アルペンスキー大回転日本一から教員→ガールズケイリンで500勝の偉業 奥井迪の31歳での転身に母は「頭がかち割れるほどの衝撃だった」
華麗なる転身を遂げた奥井迪 今ではガールズケイリンを代表する選手に
矜持と情熱
〜ミラクルボディを持つガールズたちの深層〜
奥井迪 インタビュー
様々なキャリアを背景に持つアスリートが集うガールズケイリンでは、他の職業から転身してこの道に入る者も多い。そのなかでも奥井迪(ふみ)の存在は目を引く。アルペンスキーの選手として高校時代にインターハイを制し、大学では冬季ユニバーシアードにも出場、国民体育大会の大回転で優勝を手にした選手だ。その一線から退いた後、中学校の保健体育教員を経て、31歳にしてガールズケイリンに足を踏み入れた。
「高校からアルペンスキーでジュニアのナショナルチームに呼ばれ、世界を目指すチャンスをいただきました。でも自分に甘さがあって、心から頑張りきれない状態で競技を続けていたと思います。大学卒業後、教員になってからは地元のスキー少年団を教えたり、自分でも国体に出たりはしましたが、時間が経つにつれて、もう一回、自分の体で本気で挑戦したいと思うようになりました。そんな時にガールズケイリンが始まるという話を聞いたんです。自分でもプロスポーツに挑戦できる。そう考えたら沸きたつ気持ちが抑えられませんでした」
アルペンスキーをやりきったという思いがあれば、そんな気持ちにはならなかったはず。そういって奥井は笑う。中学生の頃から、夏は自転車を使ってトレーニングをしていたこともあって、すぐさま女性限定の自転車合宿である「ガールズサマーキャンプ(現トラックサイクリングキャンプ)」に応募した。これはガールズケイリンの選手を目指す女性だけが参加するものではないが、ここで奥井の心に完全に火がつき、終了直後に日本競輪学校(現日本競輪選手養成所)への願書を提出した。2012年夏のことだ。
「その時、両親は『自分の人生だから自分で決めなさい』と後押ししてくれましたが、あとで新聞の取材を受けた時に『娘が競輪選手を目指すと聞いた時は頭がかち割れるほどの衝撃だった』と言っていました。両親はどちらも公務員でしたし、とくに父も教員でしたから、当然ですよね(笑)」
もちろん奥井自身、安定した教員という生活からの挑戦に不安がなかったわけではない。
「でも自分が60歳になった時、ここでチャレンジしなかったことを本当に後悔しないかと考えたんです。やらずに後悔するのではなく、やって後悔のない人生となるように頑張ろうと決めました」
まさに人生最大の決断だった。
【ボロ負けからのスタート】2012年12月に日本競輪学校の試験のひとつ、自転車競技未経験者のための「適性試験」に合格し、翌年に入学。かつての教え子がいてもおかしくない年齢の生徒に囲まれた。アルペンスキーでの活躍や年上としての経験からプライドが顔をのぞかせたり、教育的な視点で同期生を見るようなことはなかったのだろうか。
「それどころではなかったです。なにしろ自分はゼロからのスタートで、できないことばかりでしたから。周りを気にする余裕はなく、ひたすら自分のことで精一杯でした」
過去のキャリアや年齢は関係なく、頼れるものは自分の実力だけという世界。2014年5月にデビューを果たすも、その初戦は5着で、本人の言葉を借りれば、「ボロボロに負けたレース」となった。
「私はやっていけるのかな」
プロとなってからも不安は常につきまとったが、悩む間を作らないためにも、練習に明け暮れる毎日を送る。初勝利を挙げても、自信にはつながらず、いかにしてタイムを伸ばすか、勝利を掴むかを目指して鍛錬を続けた。
メンタルの強さも感じさせる奥井
「私は目の前の一走一走に気持ちを込め、全力を尽くすことだけを考えていて、先の目標はあまり立てないんです。ただ始めた頃は、練習すればするだけ強くなれましたが、ある時点からしっかり考えて、取り組まないと成長できないと感じるようになりました。頭打ちにならないように、今もとにかく考え尽くして練習に取り組むことを意識しています」
2年目からは安定して勝利を重ねるようになり、年間女王を決めるガールズグランプリ出場も果たす。今は押しも押されもせぬトップ選手のひとりとなったが、「目の前の一走に全力を尽くす」というスタンスに変わりはない。
【先行で感動を与えたい】奥井を語る上で、外せないテーマがその戦い方。戦法は「先行」を選択することが多く、「先行日本一」との評価も受ける。集団の先頭を走り、主導権を握るそのスタイルは自分でペースを管理できる一方、風の抵抗を真正面から受けるために体力、筋力の消耗が激しい。だが競輪学校在籍時から、この勝ち方へ強いこだわりがある。
「見ている人に感動を与えたいと思ったのがきっかけです。先行は一番キツく、脚力が求められますが、気持ちを含め、持っている力をすべて出しきって勝つことで見に来てくれたファンの方に喜んでいただけると思うんです。私もレースを見ていて先行して勝った選手を見た時には感動しますし、自分自身、その勝ち方をした時の喜びは何物にも代えがたいと感じます」
数々の特別レースで結果を残してきた奥井 photo by Takahashi Manabu
一方で年齢を重ねるにつれ、このスタイルで勝つことが難しくなったとも感じている。もっと勝利にこだわるべきではないかと自問自答し、葛藤した時期もあったが、多くのファンから「そのままでいい」という言葉が届き、覚悟を決めた。生涯先行。その美学を奥井は貫きたいと話す。
「教員は人が相手の仕事です。でもガールズケイリンは自分自身が相手の仕事だと思っています。日々、自分を高め、レースに向かって最高の状態をつくり、レースのなかで状況判断をしながら決断し、勝利を目指す。とくに先行という戦い方は気持ちで負けてしまうと力を発揮できないんです。そのメンタルの自信を手にするために、毎日、トレーニングとコンディショニングをしています」
勝利を重ねても驕ることなく、高みを目指す。彼女の背中は後に続く後輩たちのお手本になっていることだろう。その姿に憧れてガールズケイリンを志した選手や、走り方を参考にする選手は多いという。本人にその意識はないが、人を導くという意味で奥井は今も「先生」としての一面を持っている。
2023年3月20日、ガールズケイリン史上2人目、男子を含めても45人目という500勝を果たした。目の前のレースに集中し、戦い続けた結果に辿り着いた偉業。31歳の夏に下した決断にもちろん後悔はない。
「もう一度、同じ状況になっても絶対に同じ決断をすると思います」
まだ「先行でグランプリを取る」という競輪学校在籍時に立てた夢の半ばにいる奥井。それを掴むため、「一走一走、気持ちを込めて」。これからも目の前のレースに集中するのみだ。
【Profile】
奥井迪(おくい・ふみ)
1981年12月19日生まれ、北海道出身。身長167.3cm、体重69.7kg。小学時代からアルペンスキーに取り組み、大回転などの選手として活躍。全国高校スキー大会1位、国民体育大会1位、全日本選手権2位などの好成績を残す。大学卒業後は中学校の保健体育の教諭として勤務。31歳の時に競輪学校(現日本競輪選手養成所)に入学し、32歳の時に競輪デビュー。翌年の2015年にガールズグランプリに初出場し、以降4度出場を果たす。2023年3月にはガールズケイリン史上2人目、競輪史上最短で、通算500勝を達成した