОPアイドルグループの日本人メンバーとしてデビューする人も増えている。K-POPでなくても「アイドル」というものに憧れる子どもや若い人は多く、心理臨床の現場でも「アイドルになりたい」と話す若いクライエントは少なくない。

1人の大人としては、「そうはいってもアイドルになれるのは一握りだし、なれたとしてもストレスが多くて大変な仕事だよ?」とつい余計なことを思ってしまうが、ユング派分析家としては、その背後で働くこころの動きをとらえなくてはなるまい。

もちろん、承認欲求やお金、華やかな世界への憧れなど、表面的な理由は多々あるだろう。だが、根底には「アイドル」というシステムがある種のイニシエーションとして機能していることがあり、そこに自分も参加したいというこころの動きがあるのではないかと思う。

新しい自分を再生することの意味

イニシエーションは、民俗学や文化人類学の分野でよく知られているが、ユング心理学でも使われる概念であり、通過儀礼と訳される。人生の節目で行われる体験を伴う儀式のことで、現代では体験の部分が形骸化しているが、例えば卒業式や成人式、結婚式などがイニシエーションとしてあげられる。

心理学的には、今までの自分が死んで新しい自分に再生するという変化を、儀式を通じて体験することにその意味がある。

部族的な社会では、今でも刺青やバンジージャンプなど、痛みや危険にさらされるような身体的な体験を伴う通過儀礼が行われているが、現代の日本のような近代化された社会では、儀式からこうした身体性が排除されてしまった。

それゆえ、「卒業」、「成人」、あるいは「結婚」も日常の延長と化し、心理的な区切りになりにくい。学校を卒業しても、成人を迎えても、結婚しても、ほとんど変わらず、「大人になれない」人は少なくない。

こうしたイニシエーションの機能不全の状況の中、「アイドル」というシステムは、そこに参加することができれば、歌やダンス、演技といった身体性を伴う体験をし、同世代のライバルたちと競い、切磋琢磨できる可能性がある。

「自分の個性とは何か」と問うアイドルたち


また、デビューできるかどうかわからない不安とストレスの中で、自分の個性とは何かということを考えざるをえない。デビューが芸能プロダクションのコンセプトに合うかどうかで決められるものだとしても、その候補に残るためには、歌やダンス、演技のスキルだけではなく、自分の個性をアピールすることで目に留まる必要があるのだから。

もしデビューできたならば、アイドルというペルソナと本当の自分との相克に葛藤する中で自分の個性を探し、自分の声を見つけ、個性化の道を歩んでいく可能性も開かれるのだろう。

そう考えると、若者がアイドルになることを夢見たり憧れたりすることや、アイドルの推し活でさえも、その背後にはイニシエーションや個性化を希求するこころの動きがあるのかもしれないと思えてくる。

表面的なシステムがどれだけ現代的になっても、人のこころが求めることはずっと昔から変わらないんだなと思うと、私などはつい、画面の向こうのアイドルの笑顔にも感じ入ってしまうのである。

(山根 久美子 : 臨床心理士・公認心理師・ユング派分析家)