ラグビー日本代表の不動の12番・中村亮土が「できるじゃん!」と認められるようになるまで「あのトライから信頼度が増した」
ラグビーワールドカップ2023「Road to France」<06>
中村亮土(東京サンゴリアス)前編
2019年に日本で開催されたラグビーワールドカップ──。CTB(センター)中村亮土(東京サンゴリアス)はサントリーで働く社員選手として、5試合すべてに日本代表の「12番」を背負って先発した。
1対1のタックルの強さは昔から定評があり、ディフェンスを安定させる重要な役割を担う。また、その存在価値は守備だけに止まらない。パスやキックのスキルも年々向上し、アタックでもインパクトを残せる選手へと進化してきた。
自身2度目のワールドカップに向けてラグビーに専念するため、中村はプロラグビー選手になることを決断した。また、会社を起業するなど新たなチャレンジも始めている。「世界一のセンターになる」と公言する桜のジャージー不動の12番は今、何を思うのか──。
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中村亮土●1991年6月3日生まれ・鹿児島県鹿児島市出身
── 2019年日本で行なわれたワールドカップで、日本代表は史上初めてベスト8に進出しました。中村選手は12番として全5試合に先発。一番、記憶に残っている瞬間は?
「ベスト8が決まった予選プール最終戦(スコットランド代表戦)の前日に台風が来たのは、よく覚えていますね。試合があるのか、ないのかという状況になり、夜になってホテルの外を見ながら『これ......マジで試合できんのかな。でも、試合やりたいな』と思っていました」
── スコットランド代表側は、もし試合が中止・引き分け扱いで予選プール敗退となった場合、法的措置も辞さない強気な姿勢を見せていましたね。
「そういうことも主張していたようなので、ちゃんと試合をやって倒したいなと思っていました。日本代表の強さを認めさせたい、という気持ちはありましたね」
── 中村選手にとって初めてのワールドカップはどんな大会でしたか?
「結果以上に、南アフリカ代表と大舞台(準々決勝)で本気の試合ができたことは、僕たちにとってはすごくいい経験だった。本気で勝ちにこだわる強豪相手とノックアウト方式の決勝トーナメントで戦えたことによって、ステージがひとつ上がった感じがしましたね。今年のワールドカップでも、大舞台でそういう相手に勝たないといけないと思っています」
── 2018年11月のイングランド代表戦や2021年10月のオーストラリア代表戦でトライを挙げるなど、最近の中村選手はアタックでもインパクトのあるプレーで目立っています。どのような心がけで試合に臨んでいるのですか?
「なんでしょうね......試合を読むようになったというか。次を予測しながら動くように心がけてから、少しずつそういう決定機につながるプレーになってきたのかなと。
それまではラグビーを『点』でしかやってこなかったんです。それが今は『線』をイメージしてプレーできるようになってきました。ひとつひとつのプレーじゃなく、相手や周りがどう動くか理解し、何が起きるかを予測すると、どんどん自分のプレーもよくなっていきましたね」
── いつからそういったプレーを心がけるようになったのですか?
「サンゴリアスに入って2〜3年目、まだ試合に出られなくてくすぶっている時、ひとつのことを極めようと思ってディフェンスのタックルだけを練習していました。タックルを強みにしようと思ったきっかけは、今サンゴリアスの広報を務めているやっさん(長友泰憲/元日本代表WTBウィング)がめちゃくちゃディフェンス、うまかったからです!
毎日、全体練習が終わったあと、やっさんにマンツーマンで教えてもらいながらタックル練習をやっていました。そうしていたら、2017-2018シーズンのトップリーグ・プレーオフ直前あたりからパフォーマンスがどんどん上がっていったんです。
その後は、プレーオフで結果を出して、するとジャパンにも選ばれて......みたいな。タックル練習を一生懸命に取り組んでから、徐々に流れがよくなったと感じています」
── 2017年秋のフランス遠征の時は、まだ試合に出してもらえなかったですよね。
「そうでしたね。(チーム内練習では)相手役をやっていました。対戦相手のフランス代表には、CTBなのにFWのような体重120kgを超えるマチュー・バスタローという選手がいたので、控え組の僕が"バスタロー役"になりきって、空気を読まないくらいに激しくチームメイトに当たっていきましたよ(笑)。
試合に出られないというストレスは、もちろんありました。でも、自分のためのプレーとチームのためのプレーを、いいバランスで両立することができていました。それはたぶん、サンゴリアスで試合に出られなかった数年の経験があったからだと思います」
── サンゴリアスの若手時代の経験が日本代表でも活きたわけですね。
「あの経験が今につながっているのは間違いないですね。入部した当時ノンメンバーだった時の苦しみを覚えているので、日本代表で再びノンメンバーになってもあまりネガティブになることはなかった。
でも、常に『自分自身はどうしたいのか?』という意識は持っていました。小さい頃から負けず嫌いだったので、向上心がなくなるようなことはなかったです」
── その後、中村選手は日本代表で定位置を確保していきました。ジェイミー・ジョセフHC(ヘッドコーチ)から「信頼を得たな」と感じた試合はありましたか?
「やはり2018年の秋、トゥイッケナム・スタジアムでトライを挙げたイングランド代表戦じゃないですかね。対面の選手(CTBアレックス・ロゾウスキー)は僕にトライを奪われた直後に交替させられて、その後(イングランド代表から)いなくなりましたし(苦笑)。
あの試合のあとくらいから、信頼度が増したように感じます。ジェイミーも『できるじゃん!』と認めるようになったんじゃないかなと」
── 日本代表で組むCTBについて話を聞かせてください。2019年W杯ではCTBラファエレ ティモシー(コベルコ神戸スティーラーズ)とのコンビは安定感抜群でした。
「どのCTBとコンビを組んでプレーする時も、13番の選手が100%を出せるような連係、コミュニケーションを取りたいなと思っています」
── 2021年10月のオーストラリア代表A戦では、CTBディラン・ライリー(埼玉ワイルドナイツ)と初めてコンビを組みました。
「初めてコンビを組みましたが、僕も『マジか!』と思ったくらい馴染んでいたというか、フィットしていましたね。ディランはほんと、すごいですよ! タックルレンジは広いし、足も速い。ディランが変なストレスを感じないようにこちらがプレーしておけば、あとは彼が勝手にやってくれます(笑)」
── ところで、昨年はシーズン終了後に首を手術し、春から夏にかけて代表活動を辞退していました。首の調子はその後、いかがですか?
「もう大丈夫です。首のヘルニアが原因で、手術前はいろんな治療をしました。症状が一度なくなった時もあったのですが、根本的な原因は治っていないし、次第に左肩から手にかけての痺れもひどくなって......。
徐々に筋力も落ちていって、トレーニングでダンベルを挙げる重さも20kgが精一杯。ベンチプレスも20kgのバーだけで挙上している時もありました。
今年のワールドカップのことを考えたら、早めに治療したほうがいいなと。それで昨春の代表活動は断念し、リハビリに専念したんです。手術後2カ月ぐらいからトレーニングをはじめ、その後は問題なくプレーできるようになりました」
── 現在の日本代表チームをどう見ていますか。コロナ禍の影響で2019年ワールドカップ以降、ほかの強豪国と比べて試合経験は少ない状況です。
「この2年間は(コロナ前と比べて)試合数も違うし強度も違うので、明らかに経験値の少なさが結果に出たという感じはあります。でも、何が課題で今後どういう状態に持っていかないといけないか、今はコーチ陣から明確に提示してもらっているので、それらはクリアになっています。だから全然 不安はないですね!」
◆中村亮土・後編>>「自衛隊」みたいに厳しかった鹿児島実業高ラグビー部時代
【profile】
中村亮土(なかむら・りょうと)
1991年6月3日生まれ、鹿児島県鹿児島市出身。中学まではサッカー部に所属し、鹿児島実業高に入学してからラグビーを始める。帝京大を経て2014年にサントリーサンゴリアスに加入。日本代表歴はジュニア・ジャパンやU20代表を経験したのち、2013年5月のUAE戦で初キャップを獲得。2019年ラグビーワールドカップの日本代表メンバーにも選出され、2021年には副キャプテンに就任する。ポジション=CTBセンター。身長182cm、体重92kg。