「子育てには大変も幸せも両方あって、おおむね幸せ。話すほどではない幸せは、ちゃんとある」と話すのは、ESSEonlineでヘア連載を執筆中のライター・佐藤友美(さとゆみ)さん。さとゆみさんは息子と2人暮らしです。

そんなさとゆみさんが子育てエッセイ『ママはキミと一緒にオトナになる』(小学館刊)を上梓。同書を抜粋し、離婚と子育てについてのエッセイを紹介します。

私たちは似たり寄ったりの星に住んでいる

「離婚なんてするもんじゃない。我慢して、我慢して、なんとか添い遂げるのが、夫婦ってもんだよね」
と、目の前で飲んでいる先輩の男性が言う。緊急事態宣言がとけ、こんなふうに集まって飲むのは一年ぶりだと言っていた。声が大きくなっているから、だいぶ酔いがまわって楽しくなっているのかもしれない。

「どうしてですか?」
と、私の隣の若い女性が彼に聞く。

「だって、離婚したら、子どもがかわいそうじゃない。お前の親は離婚したんだって、後ろ指さされるよ」
と、その男性は続ける。隣の女性は、その回答を聞いてちらっと私の顔を見る。この場にいる全員が、私がシングルマザーであることを知っている。

私はその話を、面白いなあって思いながら、ほくほく聞いていた。こういうクラシカルな意見は、ふだん、年下の人たちとばかり話しているとなかなか聞けない。つい、取材者の気持ちになってしまい、よせばいいのに、口をはさんでしまう。

「そういうものですかねえ。私の周りにも、シングルで子育てしている人ってまあまあの割合でいるので、それほどレアな感じじゃないですよ。親の離婚って、子どもは自然に受け止めているようですけれど」
と言うと
「いや、それは、たまたまだよ。僕の子どもが通っている〇〇地域の学校には、離婚した親はひと組もいないよ。だって、親が離婚したら、有名校を受験させるにもいろいろ不利じゃない?」
と、おっしゃる。

「なるほど、そういう考え方もあるんですねー」
と私が言ったので、その場はそれで終わった。私は、心底、「なるほど、そういう考え方もあるのか!」と、思っていた。

帰り道、後輩の女性が
「さとゆみさん、どうしてあそこで話をやめちゃったんですか?」
と聞いてきた。どうしてだろう。

意見が違う人と話しても仕方ないと思ったわけではない。むしろ、酔っていなければ、もうちょっと話を聞いてみたかった。その方の価値観を支えているエピソードを知りたかったし、私自身の価値観も洗い出し直してみたかった。「でも、いかんせん、酔ってたしねぇ」と答えて、私はその日、帰宅した。

●「我慢できずに離婚」or「我慢して結婚継続」?

先日も似たようなことがあった。

そのときは、やはり私の離婚を知った知り合いが、
「さとゆみは離婚してよかったかもしれないけれど、子どもがかわいそうじゃない?」
と言ったので、私の友人がブチ切れて、
「親の仲が悪いって、いつも泣いてるあんたの家の子どものほうが、さとゆみの家の子どもよりもよっぽどかわいそうだ」
と応戦し、軽く修羅場になった。

「子どもは意見できる立場にないのだから、親が我慢してでも家庭を守るべきだろう」VS「子どものためって親が我慢することが、本当に子どものためなのか?」と、二人の話はとまらない。

槍玉にあがっている当の私はというと、「喧嘩をやめて〜。二人をとめて〜」という歌が頭の中をかけめぐり(古い)、ついくすっと笑ってしまったので、余計、二人を怒らせてしまった。「あんたの話なんだよ!」と、双方に睨まれ、「あ、ごめんなさい……」ってなったよね。うん、ごめんなさい。私〜のために〜、争わ〜ないで。もうこれ以上。

とまあ、冗談はさておき、こういう話になったときにいつも思うのは、「ほんと、いろんな考えがある」ということに尽きる。私は私なりに考えて、シングルの道を選んだつもりだけれど、同じように真剣に考えて結婚生活を続ける人もいる。

この話を、もう少し考えてみたい。
「我慢できずに離婚」or「我慢して結婚継続」の二つは、近いところで見ると、まったく逆の意見に感じる。けれども、少し離れた視点から見ると、「できるだけ幸せに生きていきたい。そして、自分の子どもも大事!」という点で私たちは似たり寄ったりの星に住んでいると思う。

だから私たちは、それほど対立しているとは思わないし、子どもを育てる(できれば元気に幸せに育ってほしいなあって思いながら育てる母親同士、いろいろ助け合いながら、頑張っていこうぜって思う。

こんなに子どもを大事に思っている母親同士、目の前の選択のたったひとつの違いで、敵対する必要なんかない。上手く言えたかどうかわからないけれど、そんな気持ちを、伝えた。

●多分、子育てに間違いも正しいもない

ケーキが出てきたころには、すっかり穏やかなお茶会に戻っていて、
「あ〜あ。タイムマシンを使って十年後くらいに行ければいいのにな〜。そうしたら、何が正解かわかるのに」
と、一人が言った。

でも、多分、子育てに間違いも正しいもないんじゃないかなと、私は思う。十年後、その子が幸せだったとして、二十年後は? 三十年後は? その子が死ぬ間際は? いつの時点が幸せだったら、子育てが正解だったって言えるのだろう。

私は仕事がら、人にインタビューをすることが多い。それで思うのは、人は「過去を簡単に塗り替える」ということだ。

たとえば、挫折ばかりくり返しているときは、「こういう親に育てられたことが、自分の人格形成によくない影響を与えている」と語る。でも、成功に転じたら、「そんな親に育てられたからこそ、人とは違った物の見方ができるようになった」と語り出す。

その逆だって、ある。

人生が上手くいっているときは、「親がたっぷりと愛情をかけて育ててくれた」と語っていても、あるとき大きな挫折を経験してそこから立ち直れなかったら「過保護に育てられてきたツケがきた」となったりする。

結局、過去が「正解だったか」「間違いだったか」を決めるのは、いつだって現在の自分なのだ。そしてそれは、しばしば、オセロをひっくり返すかのように、あっさりひっくり返る。

何が言いたかったんだっけ。

そうそう。だから、子育てに間違いなんてものはないし、正解だってないんじゃないかと思う。そして、それが間違ってるとか、私のほうが正しいとか、仲間たち同士で争う必要もないのだと思う。

ただ、いろんな意見を交換しあって、なるほどそういう考え方もあるのかって思って、自分の視界は広くしておきたい。そして、一度決断したことでも、違う考え方に触れて感化されたら、ほいほい尻軽に乗り換える適当さも持ちたい。
「だからこれからも仲良くしてほしいし、私と違う意見もいっぱい教えてほしい」
って、小学生の女の子のようなセリフを言ったりして、その日は宴もたけなわ、お開きになったのでした。青春か。

(『ママはキミと一緒にオトナになる』より抜粋)

『ママはキミと一緒にオトナになる』では、今回紹介したほかにも、コロナ禍での学校生活、著者の離婚、働く母の葛藤、口げんかと家出など、母と息子2人で暮らす中で感じたことがリアルにつづられています。