日本代表がW杯で敗れたクロアチア1部にいる元世代別日本代表「不安だったので契約書をめちゃくちゃ読んだ」
世界こんなところに日本人サッカー選手(2)クロアチア
いまやサッカー日本代表メンバーのほとんどは海外組となった。昨年のカタールW杯では登録メンバー26人のうち、実に19人がドイツやフランス、イングランドなどサッカーの本場・西ヨーロッパでプレーする選手だった。この事実は、日本サッカーのレベルアップのひとつの象徴かもしれない。
ただ、サッカーは最もワールドワイドなスポーツであり、盛んなのは西欧だけではない。環境や求めるものは、その土地によってさまざま。世界中のあらゆる地域でプレーしている日本人選手を追った。
NKヴァラジュディンで3シーズン目を戦う浦田樹→
「日常生活はとくに問題ないですが、ここは練習以外にやることがないというか(笑)。休みの日もジムに行くか、サウナに行くか、コーヒーを飲みに行くくらいしか選択肢がなくて......。日本にいると、誘惑がたくさんあります。そういう意味では、やるべきことに集中できていいんですけどね」
そう現地での生活について話すのは、クロアチア1部リーグのNKヴァラジュディンで3年目のシーズンを終えた浦田樹(26歳)である。
1997年生まれの東京五輪世代でもある浦田は、18年には森保一監督が率いたU−21日本代表としてU−23アジア選手権に出場するなど、ユース時代から世代別代表として継続的にプレーしてきた選手である。ただ、Jリーグでは15年にジェフ千葉のトップに昇格するも出番はなく、18年に期限付き移籍先だったギラヴァンツ北九州に完全移籍。同年にJ3で26試合に出場したが、翌年、自身が望むクラブからオファーがなかったことが、海外に出るきっかけとなった。
19年3月に知人のエージェントの紹介でウクライナ1部ゾリャ・ルハンシクへの移籍が決まったが、監督の交代(浦田を獲得したユーリー・ベルニドゥブ監督がモルドバのシェリフ・ティラスポリに引き抜かれた)などもあって、公式戦への出場はなく戦力外に。その後は帰国し、コンディション調整をしていたところ、ヴァラジュディンから予期せぬオファーが届いたという。
【EL出場権争いも】
「サッカー選手の映像やデータを分析するITサービスの『InStat』を見たというコロンビア人の代理人から連絡がありました。間に日本人の方も入っていたのですが、怪しいと思ったというか、最初はゾリャのこともあったし、コンディションを見たいと言われても、行くつもりはありませんでした。だって、現地まで行って契約できなかったら嫌じゃないですか(笑)。
ただ、ゾリャ時代のコロンビア人のチームメイトから、代理人の情報などを聞き、最終的には迷いながらも行くことに。それが今につながっているので、結果的にはよかったんですけどね。不安だったので契約書はめちゃくちゃ読みました(笑)」
ポジションは左サイドバック。浦田は加入直後から定位置を獲得すると、20−21シーズンにリーグ戦23試合に出場した。そのオフ、チームが降格したことで移籍を希望し、一度はチームを離れたが、冬の移籍期間に復帰すると、シーズン後半戦の11試合に出場し、1部昇格をかけた試合ではゴールを決めるなど、インパクトを残した。
そして迎えた2022−23シーズンは、最終的に3位オシエクに勝ち点4差のリーグ5位で終えたものの、終盤まで来季のヨーロッパカップ戦出場(3位以内)を狙える順位につけるなど、健闘の目立つヴァラジュディンにおいて、主軸として27試合(うち19試合が先発)に出場している。
浦田は充実した表情で、こう語る。
「2年前は戦力的に厳しく、降格しましたが、今年はチームとしてうまく戦いながら、昇格した去年と同様、緊張感のあるなかで試合ができているのはありがたい。スタメンで出るときもあれば、途中からのときもあります。ただ、競争があるからこその成長を感じます。
ヴァラジュディンはザグレブから約80キロの小さな街のクラブで、予算規模も小さい。もしヨーロッパリーグに行けたら大騒ぎだったでしょうし、個人としてもいろんな可能性が広がったかもしれませんけどね」
クロアチアといえば、昨年のカタールW杯決勝トーナメント1回戦で日本と対戦(PK戦の末にクロアチアが勝利)したことも思い出される。人口は約410万人と東京都の3分の1にも満たない小国にもかかわらず、W杯では準優勝だった18年ロシア大会に続き、カタール大会でもベスト4と躍進した。だが、国内リーグの事情はあまり知られていない。
NKヴァラジュディンのチームメイトとくつろぐ浦田樹
【環境はJ3時代のほうが上】
「力的には(今季も優勝した)ディナモ・ザグレブが抜けていて、そのあとにハイデュク・スプリトが続き、ヨーロッパのカップ戦に出るクラブと、それ以外のクラブでは少し差があるように感じます。ひとつ言えるのは、どのチームもGKのレベルは高く、クロアチア代表の守護神としてW杯でも活躍したドミニク・リヴァコビッチはいまもディナモ・ザグレブに所属しています。
日本を離れてから長いので、Jリーグとの比較は難しいですが、スピードや技術は日本人選手のほうが高いと感じる一方で、クロアチアの選手は推進力だったり、勝負へのこだわりが強いように思います。たとえば、ウォーミングアップのボール回しでのひとつのミスでも、冗談半分ではありますが、ちょっとした言い合いになることがありますから。
僕はもともとバルセロナやマンチェスター・シティとかのサッカーが好きで、どちらかというとこれまで技術を重視しながらサッカーをやってきました。ただ、こっちに来てみると、縦に速く、体の当たりも強いので、それだけでは戦えないってことは感じます」
リーグのレベルとしては、欧州5大リーグ(イングランド、スペイン、ドイツ、イタリア、フランス)に次ぐ、第2あるいは第3のグループと言えるだろうか。たとえばカタールW杯でブレイクしたDFヨシュコ・グヴァルディオル(ライプツィヒ/ドイツ)も、2年前までクロアチアの国内リーグでプレーしていた。EU外の選手にとっては、ベルギーやオランダなどと同様に、欧州での最初のステップの地としては向いているのかもしれない。
サッカーのレベルは低くない。とはいえ、お世辞にも経済的に恵まれたリーグではなく、環境的な厳しさは避けて通れない。
「2部時代に日本から友人が試合を見に来てくれたのですが、芝がボロボロで、とてもプロが試合をやる会場に思えなかったようで、ビックリしていたことがありました(笑)。1部と2部でも環境はだいぶ違いますが、正直、こっちに来てからは北九州時代(当時J3)のほうがよかったなと思うことはありますね」
【日本人選手の欧州での活躍が刺激に】
たとえば北九州では、試合前夜の宿泊は1人部屋だったが、いまは2人部屋が基本。アウェー時は、毎回バス移動がしんどいとこぼす。
「5、6時間は普通で、一番遠くて8時間くらい。後泊はないので、帰りが翌日の朝方になることもあります。勝ったあとなんて、バスのなかでガンガンに音楽がかかっていて、ほとんど寝られません(笑)。
あと、日本にいた頃は栄養士さんをつけたり、食事に気を使っていたのですが、こっちの選手はあまり気にしていないようで、ある程度は受け入れるようにしています。僕は食べませんが、試合後のロッカーには必ず(脂っぽい)ピザが用意されていますし、遠征帰りもマック(マクドナルド)で食事を済ませるチームメイトもいますからね」
クロアチア1部リーグで現在プレーしている日本人選手は、浦田を含め2人(元セレッソ大阪の新井晴樹がHNKシベニクに所属)。浦田は、来る時点ではヴァラジュディンがどんな街で、どんなクラブかということについてまったく知識がなかったと言うが「今は来てよかった」との思いしかないという。
「(ヴァラジュディンという)名前も聞いたことがなかったので、きっとあまり強くないんだろうなとは想像していました(笑)。サラリーは日本と比較すれば落ちますし、街で日本人に会うことはほぼない。ディナモとかハイデュクのファンは熱いし、スローインの時に雪をめっちゃ投げられて危なかったこともあります。それでも、いいか悪いかは何を求めるかによって違うし、そこまで悪くないと思いますよ」
世代別代表でもプレーしてきた浦田のキャリアを思えば、かつてともにピッチに立った選手が、日本代表や欧州の主要リーグで活躍している現実が、精神的にマイナスに影響することがなかったのかも気になる。
「マイナスにはなってないです。むしろ、『すげぇな』って見ていますし、オレも頑張ろうって刺激になっています」
3月には新生・日本代表がスタートしたが、サイドバックは新たな選手の台頭が待たれるポジションでもある。J3の北九州からクロアチア1部に辿り着けたのなら、何があっても不思議ではない。
「そのためには絶対にステップアップが必要ですけどね。僕がもしアタッカーなら厳しいと思いますが、サイドバックというポジションを考えると(可能性は)ゼロじゃないと思うし、間違いなく目標のひとつではあります。そのためにケガなく、コンスタントにプレーすること。あとは巡り合わせもありますから......」
海を渡ったことで視野が広がり、考え方も柔軟になった。
「クロアチアは好きですが、欧州をウクライナとクロアチアだけで語りたくないし、ほかの国(街)にも行ってみたい。最近は世界地図を見ながら、そんなことを考えています。サッカーのスタイルは地域や文化によっても違うし、海外に出るといろんな発見がありますから」
クロアチアの小都市ヴァラジュディンで、浦田は経験を積みながら、次のステップに備えている。
プロフィール
浦田樹(うらた・いつき)
1997年1月生まれ。東京都出身。ジェフ千葉U-15、U-18を経て、15年にトップチームに昇格。18年にギラヴァンツ北九州に完全移籍。19年にウクライナ1部ゾリャ・ルハンシクに加入するも公式戦出場はなし。20年8月にクロアチア1部NKヴァラジュディンに加入。21年夏にスロバキア1部セレジに加入も3週間で契約解除し、22年2月にNKヴァラジュディンに復帰。18年には森保一監督の下、U-21日本代表としてU-23アジア選手権(中国)に出場。ポジションは左サイドバック。177センチ、72キロ