史上最高の左ウイングは赤の背番号11が似合うあの選手に… 記憶に残る世界の歴代ベスト20
世界の左ウイング歴代ベスト20(4)
【6位】ロベルト・ガドハ(ポーランド)=右利き
1974年西ドイツW杯と言えば、取り沙汰されるのは準優勝したオランダのトータルフットボールだ。後にプレッシングフットボールを発案したアリゴ・サッキに言わせれば「トータルフットボールが出現する前と後でサッカーは180度変わった」となる。優勝した開催国西ドイツより後世に大きな影響を与えた。その陰で割を食ったのが、3位に輝いたポーランドだ。オランダも凄かったが、3位決定戦でブラジルを倒したポーランドの存在を忘れるわけにはいかない。
司令塔のガジミエシュ・ディナが、CFのアンジェイ・シャルマッフ、そしてグジェゴーシ・ラトーとロベルト・ガドハの両ウイングを操る、オランダに負けず劣らずの好チームだった。
ラトー、ガドハはともに右利きの小柄なウイングで、スピード系の右ウイングのラトーに対し、左ウイングのガドハは俊敏な技巧派として活躍。後に「ダイヤモンドサッカー」の枠内でテレビ観戦した日本人を虜にしたものだ。2次リーグの対西ドイツ戦、決勝でヨハン・クライフが手を焼くことになったヴェルティ・フォクツを、ガドハがチンチンに切り裂く姿は、いまだ脳裏に鮮明だ。相手の逆、逆を突くステップワーク、ドリブルワ
ークは痛快、そして爽快この上なかった。
【5位】フランク・リベリー(フランス)=右利き
右利きの左ウイング。フランス代表としてより、2007−08シーズンに移籍したバイエルン時代のプレーのほうが印象に残る。2009−10シーズンに加わったアリエン・ロッベンと形成した左右のウイングは強力で、それをベースにチームの成績は急上昇。そのシーズンにチャンピオンズリーグ(CL)で準優勝を飾る。そして2011−12シーズンのCL準優勝を経て、2012−13シーズンにはCLの頂点に立った。リベリーはバロンドールの投票でその年、クリスティアーノ・ロナウド、リオネル・メッシに僅差で続く3位に入る高評価を得ている。欧州戦線で低迷を続けていたバイエルンをトップクラブに押し上げ、維持させる原動力として活躍した。
ボールを身体の正面に懐深くセットし、両足で転がすようにドリブルをするため、進行方向が読みにくい。縦に進むのか、内へ切り込むのか。実際その関係は五分五分で、その老練さが魅力であり相手の脅威になっていた。
【最強ブラジル代表の左ウイング】
【4位】アリエン・ロッベン(オランダ)=左利き
2009−10シーズン、バイエルンに移籍すると、フランク・リベリーと左右のウイングを形成。リベリー同様、準バロンドール級の活躍を演じ、停滞していたバイエルンの成績を欧州のトップレベルに押し上げた。バイエルンでは左利きの右ウイングとしてプレーしたが、それ以前は主に左ウイングとしてプレーした。左利きの左ウイングはいまや少数派だが、かつては多数派で、ロッベンの左ウイングから右ウイングへの移行が世の中の動きに拍車をかけたという感じだ。
足が速い選手はドリブルがヘタ。ボールが足につかず、暴れる傾向がある。一般的にそう言われるが、ロッベンは例外だ。高速ドリブラーにして技巧派だ。小刻みな足に吸いつくようなタッチのドリブルで疾走。かと思えば急ブレーキを踏み、方向を変える。相手の動きの逆を突く。右ウイングの時は切り込んでシュートに持ち込んだが、左ではそのまま縦に抜き去る突破力が光った。メッシのドリブルも鋭かったが、ロッベンも負けず劣らずで、左足のドリブラーとしては双璧の関係にある。
【3位】デニウソン(ブラジル)=左利き
どの時代のブラジル代表が好きか。最強だと思うか。見解は人それぞれだと思うが、筆者の知る範囲では1997年のトルノワ・ド・フランス(フランスW杯のプレ大会=現コンフェデレーションズ杯)からコパ・アメリカ(ボリビア大会)にかけてのブラジル代表になる。看板はRo−Roコンビ。ロナウド、ロマーリオの2トップが看板のチームだった。
布陣は4−4−2という触れ込みだったが、中盤は左右対称ではなかった。左ウイングがいる左上がりの4−4−2。4−3−3の変形型と言ってもいい。そこで左ウイングを張ったのがデニウソンだった。
かつて、ブラジル代表にはいつの時代も個性的な選手がいた。ドリブルを始めたらボールを離さない選手。トリッキーなプレーをする選手。アマゾンの奥地から出てきたような非今日的と言うか、欧州ナイズされていない選手に目を奪われたものだ。かつて清水エスパルスでプレーしたジャウミーニャなどはその典型的な選手になるが、サッカーのボーダレス化と呼応するように、そうした独特の味を持つ選手は激減する。さみしい限りだが、デニウソンはブラジル人選手らしさを全開にプレーする最後の選手と言えるのかもしれない。
【今日のウイング像を築いた】
ボールを受けるや、左足を軸にクネクネしたその独得のドリブルを開始。観衆を古きよき時代へとワープさせた。その後方に位置するロベルト・カルロスをはじめ、周囲のブラジル人選手もデニウソンのドリブルにほれぼれするように見入っていた。デニウソンがドリブルを開始すると、あえて、絡もうとしなかった。
1997年コパ・アメリカ、ボリビア大会決勝。会場のラパスは4000メートル近い高地で、ブラジルはその薄い酸素に悩まされ、開催国ボリビア相手に大苦戦を強いられていた。決勝ゴールが生まれたのは後半33分。ハーフウェイラインでボールを受けたロナウドが左前方を行くデニウソンにボールを預け、ボリビアゴール前に疾走する。デニウソンのタメ、切れ味鋭い折り返しも絶品だったが、それを決めたロナウドもすごかった。試合後、記者席に回ってきたMVPの投票に、筆者はロナウドと書き込んだ。しかし周囲をカンニングすればデニウソンだらけだった。
【2位】マルク・オーフェルマルス(オランダ)=右利き
1994−95シーズン優勝。翌1995−96シーズンは延長PK戦での準優勝だった。CL史上で、最も痛快な勝利を重ねながら優勝したチームと言えば、アヤックスになる。そのなかでも痛快だったのは、右利きの小柄な左ウイング、マルク・オーフェルマルスのウイングプレーだ。
大男の逆、逆を突き、縦突破を図る姿に、アヤックスサッカーの真髄が投影されていた。ウイングが縦抜けするプレーを「勝負する」と言うが、オーフェルマルスの勝率は断トツに高かった。もちろん勝負なので負けることはある。だが、そのあとのリカバリー能力にも長けていた。奪われてもガッカリせず、すぐに取り返しにいく真面目、勤勉さが光る好選手だった。
当時のアヤックスでは4−3−3の左ウイングだったが、フース・ヒディンク率いるオランダ代表では4−2−3−1の3の左だった。4−4−2と4−3−3の中間型と言われる4−2−3−1。この4列表記を最初に口にし、好んで使ったのはヒディンクで、筆者には「両ウイングに中盤的な役割を求めた布陣。両ウイングに相手SBの攻め上がりを阻止するディフェンス能力を求めた」と説明した。「オーフェルマルスはその適任者だった」とも語っている。今日のウイング像を築いた選手と言っても過言ではない。
【1位】ライアン・ギグス(ウェールズ)=左利き
マンチェスター・ユナイテッド、ウェールズ代表で活躍したライアン・ギグス
晩年こそ守備的MFに回ることがあったが、マンチェスター・ユナイテッドの左ウイングとしてほぼ現役生活を貫き通した。最初に見たのは20歳になるかならないかの頃。何より背番号11が似合う選手だった。パッと見が違っていた。切れ味鋭い必殺のドリブルで、目の前の敵を翻弄する。クラブのレジェンド、ジョージ・ベストに通じる彫りの深いそのルックス、危険な香りに包まれたドリブルフォームも圧倒的に格好よかった。
右ウイングを務めたウクライナ出身のロシア代表アンドレイ・カンチェルスキスが、走力を活かしてライン際を疾走する直線的なドリブラーだったのに対し、ギグスは技巧と直進性の関係が50対50で均衡するバランスに富むドリブラーだった。
低重心のフォームから腰でボールを押し出すように前進。左足のインサイドとアウトサイド交互に交え、時に右足も駆使しながら、ボールを引きずるように操作する。格闘技で言うところの左半身(ひだりはんみ)の体勢もキツくなく、ボールは常に身体の真ん中付近に置かれているので、進行方向が読みにくいのだ。背筋がピンと伸びていて視野も広い。状況判断も的確で、敵の動きに対する対応が素早いのだ。
トップスピードに乗ったフォームも美しいが、瞬間、ひらりとかわす身のこなしもまた洒落ていた。ギグスこそが、最盛期のプレーをもう一度見たい選手の筆頭になる。