「いくつになっても学びたい」と思う人が抱く誤解
もう一度、高校生の頃のような気持ちになってみませんか(写真:pearlinheart/PIXTA)
リタイア後、改めて趣味や学習に時間を使おうという方は多いのではないでしょうか。若々しく充実した日々を送るには、とてもいい選択です。ただ、それは自分一人だけで追求する楽しみになっていませんか?
「自学自習よりも師や仲間と取り組むのがいい」と話すのは、“高齢者専門の精神科医”和田秀樹氏です。心が若返るための人との付き合い方を伝授します。
本稿は、『心が老いない生き方』(ワニブックスPLUS新書)より一部抜粋・再構成のうえお届けします。
自学自習は老いが煮詰まってしまう
高齢になっても向学心を失わない人は素敵です。いくつになっても本を読む楽しみを持ち続けることができますし、興味のある分野の勉強をコツコツ続けている人も大勢いるはずです。
ところが高齢になってくると、その先になかなか進めません。自学自習で終わってしまうことが多いのです。
理由はいろいろあります。「耳が遠くなったし視力も落ちた」とか「覚えが悪くなったから教わってもなかなか進まない」といった身体的な老い。
「いまさら若い人に混じって」とか「みんなの足を引っ張ってしまう」といった理由もやはり年齢を意識するから出てきます。
わたしはいくつになっても向学心を持ち続けている人を無条件に尊敬しています。だからどうしても応援したい気持ちになります。
そのとき、いちばん後押ししたいのは「オープンにやろう!」という気持ちです。高齢になればいろいろなハンディを意識してしまうのはわかります。でも大好きな読書や勉強の世界で年齢呪縛にだけは捕まってほしくないからです。
年齢呪縛の一つに意固地さがあります。老いは隠したいとか情けないという思い込みがあって、人前に出るのを避けるようになります。
すると勉強したいことがあっても「他人に振り回されたくない」とか「集まらなくても勉強はできる」といった理屈が出てきます。本やテキストを買い込んで一人でコツコツ勉強することが自分のやり方だと言い聞かせてしまいます。
でもこのやり方は不自由です。壁にぶつかればそこで行き詰まるし、自分のレベルもわからないし、成果を試すこともできません。
そして何よりも、煮詰まりやすいのです。かつてわたしが陥った、一つの答えを求める勉強になってしまいます。
むしろいろいろな人の考え方や勉強法を知ったほうが、いくつもの答えに出会えるようになります。知識の幅も広がってくるでしょう。自分の頭の中をシャッフルするつもりになって、自学自習ではなくオープンな勉強法に切り替えてください。
「ライバル意識」を持つことの大切さ
いまの世の中、学ぶ余裕を持っているのは若者や現役世代ではなく高齢者です。年齢的なハンディなんか気にしないでコツコツ勉強している80代90代はいくらでもいます。
そしてどんな分野でも、勉強すればその成果を実感したくなります。いままで解けなかった問題を解いてみたくなるし、実行できなかったことに挑戦したくなります。外国語を勉強すれば、それを会話で試してみたくなります。独学だと人と会話する機会がなかなかありません。習い事も同じで、成果を発表したり競い合ったりしたくなります。
そのためには、やはり一人で勉強するよりグループやサークルに入ったほうがいいのです。そういう高齢者のニーズに自治体や地域も応えなければいけませんから学びの場所や機会は数多く用意されているしカリキュラムも豊富です。受講者だって大勢います。とくに女性の場合は友人同士で誘い合ったりして楽しそうに参加しているケースが多いのです。
でも男性の場合は相変わらず独学にこだわる人が多いような気がします。実際にカルチャースクールのような場所を見学してみると、教室の7割か8割くらいは女性で占められています。
いろいろな世代や知識レベルの人と一緒に勉強すれば、刺激も受けるし見方が広がります。「そういう解釈もあるのか」とか「簡単な覚え方があったんだ」と気分が楽になったり、発想の幅が広がったりします。勉強全体の視野が広がってくれば、それまでの意固地さもなくなってリラックスできます。
オープンに学ぶことのメリットはそれだけではありません。誰かに習うとか教わる、あるいはグループや教室に参加することで、身近な目標や尊敬できる師ができるからです。
「この人にまず追いつこう」とか「どんな勉強法なのか、ちょっと教えてもらおう」といった気持ちも自然に生まれてきます。男性は女性のようにグループでの参加が苦手ですが、ライバルを見つけるとやる気が出てくるのは現役時代からの習性です。
そういう気持ちが生まれてくると、心はどんどん若返ってくるはずです。
いくつになっても師は持てる
どんな勉強でも習い事でも、オープンに学ぼうと思えば教えてくれる人が現われます。講習や講義を受ける場合でも講師がいて、絵や音楽のサークルでも先生がいます。
師は自分よりはるかに年上だったり、年下だったりします。カルチャースクールや学習会の講師が高校時代の教師や校長だったりということはよくあります。絵や楽器を教えてくれる先生が自分の子どもの同級生だったりします。
でも、いくつであろうと師は師です。自分よりはるかに知識や技術があり、それを学ぼうと思えば思うほど真剣に向き合ってくれます。
そういう学びの体験は、自分の年齢を完全に忘れさせてくれます。
こちらはあくまで生徒で、相手は先生なのです。そういう関係の中では、相手の年齢を意識することはないし、自分の年齢を意識することもありません。年齢なんかまったく関係のない世界なのです。
70歳を過ぎて水彩を習い始めた男性がいます。高校時代まで美術部にいて絵が好きでした。定年で現役を退いて再雇用で仕事は続けていましたが、もう一度、ちゃんと絵の勉強がしたくなったそうです。
「水彩なんて絵具と絵筆があればいい」と自分で勉強するつもりでいたのですが、自治体の教室案内に水彩コースを見つけてふと習ってみようという気になったそうです。
「おれはまだ高校生のままだな」という気持ち
教えてくれるのは、美大を出て子どもたち向けの絵画教室を開いているまだ30代前半の男性でした。もちろん自分でも絵は描いていますが、それだけで食べてはいけないのでしょう。「こんな無名の若い先生で大丈夫か」という気もしましたが、自分だって絵筆を持つのは60年ぶり近いのですから「ちょうどいいか」と気楽な気持ちで習い始めたそうです。
思いがけずも熱心な先生で、10人ほどが習う講座も活気があります。最初はまずデッサンの勉強から始まったのですが、高校の美術部時代はみんな我流です。それぞれが好き勝手に絵を描いて得意がっていただけですから、デッサンの勉強だけでずいぶん厳しく教えられたそうです。
そのうちだんだん夢中になってきました。最初は頼りなく思えた先生ですが、自分の師という意識がどんどん強くなってきます。そうなると40歳の年の差なんか消えてしまいます。
「おれはまだ高校生のままだな」と思えば、気持ちもどんどん若返っていきます。妻に「何だか顔がキラキラしてきたね」と言われたときには嬉しくてたまらなかったそうです。
(和田 秀樹 : 精神科医)