旗手怜央が初めて経験した1カ月以上の戦線離脱の心境を語る 「いつも以上にサッカーの試合を見て、いつも以上に本を読んだ」
旗手怜央の欧州フットボール日記 第17回 連載一覧>>
スコットランドのセルティックでプレーする旗手怜央が、初めての欧州サッカー、欧州生活で感じた、発見、刺激、体験を綴っていく連載。チームのリーグ連覇に貢献した旗手だが、3月中旬からケガのため、自身も初めてという1カ月以上の戦線離脱を経験した。その苦しい期間、どんなことを考え、どんなことをしたのかを明かした。
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旗手怜央はケガで戦線離脱の苦しい時期を乗り越え、リーグ連覇に貢献した
5月7日、セルティックはハーツに2−0で勝利し、4試合を残してリーグ優勝を決めた。
リーグ連覇を達成できた喜びはもちろん、昨冬、セルティックに加入した自分にとって、今季は1シーズンを通してチームに貢献できた自負もあり、昨季とは違った充実感を得られるタイトルになった。また、優勝を決めた試合でピッチに立ち、チームの勝利にアシストという目に見える結果で貢献できたことにも強く安堵した。
なぜなら僕は、3月18日のハイバーニアン戦(第29節)で負傷し、しばらく戦線を離脱していたからだ。
長期と呼ぶにはいささか短いのかもしれないが、セルティックに加入してから1カ月以上もの間、プレーできない経験ははじめてだった。川崎フロンターレ時代も、ケガで数週間ほどプレーできない期間はあったけど、サッカーをはじめてから今日まで、骨折や靱帯を損傷するような大きなケガをしたことはなかった。そこは丈夫な身体に生んでくれた両親に感謝しつつ、それだけハイバーニアン戦でのケガは、自分にとって不測の事態だった。
思い返せば、試合前から自分の身体にちょっとした異変というか、予感めいたものはあった。ただ、あの時期もコンディションはすこぶるよかったし、その週の練習もフルメニューを消化していた。
個人的にチームの全体練習を回避、もしくは軽減して、試合に出るようなことはしたくないという考えがある。それだけ試合に臨む準備がしっかりとできていたから、試合前日も、ウォーミングアップをしている時も、大丈夫だと思っていた。
ところが、試合が始まり数分が過ぎた時、自分の足(太モモ)に違和感が出た。
「これ以上、プレーを続けてしまうと、さらに症状が悪化してしまうかもしれない」
そう判断したから、13分という早い時間帯で、僕はピッチに座り込み、交代を要求した。結果的に復帰まで1カ月以上を要するケガだったため、自分の判断は正しかったと思っている。
【改めて自分の身体や心と向き合う時間にした】サッカーができない状況、試合に出られない状況に焦りはなかったと言えば、嘘になる。自身の数字にもこだわって臨んでいる今シーズン、わずかとはいえ試合を欠場すれば、その結果にも影響する。チームのためにも、自分のためにも、何もできない焦りは確かにあった。
ただ、サッカー選手にケガはつきもの。「ケガをしてしまった事実はどうやっても変えることはできない」と、気持ちを切り替え、改めて自分の身体や心と向き合う時間にしようと考えた。
試合に出られないため、いつも以上にサッカーの試合を見る機会を増やして、プレーのアイデアを膨らませた。また、いつも以上に本を読み、知識を蓄えようとした。
特に、ゆっくりと読書をする時間が取れたのは、とても有意義だった。日頃は、自分の成長に生かせないかと、いわゆる自己啓発系の本を読むことが多いが、尊敬する知人に薦められ、あまり手に取ることのない小説にもチャレンジした。
そのなかで印象に残っているのが、『運転者 未来を変える過去からの使者』(喜多川泰著/ディスカヴァー・トゥエンティワン刊)だ。ネタバレになってしまうため、詳しくは書かないけど、運はよい悪いではなく、貯めて使うものだという表現が心に響いた。自分も運を「ここぞ!」という時に使えるように、日々の生活や練習から「運」を貯めていこうと思った。同作家の本としては、『手紙屋 〜僕の就職活動を変えた十通の手紙〜』(ディスカヴァー・トゥエンティワン刊)も読んでいただけに、また好きな一冊が増えた。
ほかに『夢をかなえるゾウ』(水野敬也著/文響社)も、今回のリハビリ期間中に読んだ。今シーズンはずっと試合を戦っていて、落ち着いて自分自身を振り返ることができていなかっただけに、本を通して今の自分がやるべきこと、またこれからの自分への向き合い方について、整理整頓するきっかけを与えてもらったように思っている。
当初は4月8日のレンジャーズ戦(第31節)での復帰を目指していたが間に合わず、4月30日のスコティッシュカップ準決勝が復帰の舞台になった。対戦相手は同じくレンジャーズというのもあり、当初はいきなり先発では起用されないかもしれないと考えていた。しかし試合前日、先発するメンバーに加わり、練習したことで覚悟ができた。
【カップ戦の重要な一戦が復帰戦に】一発勝負のカップ戦準決勝で、しかも相手はライバルのレンジャーズ。アンジェさん(アンジェ・ポステコグルー監督)が、ケガから復帰したばかりの自分を先発に指名してくれた事実に、ここまで自分がピッチで示してきた働きが、信頼の証になっていると感じることができた。監督がそうした判断で背中を押してくれただけに、自分も自信を持って、また過度な緊張をせずに試合に臨めた。
それを試合勘と呼ぶのだろうか。復帰初戦から大一番というのもあって、プレーはいつもどおりとはいかない難しさがあった。ただし、チームのために、その時の自分にできる最善を尽くした。
プレーの感覚がつかめず、攻撃面でチームに貢献できないのであれば、ハードワークによって守備で力を発揮する。相手にプレスを掛けて誘導、もしくは追い込む。セカンドボールを拾って攻撃につなげる。または、ボールをキープして試合を落ち着かせる。復帰初戦で、自分の特徴や強みを出せたかと問われれば、出せたとは言い難かったが、求められている最低限の役割を果たそうと考え、そして努めた。
何より、いい攻撃はいい守備からはじまる。試合勘が戻らずとも、ハードワークは意識すればできる。もともと自分はFWの選手だったけど、中盤でプレーする機会が増え、より守備を強く意識するようになって得た考えでもあった。
また、いつか触れたいと思っていたけど、復帰した試合でもセルティックのサポーターは、僕のチャントを歌ってくれた。選手個人のチャントは、誰しもが作ってもらえるものではないことはわかっている。それだけに今シーズン、自分を応援するチャントを歌ってもらった時には、セルティックのサポーターに認められたと思えてうれしかった。
「ヘイ、オ〜、レ〜オ〜、ハタテ♪」
だから、復帰したスコティッシュカップ準決勝でも、その声援に力が漲った。
得点には絡めなかったけれど、1−0で勝利してセルティックは決勝への切符を手にすることができた。それにより国内3冠に挑戦する権利を得られたと考えると、最低限の仕事ができてよかったと思う。そして、リーグ優勝を決めた続くハーツ戦(第34節)――僕はアンジェさんの言葉により、再び自分自身のプレーにスイッチを入れた。
(連載第18回/後編「優勝を決めたハーツ戦を自己分析」>>)
旗手怜央
はたて・れお/1997年11月21日生まれ。三重県鈴鹿市出身。静岡学園高校、順天堂大学を経て、2020年に川崎フロンターレ入り。FWから中盤、サイドバックも務めるなど幅広い活躍でチームのリーグ2連覇に貢献。2021年シーズンはJリーグベストイレブンに選ばれた。またU−24日本代表として東京オリンピックにも出場。2021年12月31日にセルティックFC移籍を発表。2022年1月より、活躍の場をスコットランドに移して奮闘中。同年3月のカタールW杯アジア最終予選ベトナム戦で、A代表デビューも果たした。