日本の少子化で地方都市では学校の統廃合が加速。高校サッカーも当然その影響を受け、人材の確保に苦労している。高校生の減少は街そのものの活性化にも響くということで、今回はその対策をとる地域を取材した。

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【学校移転に踏みきった作陽学園】

 今年4月、岡山県津山市の作陽高校が作陽学園高校へ校名変更。そして同県の倉敷市へと移転した。

 女子プロゴルファーの渋野日向子や、サッカー元日本代表の青山敏弘(サンフレッチェ広島)や伊藤涼太郎(アルビレックス新潟)といったスポーツ選手だけでなく、俳優のオダギリジョーの母校として県外からの知名度も高いが、学校を取り巻く環境は年々厳しさを増していた。


岡山県の倉敷市に移転した作陽学園。人工芝2面のサッカー場を備える

 現在、サッカー部の総監督と校長を務める野村雅之氏が赴任した1990年代、津山市のある美作エリアには1学年3000人程度の子どもがいた。3学年で9000人いる子どもたちを17校の高校で分け合う計算だったが、岡山市、倉敷市に続く岡山県第3の都市であるとはいえ、津山市の少子化の進行は深刻で、現在は1学年2000人程度まで減っている。2015年に津山市が出した人口等将来推計によると、今後はさらに少子化が進み、40年後には1学年600人程度まで減るという。

 団塊ジュニアが高校生だった1990年代前半、作陽高校は1学年14クラスあり、県内でも屈指の大規模校だったが、周辺人口の減少により、生徒数は緩やかに減っていた。今後は高校の統廃合が進むと予想されるとはいえ、学校の供給過多になるのは確か。このまま津山に残り続ければ、地元の公立高校と生徒を奪い合うことになる。

 津山に90年以上根づき、教員、生徒ともに街への愛着があったが、一足先に系列の作陽音楽大学(現くらしき作陽大学)が移転していた倉敷へと移る決心をした。国立社会保障・人口問題研究所の「日本の地域別将来推計人口」(2018年)によると、20年後は多くの都道府県で人口が20%以上減ると予想されており、作陽が直面した悩みは全国の至るところで起きるだろう。

 新校舎は新幹線も停車する山陽本線の新倉敷駅から徒歩5分の場所にある。倉敷市には約47万人の人口がいるほか、県庁所在地である岡山市(約72万人)や、広島県福山市(約46万人)も通学圏内。新幹線を利用すれば、兵庫県の姫路駅からも40分ほどで通える好立地だ。

 移転に合わせて、設備の整備も進んだ。7ヘクタールもの土地には男女サッカー部が使用する人工芝2面のサッカー場に加え、ゴルフ部が利用するパター練習場もある。近年メキメキと力をつける男女バスケットボール部が主に利用する体育館には、夏場でも快適にプレーできるよう空調も整えられている。サッカー部を全国区の強豪へと育てた野村氏のアイデアが細部にまで詰まっているのが特徴だ。

 学校が倉敷に移ったことで、これまで縁がなかった県南部にあるチームの選手が作陽学園に入学した。移転による効果は今後、部活動の成績に結びつくのは間違いない。今後は練習試合などで倉敷に訪れる高校も増えるため、野村氏は「津山での経験を活かして、スポーツツーリズムで街に元気を与えたい」と口にする。

 同時に、移転によって離れたとはいえ、津山に対する想いは今までと変わらず、今後は部活動の合宿を行なうことで津山との交流は続けていくという。

 地方都市において、高校スポーツの存在は大きい。

【下部組織を作り高校を強豪に】

 地元との結びつきがより深い、公立高校の取り組みとして注目されているのが、静岡県富士市にある富士市立高校だ。


静岡県内の強豪校の地位を確立しつつある富士市立高校

 富士市は約24万人の人口がいる静岡県第3の都市だが、製紙の街として栄えた工場地帯である。「静岡市に向かっていくほどワクワクする」とサッカー部の杉山秀幸監督が苦笑いするとおり、都会とは言い難い街のなかでも、富士市立高校は富士山の麓に近い場所にある学校だ。

 これまでも富士市には元日本代表の川口能活(清水商業高校<現清水桜が丘高校>出身。元横浜F・マリノスほか)、赤星貴文(藤枝東高校出身。元浦和レッズほか)など有力選手はいたが、中学や高校に上がるタイミングでサッカーが盛んな静岡市や藤枝市へと進んでいた。

 そうした現状を危惧した杉山監督は「地元でプレーできる環境を作りたい。それを応援したり、関わってくれる人の生き甲斐にしてほしい」と2011年に学校が吉原商業高校から、現校名へと改名したタイミングで中学生年代の下部組織「FC Fuji」を立ち上げた。

「短期で何かを成し遂げたら一瞬で崩れる。急いで勝とうとしたら、いい選手どれだけ集められるかになるけど、それは嫌だから選手にぜひ来てくださいとは一切言わない。選抜に選ばれている選手とか、人が選んだ肩書で見てしまいがちだけど、僕らは小学校、中学校の時によかった選手ではなく、自前でいい選手を育てたかった」

 杉山監督の言葉どおり、FC Fujiも富士市立もスタンスは一貫しており、技術、判断を磨くことで選手を育んでいく。FC Fujiや富士市立のテクニカルなサッカーに魅力を感じて子どもたちが少しずつ地元に残り始めると、2019年には選手権予選決勝まで進出。プリンスリーグ東海に定着した現在はスタメンの大半をFC Fuji出身選手が占めるほか、静岡市や県外から入学する選手も増え、部員数は100人を超えている。

 今年は、OBの松澤海斗が名古屋経済大学からV・ファーレン長崎への加入が決まり、富士市立高校出身初のJリーガーとなった。熱意と工夫次第で、公立高校であってもスポーツを通じて高校と街を活性化できる好例と言えるだろう。

【サッカー環境を整えて高校生が地域に残るように】

 民間が主体となり、サッカーを通して公立高校を盛り上げようとする動きも出ている。

 長野県白馬村は北アルプスの麓に位置し、夏は登山、冬はスキー目当てで国内外から多くの観光客が訪れる。村内唯一の高校である白馬高校はスキー部の活動が盛んで、冬季オリンピックで5大会連続入賞を果たしたモーグルの上村愛子などを輩出してきた高校だ。

 スキー人気が高かったバブル期は白馬村への移住者も多く、生徒数は400人いたが、以降は人口減少や少子化が進み、定員割れが長く続いた。再編統合の対象となった結果、2016年からは県外からの受け入れを可能とした国際観光課を新設し、1学年2学級80人の学校として存続が決まった。

 だが、今のまま白馬高校があり続けるとは限らない。隣町の大町市にあった2つの公立高校が2016年に統合したように、生徒数を維持できなければ再び統廃合の議論が出てくる可能性がある。

 村で唯一の高校がなくなると地域に与える影響も大きい。地域輸送を担うのは長野県松本市と新潟県糸魚川市を結ぶJR大糸線だが、乗客数の多くを通学客が占めている。今でも松本駅発の列車は隣町の信濃大町駅止まりが多いが、白馬高校がなくなれば上下線ともに2時間に1本程度の本数がさらに減る可能性がある。

 白馬高校の存続は、地域の人たちの願いだ。

 立ち上がったのは、白馬村で活動するジュニア、ジュニアユースのクラブチーム「アラグランデFC」だった。もともと白馬高校にはサッカー部がないため、高校でもサッカーを続けたいアラグランデの選手は大町市の高校に通うか、長野市の私立高校へと進んで寮生活を送っていた。

 高校でも白馬の地でサッカーが続けられる環境を作れば、白馬高校に進む選手が増えるかもしれない。そう考えたアラグランデの創設者である稲田良太郎氏は高校に新たに部を作るべきか、自らがユースを立ち上げるべきか何人かのサッカー関係者に相談したという。そのひとりが、帝京高校と東海大学の後輩であり、新潟県長岡市の「長岡JYFC」の代表を務めていた西田勝彦氏だった。


長野県白馬村では、新潟の長岡JYFCを育てた西田勝彦氏(右から4番目)の指導が始まった

 西田氏は帝京長岡高校の総監督を務める谷口哲朗氏の誘いを受けて、2001年に下部組織である長岡JYFCを立ち上げた人物。サッカーがメジャーではなかった長岡市で幼稚園児からサッカー指導を行ない、MF小塚和季(川崎フロンターレ)やMF谷内田哲平(京都サンガF.C.)らを育ててきた。

 稲田氏は当初、相談するだけのつもりでいたが、話を聞いた西田氏は「難しそうだからこそやり甲斐がある。挑戦したい」と白馬村への移住を決意。この春から小学生と中学生の指導に当たっている。

 2人が出した結論は、アラグランデのU−18年代の設立だ。

 白馬高校にサッカー部を新設し、アラグランデのスタッフが外部コーチとして指導に当たったとしても、学校の先生が顧問を務めなければならず、学校に負担がかかる。また、「サッカーをやりたい選手がやれる場所を作りたい」と考えるアラグランデとしてもU−18の設立は理想だった。

 現在は部員数の減少や指導者の不在で、活動が難しくなった近隣にある小中学生年代のチームまで出向いて、アラグランデの選手とともに指導をしている。彼らが地元の高校に進んで、クラブチームで活動してくれるのが理想の形だ。

 現時点ではまだチームとして発足していないが、すでに3人が中学卒業後もアラグランデに残ってくれた。うちひとりは白馬高校に進学し、平日は中学生チームで練習して、週末はアラグランデの社会人チームでプレーしている。

 来年以降、活動が本格化していけば白馬高校へと進む選手も増えてくるだろう。また、寮のある国際観光科を志願する県外の選手も出てくれば、白馬高校は活性化していく。

 子どもの数がさらに減少していく今後は、同じような悩みを抱える高校、地域も増えていく。アラグランデが始める活動は、そうした高校、地域が生き残っていくための大きなヒントになるだろう。