「不安を感じる人」の心がすっと楽になる考え方
穏やかな心持ちでいるにはどうすればよいのでしょうか(写真: voduy84 /PIXTA)
価値観の多様化が叫ばれ、選択の幅が広がっている現代。それゆえに、選んだ先にあるリスクや結果を考えすぎて、多くの人が身動きできなくなっている。悩みや不安をもたらす要因は人それぞれだが、どうすれば、ブレずに穏やかな心持ちで過ごすことができるのか。目白ユング派心理療法室Libraを主宰する山根久美子氏の新刊『自分を再生させるためのユング心理学入門』を一部抜粋・再構成し、不安を感じる人の心が軽くなる考え方について紹介する。
今の時代、誰もが不安を感じているが、多くの人にとっては漠然とした不安なのではないか。
ときどき表面化するけれど、普段は奥底に置いておけるもので、距離を取ったり、忘れたりしてやりすごすことができるレベルにある。でも、その不安がものすごくクリアで鮮明な形になって、人生に立ち現れてくるときがある。
不安になることを「不安に襲われる」「不安に駆られる」という言い方をするが、これらは皆、動詞の未然形に「れる」という受け身の助動詞がついた表現である。
不安というものが元来コントロールできないもので、私たちが起こすのではなく、不安のほうから私たちのところへやって来ることをよく表している。
この不安の正体について考える前に、まずユング心理学がどんなものなのか、簡単にふれておこう。
不安な時代を生き抜くための心理学
スイスの精神科医であったカール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung)が創始したユング心理学は、西欧で発展した心理学の一系譜で、日本は非西欧諸国の中でユング心理学の普及が最も成功した国の1つに数えられている。
故・河合隼雄先生を通じて知った方も多いかもしれないが、河合先生は、ユング派分析家の資格を日本人で最初に取得され、以降、平易でありながら深みのある言葉でユング心理学を日本に広めることに尽力された。
詳しい説明はここでは省くが、このユング心理学の魅力であり特徴は「個性」を重視することにある。
心理療法ひとつとっても、固定的なやり方はなく、治すために積極的に働きかけたりもしない。セラピスト(治療者)とクライエント(被治療者)双方の個性を大切にしながら、1人ひとりに合った形で展開していくことを大切にしている。
言うなれば、1人ひとりに寄り添う「やわらかい心理学」であり、自分とは何者なのか、自分の個性について理解を深め、自分らしく生きる方向へ導いてくれる心理学なのである。
人を不安にさせる「人生の昼下がり」
さて、このユング心理学の観点からいうと、多くの人にとって不安が顕在化してくるのは中年期ではないかと思われる。ユングは、中年期は36歳ごろから始まるのではないかと考え、この時期を「人生の正午」とも呼んだ。
人の一生を1日に換算すると、中年期というのはちょうど1日の真ん中あたりになるためである。
「正午」は「午前」でも「午後」でもなく、これまで過ごしてきた「午前」とこれから始まる「午後」がある、中間的な時間。人生においても、これまですごしてきた人生の前半の時期を経て、人生の後半にさしかかろうという時期が「中年期」である。
この時期にさしかかると、体力が落ちて身体が不調をきたすなど、若さが失われていくのを実感し、老いや死が現実的なものとして射程に入ってくる。また、仕事やプライベートでの転機を経験して、これまでなんとなくみんなと横一線の競争だったものが、だんだんと個人戦の様相を呈してもくる。
簡単にいうなら、人生の前半の時期は、学校や会社といった社会集団にいかに適応し、自分を位置づけていくかという「集団の時期」、後半は、仕事や家庭も一段落し、個人としてどう生きるかがよりフォーカスされる「個人の時期」と表せるかもしれない。
作家の芥川龍之介が自分の将来に対する「ぼんやりした不安」のため、35歳の時に自死したのは有名な話であるが、ユング自身も中年期にフロイトと決別し、以降何年にもわたる精神的な危機を経験した。中年期は、不安に捕まって死に引きずり込まれることもある「逢魔の時」といえるのかもしれない。
ただし、中年期が始まるのが36歳としたユングの考えは、彼の実体験に基づいているのではないかと思う。私の心理臨床経験では、これは必ずしも対応しない印象である。
20代後半〜30代前半に中年期的な心性に突入している人はいるし、60代〜70代に入ってから不安が立ち現れて危機を迎える人もいる。
いずれにしても、ここで私が言いたいのは、時期はそれぞれの人によってまちまちだけれども、人生において不安が顕在化するときはいつか必ず来るのではないか、ということである。
そして多くの場合、人生の節目の時期に不安はその姿を鮮明にする。なぜなら、節目の時期というのは、これまでうまくいっていたことがうまくいかなくなるからこそ訪れるもので、失敗や負けを契機としていることがほとんどだからである。
失敗して負けたことは変化へのチャンス
そもそも心理療法は、人生でつまずき、立ち止まらざるをえなくなったとき――つまり、人が不運や不幸に見舞われ、失敗や負けを経験したときに初めて成立する営みといえる。
多くの心理学やそれに基づいた心理療法は、基本的に、今回は失敗したり負けたりしても、次は成功し勝つことを目指している。
一方、ユング心理学やユング派の心理療法は、成功することや勝つことにあまり興味がない。その人が今、失敗して負け、立ち止まったことに意義を見出す。
ユングは、失敗したり負けたりしたときにこそ立ち止まることができ、そこには変化へのチャンスが生まれると考えていた。
もちろん、成功することや勝つことに意味がないというわけではなく、人生にはさまざまな段階があり、成功したり勝ったりすることが大事になる時期もある。
成功し、勝つこと、もしくはそれを目指すことは、ユングの言うところの人生の前半、すなわち中年にさしかかるまでの間の人生において、社会に適応していくための原動力や推進力になり得る。個人差や置かれた状況にもよるが、特に若いうちは、成功して勝つことが人生の中心的な課題になる場合がある。
しかし、ずっと成功して勝ち続けられるほど人生は甘くなく、やがてほとんどの人に失敗するときや負けるときが訪れる。
挫折や脱落、離婚や別離、病気という形かもしれない。いじめやパワハラ、セクハラなどの人災や、天災などの理不尽な出来事に襲われる形かもしれない。あるいは、成功し勝っていると思っていたものの、その虚しさに気づいたり、実は負けているのではないかと感じる形なのかもしれない。
つまり、人生も人も多面的で、物事はトータルで見ないとわからないということ。今成功して勝っていても次に失敗して負けたり、勝っているように見えても実は負けていたり、ある側面では成功していても、別の側面では失敗していたりもするのである。
だからもし、あなたが不安に押しつぶされそうになったら、一度立ち止まり、その失敗や負けが、自分の人生や生き方をトータルで見たとき、どのような意味を持つのか、考えてみてほしい。自分にしっくりくるオリジナルの意味を見つけられるかどうかで、その人の人生の方向性が変わっていく。
失敗することで人は成長する
失敗や負けは人のこころに手痛い傷を負わせるが、その傷はその人をオンリーワンの存在にしていく可能性を持つ。新品の革靴が、傷がついたり汚れたりしながらだんだん足に馴染んでいき、その人にとっての唯一無二の靴になっていくように。
一度ついた傷は消えない。けれども、その傷は、その人と他の人とを分けるものでもある。いわば、傷は、その人をその人たらしめる。だから、ユング心理学では、自分の傷を見つめ、自分のものとして引き受けていくことを大事にしている。
今のような不安な時代を生きていくにあたり、ユング心理学は自分の行く道を照らしてくれる灯のような存在だと私は感じている。それは、人生という1人で進むしかない孤独な道程に意味と方向性を与え、かなりの安心をもたらしてくれるのではないだろうか。
(山根 久美子 : 臨床心理士・公認心理師・ユング派分析家)